うめ屋


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by netzeth
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誤算

その唇にもう少し彩りが添えられたならば、とても美しいと思ったのだ。


「君、化粧はしないのか?」
何気なくを装って切り出された私の問いに、彼女はきょとんとした顔をして見せた。そんな顔をすると幼さが際だつその可愛らしい面差し。
「化粧ですか?」
小首を傾げた彼女――ホークアイ少尉は化粧という言葉をまるで初めて聞いたとばかりに不思議そうにしている。彼女ももう二十歳になろうかという年齢である。女性としてまさか化粧方法を知らないという訳でもあるまい。……まさか知らないのか?
そう不安を覚えた私は恐る恐る訊いてみる。
「そう、化粧。……君だって化粧品や化粧道具の一つや二つ持っているだろう?」
「いいえ?」
――そのまさかだった。
私の問いを間髪いれずに否定した少尉は、やはり不思議そうにこちらを見るばかりで。おそらくその事の重大性を理解していない。
「君……ほんっとーに、一つも持っていないのか?」
「はい。特に必要がありませんので。…あ、友人に貰った鼻毛カッターは化粧道具に入りますか?」
「いや、それはノーカウントで」
「そうですか……」
何故か残念そうに肩を落とす少尉。……君が鼻毛カッターを使う所を想像してしまった私の方が非常に残念だ。
それにしても普段の化粧っけのない彼女からして、私は予想して然るべきだったのかもしれない。ホークアイ少尉はまったくそういった女性らしい事に興味が無いのだと。確かに彼女の白い肌は何もせずともきめ細かく滑らかで、眉は美しい弧を描き、睫毛はバサバサ。そして唇は健康的なピンク色をしている。化粧などしなくても十分に女性として魅力的だろう。
だがしかし。
大人の女性の教養として、化粧技術くらいは知っておいた方が良いと私は思うのだ。
「あー…ホークアイ少尉。その、どうして化粧をしないのかね?」
いや、君は化粧しなくても十分に美しいがね? と言葉を続けつつ少尉に尋ねる。
「どうしてと言われましても……何度も言うようですが特に必要性を感じない事も理由の一つですし、それに……」
「それに?」
ちょっと言いづらそうに言葉を切った少尉に、先を続けるように促してやる。
「……化粧品や道具は高いんです。正直そんなものを買うくらいなら、ちょっと高級なお肉を買って来て食べた方がいいです」
お肉はいいです……この身の血となり肉となります…! と力説するホークアイ少尉。いや、そんなうっとりした表情で語られても。……ここまで色気皆無なのも年頃の女性としてどうかと思うぞ。
「そうか…うん、肉の有用性についてはうん、私も認めるが……それでも化粧が無用という事はないと思うぞ? 特に君くらいの年齢の女性には必要なものだと思うのだがね」
「それは…中佐の司令官としての戦略的観点からのお言葉でしょうか?」
うん? また妙な事を言いだしたな。……と、思ったが深く追求するのが面倒だった私は彼女の言葉を肯定する。
「そうだ」
重々しく頷いてやると、ホークアイ少尉は難しい顔をして考え込んでしまった。おそらく真面目な彼女の事だ、仕事に少しでも関係するかもしれない事柄を無視する事は出来ないのだろう。
……正直私が少尉に化粧をして欲しいと思ったのは、もっと美しくなった彼女が見たい――という超個人的な理由からである。そんな風に真剣に受け止められて悩まれると、少し罪悪感に駆られる。
「あ――少尉。難しく考えなくても良い。私はただ一般的な女性の身だしなみとしてだな……」
そんなに極端に受け取らなくても良い、肩の力を抜けと言おうとした私の言葉を遮って。
「いえ…確かに……。中佐は東方司令部の実質的な司令官です。謂わば、
この東方司令部の顔。その中佐の副官である私が化粧もしないで顔を晒すなどあってはならない事……まさしく失態、司令部の恥……そうですね?」
「いや……そこまで言っては……」
「了解しました、中佐。ホークアイ少尉、化粧をいたします!」
少尉は何かに夢中になると人の話が耳に入らなくなる。良く言えば一途、悪く言えば視野狭窄。いや、私も人の事を言えたもんじゃないが……。
びしっと敬礼を決めた彼女は、早速失礼します! と元気良く執務室を出て行いった。……止める間も無かった。
――あれは絶対に化粧品を買いに行ったな……。
猪突猛進に突っ走り始めた彼女を止める術を知らない私は、仕方なく少尉を見送った。……その手の中に渡しそびれたルージュを握りしめながら。


