うめ屋


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by netzeth
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不在彼女

「ふっ、ふっ、ふっ……」
その朝ハボックは、出勤してきて己のデスクに座るなり不気味な笑い声を上げている上官を目撃した。常々変わった人だとは思っていたが、ついに朝っぱらから壊れたらしい。
そんな部下達から向けられる奇異の目もなんら気にする事なく、ロイ・マスタング大佐は笑い続けている。
「そろそろ止めた方がいいんですかねーー」
「そうだな。高笑いに変わりそうになったらさすがに止めるか」
困った顔しているフュリーに軽くそう答えてハボックは何しろ、と心の中で付け足す。
自分達が止めなければ誰も彼を諫める人物がいないのだ。そう、今日から頼りになる大佐のお守り役は三週間も不在である。
ロイの副官リザ・ホークアイ中尉が地方研修のために東方司令部を三週間も留守にし、今日はその一日目。初日からあれでは先が思いやられるな……などと思っていたらば、部屋の隅でひそひそ話している部下達の姿を目に止めたロイが声をかけてきた。
「こら。お前達も喜べ! 今日から三週間の自由が手に入ったのだぞ!?」
「自由って……、中尉が居なくたって普通に仕事する事に変わりはないでしょ」
「ふっ、ふっ、ふっ。お前は分かってないな、ハボック」
そして、またロイはあの不気味な笑いを口元に浮かべる。
「いいか? もちろん仕事はするが中尉がいなければ適度な休憩をとっても怒られないし、仕事中に菓子を食べたりしても注意されない。更にはお前の好きなボインなお姉ちゃんの本も読みたい放題。そして! 仕事中にデートの約束を取り付ける事だって可能となる! いいか? 時間が合わなくてお前がいつもデートに誘えないとボヤいている花屋のお嬢さんともこれを機に親密な仲になることが出来るであろう!」
「マジッすか!」
可愛い可愛いあのクララちゃんとデート、と考えただけでハボックの鼻の下は伸びる。
「少尉、少尉っ。何大佐に感化されてるんですか! ダメですよっ、大佐の事よろしくね、って中尉に頼まれたじゃないですかあ~~」
隣で騒ぐフュリーの言葉にハボックはハッと我に返る。
いかん、いかん。危うくロイの甘言に乗せられてしまうところだった。
「大佐もですよ! そんな事してたら絶対に三週間後、中尉に怒られますよ!」
「ふふふ……。フュリー。未来の事は未来に考えようではないか。今は目先の幸福を追う事の方が重要なのだ!」
将来大総統になって国を変えようと目指す者の言葉とはとうてい思えない。
よっぽど抑圧されていたんだな……。
ハボックは涙目のフュリーと顔を見合わせた。
ダメだ。もうこうなっては彼女以外誰も彼を止められない。ハボックは三週間後に自分達まで監督不行き届きでリザから叱られると思うと今から憂鬱な気分になった。そこに。
「なんだよ、こんなとこで固まって」
邪魔だぞ、とか言いながらデカい体の同僚が部屋へと入ってきた。早速フュリーが泣きつく。
「聞いて下さいよ~ブレダ少尉い~! 大佐が…大佐が! 中尉のいらっしゃらない三週間の間、無法の限りを尽くすと言って聞かないんです! 司令部はあっと言う間に酒池肉林です!!」
話がずいぶんとデカくなっている気がしたが、あながち間違っていない気もしたのでハボックは黙っていた。
「ほっとけよ」
しかし、ブレダはフュリーの嘆きに取り合わずクールな態度を崩さない。
「俺達が何も言わなくても多分……四、いや三日後くらいには真面目に仕事するようになるだろ」
ハボックはブレダとは士官学校時代からの付き合いである、だから、この同僚がいい加減なその場限りの慰めなど口にしない事をよく知ってた。ついでに彼は自分よりもはるかに頭が良い。
「予言か?」
「いや、情報分析によるただの予想だ」
ブレダは肩を竦めると、さらりとそう言った。


「お前、やっぱり予言者だな」
三日後の朝、つまらなそうな顔しながらも真面目に仕事に励むロイの姿を見て取ってハボックは呟いた。ロイの傍らでは安心しきった顔のフュリーが不在の副官代わりの様な事をしている。
「なあ、ハボ。知ってるか。悪い事っていうのは取り締まられたり、ダメって言われる事やるから楽しいんだよ。自由にいつでも好きなだけできたら意味がないんだ」
ニヤリと笑いながらブレダが言う。
なるほど。そういうものなのか、とハボックは思う。そういえば自分も士官学校時代は教官に隠れてタバコを吸っていたものだ。タバコを吸いたかったのは事実だが、あの時は確かに隠れて何かをやるという事に楽しさを覚えていた……ああいう感覚だろうか。
「まあ、大佐の場合はそれだけじゃないだろーけどな」
「どういう意味だよ」
「どうでも良い女の顔は三日で飽きるって事だよ」
「はあ?」
意味が分からず問い返したが、同僚は何も答えずにただ笑っているだけ。
まあ、何にせよロイが真面目に仕事をするというのなら自分にはありがたいことだ。さあて、今夜こそクララちゃんとデートをするぞと意気込みながらハボックも己の仕事へと取りかかる事にしたのだった。



