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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

雨雨ふれふれ

雨の匂いがする――。
裏庭で採れたトマトの皮を湯剥きしていたリザはその匂いに気づくと反射的にキッチンの小窓から外を見た。
ほんの少し前まで真夏の太陽がギラギラと照りつけていたのに、リザが料理に夢中になっている隙に空はすっかり雨雲に覆われてしまったようだ。熱せられていた大地を冷やす様に大粒の雨がそれを濡らしていく。焼かれた土から香るのは真夏の雨独特の匂い。
これは強く降るだろうとリザは思った。
そして次の瞬間リザの脳裏に浮かんだのは、干しっぱなしにしてある洗濯物の事でもなければ開け放たれている家の各部屋の窓の事でもなく、今日訪問予定の父のお弟子さんの顔だった。
「マスタングさん……きっと傘持ってないわよね?」
頭は良いくせにどこか抜けたところがある彼はこういう部分にはとんと気が回らない。
そう、彼はその日の雲の動きや風や湿度で雨を予報する知識を持っているくせに肝心の傘を持ってくるのを忘れる様な人なのだ。
それはリザの父にどこか似ていて、最近リザは自分が彼の面倒をみなければ…という妙な使命感をあの年上の少年に持つようになってしまっていた。
もちろん彼だって子供ではないのだから、駅に着いて雨が降っていたら雨宿りくらいしてから来るだろうとは思う。
わざわざリザが迎えに行く必要なんてないのかもしれない。
けれども、もし雨が止まなかったら?ずっと降り続いて夜になってしまったら?そんな事を考えてしまったら居てもたっても居られなくなってしまって、リザは素早くエプロンを脱ぐとキッチンを出た。


お洗濯物を取り込んで、全ての窓を締め終えてからリザは傘を持つと足早に街へと向かった。その間にも雨は激しさを増して、坂を流れていく様はまるで滝のようだ。
滑らない様に注意しながら、リザはなだらかな坂を下っていく。しばらく歩くとようやく街が見えてきてリザはホッとした。
さて、ロイはどこで足止めをくっているだろうかと考えて、とりあえず駅へと向かう事にした。途中で降られたならばその辺りの軒下に、駅を出る前ならば駅舎にいるだろう。
駅へ向かう道すがら、急な雨に立ち往生している人々の雨宿りしている姿を目撃する。その中に見知った黒髪はないかリザは注意しながら歩いて行くと、数メートル先の喫茶店の前でそれらしき後ろ姿を発見した。
良かった。ちゃんと見つけられた。
なんだかとても嬉しくなって、すぐに声をかけようとリザは彼に近づいた。
けれどもリザがマスタングさん、と呼びかけるより早く彼に話しかけた者がいた。それはロイの隣で同じく雨宿りをしていた女性だった。
「ねえ、君一人?」
「え? あ、はいそうですけど」
ロイより年上に見えるその女性はピンク色に塗られたその唇に笑みを浮かべて。
「そう。良かったらこの喫茶店に一緒に入らない? この雨、いつになったら止むか分からないし。立ちっぱなしも難だし。話し相手になってくれるなら、お茶の一杯くらいご馳走するわよ?」
リザはその場に立ちすくんだ。背を向けているのでロイはリザに気づいていない。さっさと声をかけようと思うのに声は出て来なかった。
「ね、どう?」
魅力的な美人のお姉さんに声をかけられたら、普通の男の子だったらきっと喜んでついていくに違いない。
だから、リザは黙っていた。せっかくロイを迎えに来たけれども、彼にとっては絶対に綺麗なお姉さんと楽しくお喋りする方がいいに決まっている。自分が余計なお世話をして彼の邪魔をしてはいけないのだ。
どうしてか分からないけれど、キュッと胸が痛くて、苦しい。
ロイがお姉さんについて行くのを見たくない。リザはその場で回れ右をしようとして、けれども聞こえてきたロイの言葉に動きを止めた。
「せっかくのお誘いですが、遠慮させて下さい」
「あら? 私とじゃ嫌?」
「いいえ、そうではないんですが……店に入ったら俺がここに居るのが分からなくなってしまうので」
「ああ、なんだ。もう先約があるって事なのね」
「ちゃんと約束している訳じゃないんですけど……多分迎えに来てくれるような気がして」
「そう。……早く来てくれると良いわね」
女性はロイにじゃあね、と言い残して喫茶店の中に入って行った。後に残されたロイは雨空を見上げるとぐるりと首を巡らす。
「あ」
そして背後に立っていたリザにようやく気づいた。
「リザ!」
そして彼は本当に嬉しそうに笑った。
「やっぱり来てくれたんだね」
「やっぱりって、何ですか。やっぱりって」
「いや、待っていたら君が来てくれる気がしてさ」
「甘えるのもいい加減にしてください。私が来なかったらどうするつもりだったんですか」
「う~ん、考えてなかったな……。だってリザ、ちゃんと来てくれたし」
「もう!」
それじゃ答えになっていません!とリザはロイを叱るふりをした。そうでもしないと自分は嬉しさで口元が今にも綻んでしまいそうだったのだ。
ロイがお姉さんの誘いを断って、来るかどうかも分からない自分を待っていた事がどうしてこんなに嬉しかったのか、この時のリザにはよく分かっていなかったけれども。
「ほら、さっさと行きますよ」
「うん」
そして持っていた傘をロイに渡そうとして、そこで己の恥ずかしい失敗に初めて気づくとリザは思いっきりその場で赤面したのだった。


