うめ屋


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by netzeth
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仮眠室のカプリツィオ

いい匂いがする柔らかい髪、ふにふにふわふわする身体、半開きで無駄に無防備なピンク色の唇。全力で私の理性を抹殺しにきているそれらの誘惑をはねのけ、私は己の煩悩と殴り合いのバトルを繰り広げていた。
屈しろ、いや、ダメだ。今がチャンスだ、いや、罠だ。こんなに近いんだから別に少しくらいいいじゃないか減るもんじゃなし、いや、主に彼女の私に対する信頼とか信用とかがいろいろ減る。
悪魔の私と天使な私が戦う。あ――今のところ悪魔が優勢である。
そんなバカな妄想が浮かんできてしまうくらいに、私は追いつめられていたのだ。



事の起こりはこの私、ロイ・マスタングが聞き逃せない話を聞いた事から始まる。
その日遅めの昼食を軍の食堂でとっていた時の事だ。ちょうど私の席の後ろに座っていた者達の雑談が耳に入ってきた。まあ、仕事へのちょっとした愚痴やらプライベートに関する事といったごく一般的なものだ。昼食のマッシュポテトをつつきつつ、なんとなく耳を傾けて聞いていた私だったのだが、やがて、彼らの話はどんどんと怪しい方向へと移っていった。
おそらく彼らは後ろにこの東方司令部の司令官である私が座っているなどとは思いもしなかったのだろうな。司令部内の怪しい噂話に彼らは花を咲かせていた。
「それから、聞いたか? マスタング大佐が仮眠室に女を連れ込んでるって噂」
「ん? それは初耳だな。今度は何をやらかしたんだ? 大佐殿は」
「それがさ、毎晩違う女をとっかえひっかえして自分専用の仮眠室にしけ込んでるらしいぜ」
「なんだ。別に今更珍しくもないな。そんな話」
ここで嘘でも大佐に限ってそんな事があるはずない、と言われないのが私の人徳の限界なのだろうか。ちょっと、己を省みてしまう。
「まあな。あの大佐殿の普段の行いを考えれば何を今更な噂だよな。イーストシティにだって、この手の噂は溢れてるしな。毎日百本のバラの花を女に贈ってるとか大佐に触れられた女は妊娠するとか……」
そんな噂は初耳である。流石にそこまでバラの花に固執はしとらんし、触っただけで妊娠は私にも無理だ。
「……だけどな、実は今回は噂を裏付ける証拠があるんだよ」
「証拠?」
勢い込んで言った男に、胡散臭そうな返答が返る。私も同感だ。そもそも、私は仮眠室に女を連れ込んだ経験などないのであるからして、その証拠とやらも眉唾物としか思えない。してもいない事の証拠など、どうして上げられると言うんだ。
「ああ。実はさ、俺、夜勤の時に大佐の仮眠室の前を通りがかったんだけどさ……なんと、中から女の声がしたんだよ」
何だって……? 私は瞠目した。
「それ……本当か? そもそもお前、佐官専用仮眠室って七階だろ? そんなとこにそんな時間に何しに行ったんだよ……」
「う…いや、たまたまあそこの給湯室に忘れ物してさ、取りに行っただけなんだなんだよ。ま、まあ……それはどうでもいい。問題はその声だ」
「声ねえ……」
「あ、信用してないだろ? 本当に聞いたんだって。……やめて、くすぐったい、舐めないで……とか。こんなの、どう考えてもお楽しみの最中だったとしか思えないだろ!?」
「……本当に女の声だったのかあ?」
「なんだよっ、疑うのか? 本当なんだって、すごく色っぽいっていうか、嬉しそうっていうか……絶対あの時の声……」
「それは本当か?」
とうとう私は我慢が出来なくなって口を挟んだ。突然後ろから声をかけられた男達は私の顔を見て固まっている。……まあ、それもそうだろうな。いきなり噂の張本人が現れたら驚くだろう。まして、不敬とも言える話をしていたのだから。
「も、申し訳ありません、大佐! お、おられるとは露知らず……!」
ひたすら恐縮した彼らは、その場に直立して敬礼を決めた。それはびしっとした見事なものだったが、今の私には目に入らなかった。……それよりももっと重要な事がある。
「そんな事はせんでいい。それよりも、さっき言っていた事は本当か?」
「は、さっきと言いますと……?」
「私の仮眠室から女の声が聞こえたと言うことだ」
私の言葉に男達の顔が強ばった。おそらく私に怒られると思ったのだろう、二人は緊張に脂汗を浮かべている。別に彼らをここで咎めるつもりは私はない。不穏当な内容とは言え、噂話くらいで目くじらを立てるほど私は心は狭くない。それよりも、彼らの話していた内容の方が私にとっては重要だった。……もしも、もしもそれが本当ならば、早急に対処しなれけばならぬ緊急事態である。
私の目の前で顔を見合わせた男共。そして、噂話を始めた方の男がおそるおそる私に申し出た。
「……本当です。自分は確かに聞きました。あ、で、でもっ、きっと聞き間違いであると思われますっ」
私の問いに正直に答えてから、男は慌てていらんフォローを入れる。しかし、私はそんなものは耳に入っていなかった。……それどころではなかったのだ。そう、私専用の仮眠室で女の声を聞いたと言うならば、その声の主はただ一人しか存在しないのだから。