「どうしたの?」
「く~ん……」
まだ小さな黒犬は目の前に置かれた器のご飯を前に、少しだけ悲しそうに鳴いた。お腹が空いてないはずないのに、おかしいな、具合でも悪いのかな、とフュリーは心配になる。彼女が不在の三週間。リザに大切な家族の面倒を頼まれた身としては責任重大だ。
「本当にどうしたんだい? ハヤテ号……お前が元気がなかったら帰ってきたご主人様が悲しむよ?」
「どうした?」
フュリーが振り返ると、ロイが立っていた。
「大佐……ハヤテ号がなんだか元気がなくて」
「そうか」
ロイは膝を付くと、子犬の小さな頭を撫でる。そのまま赤い首輪のつけられた首や黒い毛に覆われた背をひとしきり撫でると。
「ハヤテ号……待て」
続けて、お手、おかわり、伏せ、と命じる。
子犬は主人の躾のたまものか、ロイの命令に全て忠実に従った。
そして、最後に。
「ハヤテ号……よし」
そう声をかけてやると。ハヤテ号は弾かれたように夢中でご飯にかぶりつき始めた。
突然の子犬の変化に驚きフュリーは目を丸くする。
そんな彼にロイは笑って、
「いつもご飯の時は中尉がこうやっていたからな。真似をしてみたんだ」
なるほど。ハヤテ号は普段と違うから戸惑っていたのかな、とフュリーは思う。
「ところで、曹長。こいつはずっと司令部にいるのか?」
「はい。僕が面倒を頼まれたのはいいんですけど家には連れて帰れないので……あ、僕がいない時は司令部の誰かがご飯をあげてくれています」
「そうか。……よし。私がこいつを連れて帰ろう」
「え? 大佐のご自宅に……ですか?」
「ああ」
ロイの意図はよく分からなかったが、確かにずっと司令部にいるのも子犬のためにもよくない気がする。
「では、お願いします。大佐。後で必要な物をお渡ししますね」
「分かった」
人間たちの会話を理解したのかしていないのか、空になったご飯入れの前で、子犬は二人を見上げてゆるゆると尻尾を振った。


「ほら、ついたぞ」
抱き上げていた子犬を下ろしてやると、ハヤテ号は早速部屋の中へとトコトコと歩いていった。そしてあちこちの匂いを確かめるようにフンフンと嗅いでいる。
初めて訪れる場所を警戒する様な素振りを見せるハヤテ号にロイは苦笑する。
「ああ、そういえばお前がここにくるのは初めてだったな……」
連れてきてかまわないーーとリザには言いおいてあるのだが、彼女は遠慮してまだこの小さな家族を伴ってロイの部屋を訪れた事はなかった。
「まったく、お前の主人は固いよなあ……」
子犬を抱き上げて一緒にソファーに座ると、ハヤテ号がく~ん? とまた一声鳴いた。
その声は昼間に聞いたのと同じく寂しげな響きを含んでいた。
「おまえ、中尉がいなくて寂しかったんだろ?」
当たり前だが子犬は答えない。ただその無垢な瞳でロイを見上げるのみだ。
「――私もだ、よ」
最初は厳しい彼女の目から逃れて息抜きが出来る――だなんて喜んでいたのだが、正直三日もすると彼女のいない時間に我慢ならなくなってきた。
サボって昼寝をしていると怒り顔で自分を捜しにくる彼女、デートの約束の電話をしているとちょっとだけ嫉妬した顔しながらもそれを悟らせまいとする健気な様子、お疲れさまです……とお茶を持ってきてくれた時の優しい笑み。
そのどれもが恋しくて仕方がない。気晴らしに行ったデートも三日で飽きた。今や、他にすることも思いつかなくなって仕事をしている有様だ。なにせサボりがいがない――。彼女が帰ってくるまで後どれくらいか……。ほんの後一週間足らずだというのにその時間が気の遠くなるほどの永遠に感じられる。
「あ、おい、どこへいくんだ」
その時、ロイの腕をすり抜けてハヤテ号は床におりると一目散にある場所へと向かっていく。
その小さな体が向かった先は、玄関口に置いてあるコート掛けだった。そこに置かれているある物に子犬は一生懸命飛びつこうとしている。
「これか?」
ロイはそれをコート掛けから外すと子犬に渡してやった。それはいつか彼女が忘れていったマフラーだ。
嬉しそうにそれにじゃれつくハヤテ号は尻尾を激しく振って喜びを露わにしている。
「……そうか。匂いが残っているんだな」
ほんの少しの彼女の残り香。それをこんなにも喜ぶ子犬を見ていると、ロイは少しだけ羨ましくなった。
「……私はもう、こんなものでは我慢ができないよ」
きっと彼女自身をこの手の中に抱きしめなければこの飢えは癒されないだろう。子犬のための寝床にそのマフラーを置いてやろうと心に決めながら、ロイはハヤテ号の頭をそっと撫でた。



