うめ屋


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by netzeth
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その名は1


そんな風に考えるようになったのが何時の頃からだったのかは、私はもうよく覚えてはいないのだけれど。


それは静かな夜だった。三日月が空の中天に輝く、穏やかな夜。
珍しいわね。
東方司令部司令官執務室の大きな窓からその姿を見上げて、私はそう独りごちた。軍部に居ながらこんなにもゆっくりとした時間を過ごしているだなんて、非常に珍しい。いつもは月など見上げる暇などなくただただ仕事に忙殺されているというのに。
けれども。
ゆっくりとした時間が流れる周囲の状況とは裏腹に、私の心はひどく揺れていた。それというのも、私の上司が仕事の大半を残して退勤してしまったからである。彼――ロイ・マスタング中佐が書類に目を通してくれなければ私は仕事を進めようがない。つまり私が今、ぼんやりとすることもなく月なんて見上げているのは、彼のせいであるのだ。
私を見下ろす三日月の白い光を浴びながら、私は部下を残してあっさりと帰ってしまった男に思いを馳せた。
「今日はジョセフィーヌ嬢とデートなんだ」
まだ仕事を終えていないと訴えた私にそう、言い放った彼。多分そこはふざけるなと副官として怒って良い場面だった気がするが、私は中佐を行かせてしまった。この時、私は部下として上司の不真面目さを糾弾すべきだったのかもしれない。実を言うと、彼がデートだと言って仕事の途中で帰ってしまった事は一度や二度ではない。そして、その度に私は中佐を止めることが出来ずにいた。
最初はおそらく、彼に対する遠慮があったのだと思う。イシュヴァールから帰還して改めて上司部下となった私と彼の関係は、まだ円滑なものとは言い難いものだった。かの地にて経験したこと、私と彼の間に横たわる罪と罰。それらの事はいかに一度彼との関係をリセットして、リザ・ホークアイ個人としてあの人と向き合っても、すぐに解消されるような簡単なものではなかったのだ。それはきっと、時間という万能薬が必要とされるたぐいの問題だった。
しかし。
時を経て、ようやく私と彼との間からよそよそしい遠慮がぬぐい去られ、上司部下としての私たちらしい関係が形成されても。私はデートに赴く彼を止めることはしなかった。期限付きの書類がまだ残っていても、中佐を送り出していた。それは、普段の彼の激務を知っていたからこその、たまの息抜きくらいかまわないだろうという部下としての気遣いのつもりだった。だが、そうのうち私は気づいてしまったのだ。そうやって彼を見送る度に、いつしか心に鈍い痛みが走るようになったことに。
何故だろう。
今、この瞬間も私はデートと口にした時の彼の楽しげな笑みを思い出している。そうすると不思議と体から気力が抜けて、何もかもどうでもよくなってしまう。だから私は何もせずに、職務放棄を彼のせいにしてこうやって月を眺めているのかもしれない。
見上げる月を彼に重ねて。私はそれを睨み付けた。
「……私に何をしたんですか、中佐」
当然ながらそんな呟きを聞くものは誰もおらず、言葉は周囲の闇に紛れて消えていく。私は上司に抱くにしては不可解過ぎるその気持ちを胸に抱いて、ただ、月を見上げていた。


その名は2


状況が変わったのはそれから一月もしない頃の事だった。
私は不覚にもこじらせた風邪から復帰したその日、信じられないものを見た。
「……今日って雪だったかしら?」
それは朝から真面目に仕事に打ち込む上司の姿だった。もちろん、彼はやる時はやる人であるから、それだけだったならばそう珍しい光景でも無かったのだが、中佐はその日から仕事を放り出してデートに行くこともしなくなったのだ。朝から晩まできっちりと仕事をこなしてから帰る……そんな日々が続いていた。最初は副官として真面目になった上司に単純に驚いていた私だったけれど、それが一日、三日、一週間、十日と続いていくうちに、またも心が揺れるようになった。
どうして突然真面目になったのか。彼の動機も謎であったし、何より彼が有能になってしまったことにより私の仕事は驚くほどに減ってしまったからである。いや、こちらが正常であるというのは理解している。けれど、何でもかんでも彼が一人でこなしてしまうようになったので、私は私の副官としての存在意義に疑問を持つようになってしまったのだ。仕事が楽になって不満を持つなんて、馬鹿げたことかもしれない。しかし、私は急に自分が手持ちぶさたになってしまったような気がして、不安だった。彼にとって自分が必要でない存在かもしれない……そんな風に考えてしまうようになった。……そして、それは私にとって一番怖いことだった。
だから、私はこう考えた。――彼に前みたいに、仕事をサボってデートに行ってしまうような無能な上司に戻って欲しい、と。そしてそう考えてしまった己に愕然とした。部下としてあるまじきことだ――ということだけではない。彼に必要な自分でありたいから上司が無能であることを願うなんて、それは、もう、ただの部下とは言えない思考ではないのか、と、気づいてしまったからだ。
間違いない。そう、この時私は気づいてしまったのだ。
私は彼を上司以上の存在として見ていることに。
幼なじみ? 兄? 父の弟子? いや、違う。そのどれにも当てはまらない。――その存在に付けるふさわしい名を、私は未だ知らない。



