うめ屋


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ルナティック

月の満ち欠けは女の身体を支配している――という話を聞いた事がある。人間の身体の約60%は水分であるので、月の引力で海の満ち引きが起こる様に、人の身体にも何らかの影響を及ぼしているのではないか――という説だ。そして、とりわけその月の影響を受けやすいのが女の身体だというのだ。事実、月経周期は月のそれと密接に関係しているとか。私は科学者でも天文学者でもまして錬金術師でもないから、真偽のほどは分からないけれども。あながち間違っていないのではないか――と考えている。
今宵は満月。私の中の女が目を覚ます。そう、さながら潮が満ちるように……。


朝からざわざわと落ち着かない身体を私は持て余しながら、いつも通りに出勤した司令部。特に表面にそれを出していた訳ではないが、聡い者、勘が良い者というのはどこにでも存在する。
「どうしたんです、中尉。お疲れですか? もしかして寝不足とか」
今日一日のスケジュール確認をしていた私に声をかけてきた者がいた。振り返ると恰幅のいい体格をした部下が私の顔をじっと見つめていた。疲れてなどいないし、ましてや寝不足でもない。だが、私は彼の言葉に頷くと。
「そうなの。昨日ちょっと本を読んでいたら夜更かししてしまってね」
自己管理がなってないわね、と苦笑を浮かべてみせてやる。
「ああ、俺もよくやりますよ」
彼もまた私の言葉に納得した風に笑みを浮かべるが、本当に私の言葉を信じているのかまでは私には分からなかった。まあ、彼は頭も良く気配りの出来る男だから、例え気づいてもそんな事口には出さないだろう。その辺りがもう一人の金髪の少尉とは違うところだ。
「ところで大佐は? もういらっしゃってる?」
「ええ。実はさっき急遽軍議が入って、慌てて出ていきましたよ」
「そう。ならお戻りになる前に今日分の書類の整理をしてしまおうかしら」
そんな事を呟きながら私はこの勘のするどい男に別れを告げて、彼の執務室へと歩きだした。
そして頭の中からこれまでの会話を綺麗さっぱりと追い出して、再び朝からずっとこの胸を占めている事柄へと思いを巡らしていると。執務室へと向かう途中で会議から戻ってきたらしい彼と私は会った。何人かの部下を伴って歩く貴方。会議はずいぶんと早く終わったようだ。
私を認めて、早速歩きよってくる貴方に私はポーカーフェイスで語りかける。
「大佐。お電話がありまして、ご伝言を預かっております」
「ん? 誰からだ?」
「はい。エリザベスさんという女性から」
虚をつかれたように、彼は一瞬だけ私をまじまじと見た。しかし、それは本当に一瞬の事。また女かよ…と呆れ顔の周囲の者達はまったく気づいていない。
「……聞こう」
「今夜8時。いつもの場所で。だそうです」
「分かった」
彼は間髪入れずに頷いた。その間も私は表情を変えなかった。