三週間の研修を終えて、リザはイーストシティの中央駅にと帰り着いていた。最終の汽車に乗ったために既に時刻は深夜に近く、いつもは賑わっているこの東部のターミナル駅もさすがに人影はまばらだ。
白い息を吐きながら、コートの前を合わせる様にして汽車をおり改札へと歩く。
本来なら今日はこのまま直帰し明日司令部に赴くのが正しいのだろうが、そしてそうする様にと、汽車に乗る前に司令部にかけた電話でロイから言われていたのだが。
リザは家には戻らず司令部によって行こうかと迷っていた。
一刻も早く己の不在の間の状況を把握したいし、司令部にあずけたままのハヤテ号も気になる。しかし、一番の理由はロイの顔をただ見たいだけなのかもしれない。とそんな自分の思いに気づいてリザは苦笑した。
三週間の研修は終わってみればあっと言う間だったが、ずっと足りない物が一つだけあった。
いつも近くにいる人、ずっとそばにいたい人。
たかだか三週間だというのにずいぶんと自分には彼が欠乏してしまったようだ。
「きゃん!」
聞き慣れた子犬特有の甲高い鳴き声にリザは耳を疑った。そんなはずはない、と思いながらも周囲を見渡すと前方から小さな黒い塊がこけつまろびつリザの方に向かって駆けてくる。それは彼女の足下へとやってくるとその膝にじゃれついて尻尾を激しく振った。
「ハヤテ号?」
はしゃぐ子犬を落ち着かせようと持っていたスーツケースを置くと、リザはハヤテ号を抱き上げる。首筋を優しく撫でると子犬は甘えるようにリザの胸にすりよった。
「どうしてここに?」
「迎えに来たんだよ」
ゆっくりと声の主は子犬がやってきた前方から現れた。
「大佐!?」
夜勤のはずの上官が目の前にいた。
司令部を抜け出して来たのか、軍服に黒コートといった格好である。
「この汽車だと聞いていたからな。こいつと二人で待っていたんだ」
「そんな……大佐自ら迎えなんて。そんな事なさらずともよかったのに」
申し訳ないです、と恐縮するリザにロイは笑う。それは悪戯が成功した子供の様な笑みだ。
「気にするな。君のためじゃないからな」
「え?」
「……私が君に早く会いたかったんだよ」
言うなりリザはロイに抱きしめられる。胸の間で子犬がくうと声を上げた。
「ちょ……大佐。こ、こんなところで……」
「大丈夫。もう人なんかいないよ」
最初は難色を示していたリザだったが、ロイが解放してくれる気がないと悟り、諦める。何より、彼の腕の中の暖かさはリザの抵抗を奪ってしまう、麻薬だ。暖かくて、心地良い。
「君がいない生活にはもうこりごりだ。三日も保たないよ。まったく、他にすることがなくてうっかり真面目に仕事をしてしまった」
「……いい事ではないですか」
「そうか? 真面目なロイ・マスタングなんてつまらないだろう?」
ロイの軽口にリザは笑って。
「あら、私は真面目でも不真面目でもどちらも好きですよ?」
「そうか。ではたまには真面目になろうかな」
どこまで本気か分からない口調でロイも笑い返してくる。こんないつも通りの他愛ないやりとりでさえリザの胸は幸福に満たされていた。
――胸に抱いた子犬が主人を求める様に、自分にも帰る場所があるのだ。
「おっと、忘れていたな」
ロイはそう呟くと、リザの顔をのぞき込む。そして見つめ返してくるその鳶色をしっかりと見つめて微笑んだ。
「おかえり、リザ」
「……ただいま、です。大佐」
人影途絶えた駅のホームで男女は時を忘れて再会を喜び合い、そして腕の中の子犬がまた一声くうと鳴いていたのだった。




END
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by netzeth | 2012-06-16 22:37 | Comments(0)