仕事が速いのは良い事だ。特にホークアイ少尉の物事に対処する能力は非常に優秀である。彼女は今回もそれを遺憾なく発揮してくれた。
私が少尉に化粧の事を訊ねてから三日もしないうちに、彼女は完璧な化粧をして出勤してきたのだ。
整えられた眉、ビューラーにマスカラを重ねてくるんとカールした睫毛、アイシャドウ、薄くあくまでもナチュラルにファンデーションを塗った肌。そしてピンクベージュの落ち着いた口紅。
それは東方司令部司令官の副官に相応しい化粧であった。……まあ、軍人と言うよりも仕事の出来る有能な女秘書といった感じだったが。
私の思ったとおり、化粧を施した彼女は素晴らしく美しかった。そりゃあもう。私は彼女が朝出勤して来た時ぽかんとその口をバカみたいに空けて見とれてしまったし、それは司令部の他の野郎共も同様だった。彼女が歩くとすれ違う野郎共は皆振り返って二度見していた。
「少尉。……早速化粧をして来たんだな?」
「はい。大佐にご指摘を受けてから、女性向け雑誌を何冊か購入しまして情報収集をしたところ、女性は当たり前に化粧をするものだと理解しました。今まで私はあまりに無頓着だったのだ…と認識を改めました次第です」
「それにしても…女性は化粧で化けるとは良く言ったものだな。君の化粧は完璧だ。……美しいよ」
それは私の心からの賞賛だった。
ほんの数日前まで化粧品すら持っていなかった女性が、これほど短時間で完璧なメイクをしてくるにはそれなりの努力が必要だっただろう。そしてホークアイ少尉は努力家で頑張り屋なのだ。
「お誉めに預かり光栄です!!」
ライフル射撃姿勢のプローン・ポジションを誉めた時とまったく同じ反応で、少尉はびしりと敬礼を決めた。化粧をした姿には少々不釣り合いに見える。それほどに少尉は美しかった。そして、私はますますポケットに忍ばせているそれを渡しにくくなる。
少尉に似合うかなーと思って思わず買ってしまったルージュ。彼女が今しているものに比べれば少々華やかで、可愛らしい色合いのそれ。そもそも少尉に化粧をしないのか? なんて訊いたのも全てはそのルージュをプレゼントしたかったからである。だが、今の完璧な大人のメイクをした彼女に、それはどうにも見劣りしているように思えてしまった。
「それじゃあ美しい副官殿を連れて視察に出かけようかな?」
「はい。本日の予定では……」
だから私はそんな風に誤魔化して笑うと、ポケット仕舞われているそれについては忘れる事にした。


