うめ屋


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by netzeth
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言えない気持ち

篠突く雨の降る夜だった。
何をしゃべる訳でもなく、何をするでもなく、ただ二人の時を静かに過ごしていた私たち。
足下に居た愛犬がくあっとあくびをした時、彼がちらりとわざとらしく壁掛け時計を見上げた。
次の言葉は予想通り。
「そろそろ失礼するよ」
そんな事を言いながら、彼が立ち上がる。
いつもならこの時間から、いかに私の部屋に泊まろうかと、いろいろ理由をつけて居座ろうとするくせに。
たまに、こんな風に大人しく帰宅する彼。
その時の彼の心情をいまだに私は理解する事は出来ていない。単純に私の明日の仕事に差し支えるという小言を聞き入れてくれたのか――それとも、もう私に飽きたのか。
彼が部屋に泊まる事をいつも嫌がるそぶりを見せるくせに、こんな風に物わかり良くされると、それはそれで物足りないというか、寂しいというか。私もたいがい現金なものだ。
「お送りしましょうか?」
「止めてくれ。…そしたらまた私が君を送っていかなければならなくなる」
そして私たちはいつも通りの会話をする。
コートを手に取り彼に着せて、彼は己のマフラーを首からかけた。
彼が帰宅するときの、いつも通りの手順。
彼はそのまま私に背を向けて玄関口へと向かう。思わず、その背に伸ばしかけた手を私は引き戻す。
どうしてだろう。今夜は彼に居て欲しいと私は思っている。降りしきる雨が私をもの寂しくさせたのだろうか。
帰えらないで。
素直にそう言えたなら良いのに。
その広い背中を眺めながら、私はそう思う。
その背にすがりついて、今夜は一緒にいて欲しいと言えたなら。
けれど、女の私は引き止めたいと思っているのに、彼の有能な副官であるホークアイ中尉の部分が彼を帰すべきだと主張する。
彼を困らせたくない。普段はそっけない態度をとっているくにやっぱりその辺の女と変わらないバカな女だと思われたくない。こんな時ばかり女の顔を見せるなんてどうかしている。
彼がドアノブに手をかける。それでも私は何も言い出せないまま。
振り返った彼が、
「じゃあ…」
そう言って、手を上げかけた時。
私の足下を黒い影が走り抜けていった。
「キャンっ」
普段私の言いつけを守って無駄吠えしない、お利口な子犬は一声鳴くと、止める間もなく彼のズボンの裾をくわえて引っ張った。
「ハヤテ号!」
驚いた私は慌てて膝をつき、子犬を彼から引き離そうとした。けれど、子犬はがっちりと彼のズボンを噛んでおり、私がその小さな体を抱えて引っ張っても離してくれなかった。
「ダメよ、ハヤテ号。離しなさい!…こらっ」
いつもは聞き分けの良い子犬は今日に限って頑固で、テコでも動いてはくれなかった。ただ一心に彼のズボンの裾を掴んで離さない。
困り果てた私を見かねたのか、ひょいとしゃがみこんだ彼はわしゃわしゃと子犬の頭を撫でた。
「……判った。判ったよ、ハヤテ号。私に帰るなと言うんだろう?」
彼の言葉に私は、思わず彼の顔とハヤテ号を見比べる。
「……帰らないよ。帰らないから」
驚いた事に、彼のその言葉を聞いたハヤテ号はあれほど強く噛んでいたズボンの裾を離すと、彼を見上げてク~ンと鳴いた。まるで、本当に? と尋ねているように。
「嘘じゃない」
優しい顔で子犬にそう告げる彼の顔を、私はマジマジと見つめてしまった。
「大佐……」
私はなんと言って良いか判らなかった。ただ、今、目の前で起きた事が信じられない。
そんな私に彼はやはり優しい表情で笑ってみせた。
「君が素直に言わないからだぞ」
「そんな……」
「君が私を止めないから、ハヤテ号が止めてくれたんだ」
「なにをバカな……」
「本当の忠犬は主人の意図をくむと言う。……ハヤテ号は君の心を読んだんだよ」
なあ? と彼は子犬を抱き上げるとその瞳をのぞき込んでいる。子犬はまたそれに同意するようにく~んと鳴いた。
「なあ……私に帰って欲しくないと思っていたんだろう?」
そうして、一人と一匹はお揃いの黒い瞳で私を見つめてくるから。
「……はい」
とうとう私は観念した。
そう、私の心の中なんて、この人にはもちろん、こんな小さな子犬にまで見透かされているのだから。今更意地を張って取り繕ったところで、どうしようもないのだ。
それでも言うはずのなかった事を白状させられて、憮然とした様子の私に彼はくすくすと笑って。
「……だそうだ。ハヤテ号。君のご主人はまったく素直じゃない」
彼がいつまでもハヤテ号を抱えているのが、なんだか面白くなかった私は彼から子犬を奪い取った。
「……もう判りましたから」
ハヤテ号を胸に抱いて、ツンと彼に背を向けてやるとすかさず後ろから強く抱き込まれる。
その暖かさに私は抵抗できない。そう、今夜彼にそばに居て欲しいと願っていた私には。
「なんだ? 今度は子犬にやきもちか?…本当に今夜の君は可愛いな」
「……バカですか」
「大丈夫だ。今夜は帰らない。君がいいというまで君のそばにいる。……できれば今度からはハヤテ号に頼らずにそういう時は直接言ってくれ」
そう耳元で囁く彼の声に、私はうっとりと目を閉じる。
そして、少なくとも今夜一晩は彼を独り占めできるという事実に胸を躍らせた――いつか子犬が代弁してくれた私の言えない気持ちを、素直に彼に告げられる日がくると良いと思いながら。



END
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by netzeth | 2011-11-17 23:45 | Comments(0)