うめ屋


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by netzeth
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ウォーターサプライ

寒さと暑さを日々繰り返して、季節は初夏へと移り変わっていく。私が季節外れの風邪をこじらせたのはそんな季節の変わり目の時期だった。
その日、私は朝から体調がすぐれなかった。前日から喉の痛みは感じていたのですぐに風邪を引いたのだと分かったけれど、熱を計る事はしなかった。もし、高熱が出ていてそれを知覚してしまったのならば、気持ちが萎えてしまうと思ったからだ。病は気からと言うし。
だるい体に鞭を打って司令部へと出勤し、そのまま仕事に励んでいた。仕事をし始めてしまえば具合の悪さなど忘れるだろう、そんな風に甘く見ていた部分もあったのだろう。しかし、一向に体調は回復せずとうとう私は司令部で倒れてしまったらしい。
――気がついた時、私は彼の腕の中に居た。



朦朧とした意識の中、それでも彼の気配と匂いを忘れる私ではない。すぐに自分の体を抱き上げているのが彼だと分かった。
「……大佐?」
「ああ、起きたか中尉。もうすぐ着く」
……何処に?
と思ったけれど口に出す事はしなかった。ただ、ぼんやりと彼の顎の辺りを見上げる。たくましい首筋と綺麗な顎のライン。そして引き締めた薄い唇を見て、彼との距離がとても近い事に私はなんだかとても嬉しくなってしまった。
彼が普段私を女として扱う事はない。
それは私が望んだ事だし、あくまでも私は彼の部下であるのだから当然だろう。不満も不平もない。
しかし、彼が私以外の数多の女性達にその熱い視線を向け、甘い言葉を投げかける度に私はほんの少しだけ寂しくなるのだ。
私はあれを決して手に入れる事は出来ないのだと。
その証拠にあれほど女性に対して手の早い男と言われている彼は、私に対しては何一つそれらしい事をしてこない。
おそらく私には異性としての興味を抱いていないのだろう。そう私は結論を出していた。
だから、こうやって上司部下以上の接触をされると私の女心は揺さぶられてしまうのだ。動揺よりも素直に喜びが先に立ってしまうのは、私が病気で弱っているからだろうか。
――心の外壁がすっかりはげ落ちてしまっている。
私を抱えたまま器用に彼は扉を開けると部屋の中へと入っていく。その段階でようやく私はそこが自分の部屋だという事に気がついた。
彼は私を寝室のベッドの上まで運ぶと、私を降ろした。
離さないで。
という言葉を残っていた僅かな理性で押さえつける……いや、もう高熱に私の意識はほとんど混濁していてそれどころではなかったのかもしれない。
とにかく危うい所で一線を保った私は、代わりに今の一番の願望を口にしていた。
「熱い……です…み、お水を……」
「ああ。少し待て」
傍らに居た彼が立ち去る気配がした。うっすらと目を開けて彼の背に視線を送る。彼はキッチンへと姿を消すと、グラスを持ってベッドに引き返して来た。
「水だ。飲めるか?」
彼はグラスを差し出して来るが、しかし、今の私にはそれを受け取るために腕を上げるのも、そして飲むために身を起こすのも億劫であった。
「やっぱり…い…いです……」
熱い体は水分を欲しがっていたが、私はゆっくりと首を振って必要ないという意を示してみせた。このまま体を横たえたままでは水は飲めない。
ところが、彼は何を思ったのかその手に持ったグラスをぐいっと自分であおった。彼も喉が乾いていたのだろうか……ぼんやりとそんなことを考える私の顔に影が落ちた。
止める間も、あらがう暇も無かった。
唇にひんやりとした温度と柔らかな感触を感じた。とても心地が良くて、抵抗する気も起きずに唇を開くとそこから少しだけぬるくなった水が、流し込まれた。乾いた体を潤すその水分を欲して、私は喉を鳴らしてコクンと飲み込んだ。
「もっとか……?」
唇を離して、彼が問う。はっきりしない視界の中で、彼の濡れた唇だけが淫靡に光っている。
欲しい。
夢中で頷くと、彼は薄く微笑んだ。
そして、再び水を飲ませるべく唇を重ねてくる。
「ん……」
うっとりと私はその甘露を享受する。求めているのが水なのか、それとも彼の唇なのか。熱に浮かされた今の私には到底判断は付かなかった。ただ、本能が求めるままに、それを欲しがって求める。
「……これでおしまいだ」
もっととねだろうとして、しかし彼がそう言って口移しを止めてしまったので私は残念そうな顔で彼を見上げた。
「……そんな顔をするのは止めたまえ」
そんな顔とはどんな顔だろうか。
しかし、私の疑問にはもちろん彼は答えてくれる訳もなくただ苦虫を潰したような顔で見下ろしてくる。
「今はいい子に眠るんだ」
子供に言い含めるような優しい口調で言われて、私は大人しく頷くと目を閉じようとする。けれど、その前にどうしても尋ねておきたい事があって私は口を開いた。
「大佐……」
「なんだ?」
「今の……キス…ですか?」
それならば、嬉しい。
ただそんな単純な思考回路で、頭の中が麻痺していた私は彼に尋ねていた。
「まさか。これは、キスじゃない。勘違いされては困る」
彼のそっけない言葉は私の心に重石を落とした。
一瞬でもバカな期待をしてしまった自分が憎らしい。これはただの病人の介抱であって、そんな甘い行為じゃあなかったのだ。
浮かれていた私の女心がシュンとすぼまってしまった。
しかし、その直後彼は、そう、彼特有のニヤリとした笑みを浮かべて。
「本当のキスは、こんなもんじゃない。……覚悟したまえ、元気になったらたっぷりしてやるから」
彼はこの上なく優しい手付きで私の額にかかる前髪を梳った。ねぎらうようなその手付きが優しくて、鼻の奥がツンとなる。弱っている時に優しくしないで欲しい。ヒンヤリとした己の体温よりも低いその温度が今の私にはとても心地良くて、私は夢見心地で目を閉じた。
「嬉しい……」
「……まったく。無自覚とは恐ろしいな。病人じゃなかったら…襲っているところだ」
そして、深いため息を吐く彼を後目に。満たされた私の心と体は眠りへと誘われていったのだった。





END
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by netzeth | 2013-06-22 20:43 | Comments(0)