街を歩く私に浴びせられたのは、美しい女性を連れて歩く男への羨望とやっかみの眼差しだった。
それを優越感を持って受け止めながら、私は少尉を連れてシティの視察へとやって来ていた。本日の予定は、軍で請け負っている公共工事の進み具合の確認とそしてシティの要人との食事である。
一見滞りなくその予定をこなしたかに見えた私達だったが、私はその際に決して見逃せない場面を目撃してしまったのである。
それは私が工事現場の監督者と話をしている最中の事だった。
話をしている私から少し離れた場所に少尉が待機していた。彼女は私の護衛も兼ねているから、おそらく周囲の警戒していたのだろう。
するとそこに工事現場で働いているらしい若者が近づいて行った。最初は警戒していた少尉も彼が怪しい人物ではないと判断すると、普通に会話をしていたようだった。まあそれだけならばなんて事のない話なのだが。しかし、少尉に話しかける男は彼だけに終わらなかったのである。私が見ている間だけでも6人。おそらく私の視界に入っていない所でも他に大勢居た事だろう。普段の視察でも少尉が男に人気なのは知ってはいたが…この日、その人数は倍増…いや、激増したのである。
当然私の心は穏やかでは無かった。仕事中の少尉がそんな男共を相手にする訳はなく、素っ気なくあしらっているのを目撃していても。それでも、どこの馬の骨とも知らない男が少尉を見てデレデレしているのが気に入らなかったのだ。
そして、少尉の人気はここだけでは終わらなかった。その後の昼食会のレストランでも、そこを出てただ道を歩いているだけの時でさえも。私がそばを離れたほんの一瞬の隙をついて、まるで花に群がるミツバチの様に、男達は少尉に言い寄っていたのである。
もう何回めか分からないナンパを受けている少尉に私は近づいた。軍服の彼女には怯まないくせに、私を見ると途端に少尉に話しかけていた男はそそくさと逃げていく。……まあ、私も鬼の形相をしてる自覚はある。
そんな私の様子になどちっとも気づいていない少尉は呑気に言った。
「あ、中佐。もうご用はよろしいのですか?」
「ああ」
……正直君の事が気になって、所用を済ませるどころではなかった。まったく油断も隙も無い。
「君の方こそ親しげに話をしていたようだが……?」
「あ、お気づきになりました? ふふ、なんと私ナンパをされてしまったみたいで」
私の皮肉になんてこれっぽちも気づかずに、少尉は誇らしげに言う。……これだけ声をかけられていて気づかない訳なかろうが。
「お化粧ってすごいんですね。私こんなに道で人に声をかけられたのは初めてです。ものすごく注目されるものなんですね」
うん、それ、君だけだから。彼女は相変わらず自分がものすっごく可愛いって事に自覚がないから困る。きっとナンパに対しても全然危機感なんてもってないんだろうな。ちょっとモテモテさんな私☆くらいにかる~く考えているに違いない。私には君に声をかけた男共は皆飢えた狼に見えたがね。
「……やっぱり君、化粧禁止。しなくてよろしい」
「え!? どうしてですか!?」
半眼で告げた私に少尉は驚いて目を丸くしている。
「どうしても、だ!!」
……今回の事はただ美しい少尉が見たいという事しか頭に無くて、このような事態を想定出来なかった私の誤算である。誤算も誤算、大誤算だ。悪い虫が寄って来て花が荒らされてしまう前に、然るべき手を打たなくてはならない。
「せっかくお化粧、楽しくなってきた所でしたのに……」
と少しムクレている少尉。
どうやら私の言いつけに逆らうという選択肢は無いらしい。そういう結局私には従順な部分を見てしまうと少し、罪悪感があるな。
「……そんなに化粧に未練があるのか?」
今まで全然興味が無かったのに?
そう訊ねると、少尉は薄紅色に頬を染めてこう言った。
「だって…嬉しかったんです……」
「男にちやほやされるのがか?」
化粧をして少尉が得した事なんてそれくらいしか思いつかん。しかし、彼女は首を振って、
「いいえ。……中佐が誉めてくれたのが、です……」
少尉の言葉に私ははっと胸を突かれた。
「中佐が私に美しい…なんておっしゃったの初めてでしたから……」
……そうだったろうか。確かに、可愛いとは何度も言った気がするが、美しいはあまり記憶に無い。
「他の男の人に何を言われても別に何とも思いませんけど……でも、中佐は別です……」
暗に私が特別だと言う少尉に私はたまらなくなった。そして、抱きしめたくなる衝動を必死にこらえて(ここは往来である)代わりにあるものを差し出した。キスしたくなるぷるぷるな唇に! なんて謳い文句に惹かれて買ったそれ。
「少尉。これを……」
私の手にある可愛らしいルージュをまじまじと見た少尉は、
「……お化粧禁止なのでは?」
小首を傾げてそう言った。
うん、と私は頷いて見せて。
「……例外措置だ、少尉。これだけは、許可する。私の前だけならば、許可する。……それ、付けてみせてくれ。……君に似合うと思って買ったんだ」
私の独占欲丸出しの言葉をどう思ったのか。少尉はじっとそのルージュを見つめると、
「了解しました。中佐」
そっとそれを受け取って、美しい微笑みをその口元に浮かべてくれた。
……ああ、本当に。化粧をしただけでこんなに綺麗になるなんて大誤算だ。おまけに健気で可愛い。
――しかし、目下の所最大の誤算は。彼女に病みつきになりそうな、……この私自身である。
嬉しそうにしげしげとルージュを見つめている少尉を眺めながら、果たしてそれを付けた彼女にキスをするのを我慢出来るだろうか……? などと今から私は未来の自分の自制心を心配するのであった。





END
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by netzeth | 2013-05-15 00:54 | Comments(0)