その名は3


「少尉?」
あの日と同じ三日月の夜。私は中佐の執務室へと赴ていた。
今日も変わらず彼は真面目に仕事をこなしていたようで、既に机の上には処理されていない書類は残っていない。
「お疲れさまでした、中佐。どうぞ」
淹れてきたお茶を彼の前におくと、中佐は口元を綻ばせた。
「ああ、ありがとう。気が利くな」
彼はティーカップに口を付けるとじっくりと味わうようにそれを飲み下し、うん、美味い。と満足そうに笑っている。
……ああ、近頃はこんなささいなことにまで心が揺れる。
さりげなくそんな彼の笑うと少年っぽい表情を盗み見しながら、私は今夜、彼に確かめようと思ったことを口に出す。
「……中佐」
「うん?」
「……どうして急に真面目に仕事をなさるようになったのですか?」
私の問いに彼はそれまでの笑みを引っ込めて、ちょっと決まりの悪そうな顔をする。その理由は彼にとって答えにくいような事柄なのだろうか?
しかし、引くつもりの無かった私はじっと中佐の目を見つめた。何故かこうすると彼は昔から私に口を噤めなくなる。
「そ、それはだな……」
「それは?」
「……私が真面目にやらなかったせいで君に負担を強いてしまったと思ってな」
意外な答えに私は目を瞬いた。
「君、少し前に風邪で休んだだろう。君は関係無いというかもしれんが、私の不真面目さの結果が招いたことだと私は思ったんだ……」
――つまり中佐が語ったその理由は、全て私の為だったというのか。
彼の言葉を理解した瞬間、私の胸にこみ上げた気持ち。それは正体不明のものだった。けれども、彼がデートに行ってしまう度に、その背を見送る度に、抱いてきたかすかな痛みとそれは似ていた。それは方向は違うけど同じものだ。
「中佐……」
私は彼にゆっくりと近づいた。
迷ったり、悩んだりは性に合わない。確かめるというならば、早い方が良い。
中佐の前に立った私はゆったりとした動作で彼に手を伸ばした。何をされるのか分かっていない彼は唖然と私を椅子の上から見上げている。その頬に両手をかけると、私は素早く腰を屈めて、そして彼に口づけた。中佐の体が驚きに強ばっている。けれど私はかまわずにその行為を続けた。
驚いたことに、胸の奥が熱くなると同時にそれまでの乱れが収まって、穏やかで温かなものがそこに満ちていた。
しばらく行為を続けて、そして私はまたゆっくりと顔を離した。
「少尉……一体何を……」
「ちょっとした実験です」
「じ、実験?」
「はい。もう、分かりました。ご協力ありがとうございました」
まだ状況を理解していない中佐は目を白黒させている。顔には疑問符を張り付けて、物言いたげに私を見つめている。……何が言いたいのか分かっている。何が分かったのか、でしょう?
そう、私はここでようやく、確信したのだ。
彼は上司では無い。キスだけでこんなにも胸を、体を熱くさせる存在が、穏やかで温かい気持ちをくれる存在が、ただの上司であるはずがない。
彼は上司以上の存在――これは既に出ていた答え、だ。では、彼は、上司以上の――。
「少尉……その…いまのは、その……説明してくれ……」
そして、しどろもどろにそんな事を言う彼に笑みを向けて、私は私の確信を彼に告げることにする。
「貴方は……私にとって上司以上――の大好きで愛する人ってことです」
この時の、目を剥いた彼の顔は見物だった。



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by netzeth | 2013-04-03 00:31 | Comments(0)