「やあ、待たせたね。エリザベス」
とあるバーのカウンターで一人カクテルを楽しんでいると、彼は時間より5分遅れで現れた。
「遅いわ、ロイさん。女性を待たせるなんて紳士のする事ではないわね」
「すまない。何しろ久しぶりに君に会うんだからね、支度に手間取ってしまったのさ。……今夜の君はとても綺麗だ、エリザベス」
黒いカクテルドレスに身を包んだ私を彼は大仰な言葉で誉めたたえる。まるで、遅刻に拗ねた女の機嫌をとるように。そんな彼の意図なんてお見通しだったが、私はあえて乗ってやり、機嫌を直してやる事にした。――エリザベスというのはそういう女だ。
「ふふふ。貴方に会うからうんと綺麗にしたのよ?」
「嬉しいね。そんなに私が恋しかったのかな?」
「もう、そんな事聞かないでも分かっているでしょう? ロイさんの意地悪」
隣に座る彼から視線を外さずに、私はじっと彼の瞳を見つめていた。彼と私のロイさんとエリザベスごっこ。この虚構のお遊戯会のような時間を彼はどう思っているのか。それを知りたい気もするし、知るのがとてつもなく怖い気がする。
月に一度、月が真円を描く日。私は彼を呼びだしてエリザベスとして彼とデートをする。こうやってバーで飲んでから彼の部屋へと行くのがいつものパターン。彼は決して紳士的な態度を崩さないし、私をあくまでもエリザベスして扱う。そして私も彼の前では軍人リザ・ホークアイではなくロイを愛する女エリザベスとして振る舞う。それが終わりを告げるのは夜明け前の事だ。彼に抱かれた私は彼が目を覚まさぬ夜明け前には必ずその腕の中から抜け出して、部屋を去る。一緒に朝を迎える事は決してない。それがルール。
彼が軍人リザ・ホークアイにその事について言及した事は一度もないし、それは私も同様だった。これはあくまでも一夜の夢でなければならない事なのだ。エリザベスは幻の女。そう、これは満月の夜に狂わされた女が、その精神のバランスを保つために男を求める。ただそれだけのこと。
彼の肩に甘える様にもたれ掛かって、私は自分の中の女が満ちていくのを感じていた。
「今夜はやけに甘えんぼだね、エリザベス」
「だって、本当に久しぶりなんですもの……」
先月の逢瀬の日は大きな事件があり、私はこのエリザベスとしての時間を持つことが叶わなかったのだ。
「仕事が忙しくてすまないね。君をずいぶんと寂しがらせてしまったようだ」
「いいのよ。だってロイさんは立派なお仕事をしているんですもの、仕方ないわ」
「ははは、サボるとこわ~い副官に怒られてしまうからね。彼女は厳しい人なんだ。でも、恐いだけじゃない。優しいところもあるんだがね」
その言葉に私はぐいっと彼の耳を引っ張ってやった。
「私と二人きりの時に他の女の人の話をするなんて、ヒドい人」
「こらっ、エリザベス。痛いじゃないか」
咎める声とは裏腹に彼の顔はニヤニヤ笑っている。
わざとだ。
彼はわざと副官の話題を出してきたのだ。私の反応をみるために。それはエリザベスの? それともリザ・ホークアイの方の? だとしたらそれはルール違反だ。
今夜、リザ・ホークアイはここに存在していないのだから。
彼への意趣返しを込めて、私はとある事を思いつく。にっこりと笑ってから、彼の耳へと唇を近づけて囁く様に声を流し込んだ。
「じゃあ……私とそのこわ~い副官さんとどっちが好き?」
「エリザベス?」
「ねえ、答えて?」
さあ、なんて答えるのロイさん?
貴方はかつて私に言った事がある、私に対しては決して嘘は言わない、と。それはエリザベスである今の私にも有効なのかは分からないけれども。でも少なくとも貴方がこの問いに答える事で必ず貴方はどちらかの私を裏切る形になってしまう。エリザベスを好きと答えれば、副官リザ・ホークアイを。副官リザ・ホークアイを好きと答えればエリザベスを。
少しだけ彼を困らせてやろう、と思っただけだった。意外に言葉を重んじる純情で誠実な貴方へのほんの少しのイタズラ。
でも、きっと今の彼なら、ロイさんとエリザベスごっこの最中の彼なら、「もちろん、君だよ。エリザベス」と答えるはずだ。そして、私は彼を許してめでたしめでたし。でこの問答は終わるはずだ。けれど、見つめた彼の瞳には驚くほど真剣な色が宿っていた。その強い眼差しで私を捕らえて話さず、彼はおもむろに口を開いた。
「もちろん、君だよ……」
ほら、やっぱり。
「リザ」
私は目を見開いた。
それは反則だ。重大なルール違反だ。貴方と私のロイさんとエリザベスごっこの根底を覆してしまう、この甘くて堕落した居心地の良い夢をつき崩してしまう。
声もなく私はただ呆然と彼の顔を見る。ほんの一時だけ私たちは見つめあった。しかし、彼はすぐにくしゃりと破顔すると。
「はは、突然愛称で呼んだから驚いた? エリザベス」
そう。そうやって誤魔化すの。
彼の一言で、危ういところでこの時間の均衡は保たれた。しかし、私の中で確実に何かが変わっていた。
今の言葉は間違いなくエリザベスに対しての言葉ではなかったからだ。彼の言葉はこの場にいないはずの、いてはいけないはずの女へと向けられていた。
彼の中で、私……リザとエリザベスの区別がついていないなどとあってはならない事なのだ。リザ・ホークアイとエリザベスはあくまでも別の女。エリザベスの紡ぐ睦言を、情事の中での言葉を、リザ・ホークアイの言葉だと捉えられては困るのだ。
「帰るわ、ロイさん」
私は席を立った。
彼は引き留めては来なかった。
次の逢瀬がいつになるかは分からない。私の中の女が満たされないと訴えていたけれども。
だが今夜はダメだ。このまま彼に抱かれたら、私はきっと朝まで彼の腕の中にいることを望んでしまうから。
そして、私は自嘲の笑みを浮かべる。リザ・ホークアイとエリザベスの区別がついていないのは、実は私の方かもしれない、と。
今宵は満月。狂気に堕ちるにはかっこうの夜。しかし、彼がそれをエリザベスを望んでいないのだとしたら……私はもう逃げるしかない。軍人リザ・ホークアイは上官ロイ・マスタングを愛してはいけないのだから。




END
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by netzeth | 2012-06-22 00:55 | Comments(0)