リザがその場所に着くと、彼は優雅に脚を組んでお茶を飲んでいた。時折後ろの席や前の席に居る若い女性達へと手を振っていたりする。
リザは渋面を浮かべると傘を閉じて、ロイの席へと向かった。
「や、早かったね。中尉」
「大佐……あれほど雨の予報が出ている時は傘をお持ち下さいと言ったではないですか……」
「うん。そうなんだけどな。つい、忘れてしまったんだよ」
悪びれる事なくロイは笑うと、クイっとティーカップの紅茶を飲んだ。
約束の時間になっても来ない、そして外は昼過ぎからの雨。嫌な予感がして見に来てみれば案の定だった。
やはり彼は雨が止むまで雨宿りをしていたらしい。
「まあ、待っていればきっと君が来てくれると思って」
思考回路が昔から全然変わっていない、と、頭が痛くなって、リザは半眼でロイを睨みつけた。
「……私が来なかったらどうするつもりだったんです?」
「考えてなかったな。そんな事有り得ないし。現にほら、君きてるし」
変わっていないという前言を撤回する。
昔に比べて確実に可愛げが無くなっている。絶対に来ると自信満々な所とか、外の席とはいえ優雅にカフェで茶を飲んで待っている所とか特に。
「もう! さっさと行きますよ」
ロイに持っていた傘を渡して促すと、彼はあからさまに不満そうな顔をする。
「あれ? 傘二本?」
「何かおかしいですか? あなたと私で一本ずつ、です」
「昔は迎えに来たのに自分でさしてきた傘を一本しか持ってこなくて、結局相合い傘で帰った事があったじゃないか……」
「……それが何か? 同じ失敗を二度するつもりはありませんが」
「……君、可愛げが無くなったな……」
ぼそりとボヤくように言うロイに、その言葉そっくりそのままお返ししますと言いおくと、もうロイの事など振り返りもせずにリザは己の部屋へと来た道を戻り始めた。
後ろからコラッ待ちたまえ!というロイの声が聞こえてくる。
それを適当に聞き流しながら、それでもやっぱりロイを迎えに来てしまう自分だってあの頃とちっとも変わっていないのだな、とリザは可笑しくなってくすりと一人笑うのだった。




END
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by netzeth | 2012-08-02 23:29