私はここ東方司令部内に自分の仮眠室を持っている。司令官専用のそれは私以外が使用する事は出来ない。そこは小さいながらもシャワー室も付属した快適空間であり――まあ、私に許されたささやかな特権というやつだ。
しかし、私はその特権を独り占めしていた訳ではない。これでも温情ある話の分かる上司をやっているつもりなのだ。私はとある部下に仮眠室の使用権を与えた。彼女は遠慮して私の好意を当初は固辞したが、他ならぬ私が半ば無理矢理使わせた。彼女にこそ私以外の人目に触れない場所が必要だと思ったからだ。
渋々私の言い分に利がある事を認めた彼女は、それからちょくちょく司令官専用仮眠室を使うようになった。一度受け入れて利用してみればそこはやはり彼女にとってリラックスの出来る場所だったらしい。彼女は夜勤勤務に当たる日は必ずと言っていいほど私の仮眠室で眠る様になった。……何故彼女が使用したか分かるのかって? そうだな。彼女は自分がベッドを使った後は必ずシーツを取り替え、部屋内とシャワー室に至るまでを綺麗に整えてしまう。確かに彼女の痕跡は跡形も残らない。私としては彼女の金色の髪の一筋でも残していってくれたならば、嬉しいんだがね。……ごほんっ、話が逸れた。
……だが、どんなに後始末をしっかりしようと人が存在した証というものは残るものなんだ。
例えば彼女の残り香。枕カバーを取り替えたって彼女の匂いは枕自体に染み込んでいる。数日は消えないその香りを密かに楽しみにして私は仮眠室に赴くのだ。変態くさいなどと誤解を招きそうであるが、とんでもない。惚れた女の香りに男が癒されるのは当然の話だろう。
彼女――ホークアイ中尉を大事に思えばこそ、私は彼女に特権を与えたのだから。それで公私混同と罵られようがかまわない。
つまり。話をまとめると、私の仮眠室から女の声がしたというならば、それはホークアイ中尉でしかありえないのだ。
噂話をしていた男が、女の声を聞いたという日。彼女は夜勤勤務である。仮眠室を使用する条件は整っている。
しかし、しかしだ。
あの、ホークアイ中尉に限ってまさかそんな事は……私は何度も自分のバカな妄想を否定する。ホークアイ中尉は真面目が服を着て歩いているような女性だ。そして、若さに似合わない古風な身持ちの堅さを持っている。……彼女が軍部内で男とそのような行為に及んだなどと想定するのは無理がある。それならば、まだ私が女を連れ込んだという噂の方が信憑性があるというものだ。
……だがそれでも、私は事実を確かめずにはいられなかった。



一番てっとり早いのは本人に尋ねてみる事だ。だが、もし本当に彼女がそのような行為に及んでいたとして、果たして私に本当の事など話すだろうか。……答えはノーである。ホークアイ中尉は私に嘘をつくような人間ではない。だが、相手の男を守るためならば誤魔化す事くらいはするかもしれない。
私は、好きな女性をこんな風に疑う自分が嫌になった。しかし愛する故にこそ真実を知りたいと思うのだし、彼女の潔白を証明したいと思うのだ。
そう自分を励まして、私は事の真偽を確かめるために一つ作戦を立てた。
直接問いただす事が有効な手段ではないのならば、直接この目で確かめてみればよいのだ。
彼女が夜勤勤務に当たる日。私は仕事を早めに片づけた。そして自宅に帰るふりをして司令部内に潜伏した。誰にも姿を見られぬように夜の司令部の廊下をこそこそとまるで泥棒のように歩き、自分の仮眠室へと向かった。
まだ比較的早い時間であるので、当然仮眠室は使われていない。もしも今夜ホークアイ中尉がここを使うとしたら、もっと遅い時刻になってからだろう。
私は仮眠室内に入るとベッドの中に潜り込んだ。毛布をかぶってじっと息を潜めて待つ。もちろん明かりはつけない。中に居る事がバレてしまっては元も子もないからな。
そう、こうやって仮眠室で待ち伏せしていれば、もしも男を伴って来たならば現場を押さえられるだろうと思ったのだ。……いや、出来る事ならばそんな場面絶対に押さえたくないのだが。好きな女が自分以外の男と逢い引きするのを目撃なんて、深刻なトラウマものである。
しかし、もしもそれが現実のものとなった時、私は一体どうしたらいいのだろうか。上官として彼女を咎める事は出来るだろう。職務中に不適切な行為を働いたと叱責する事は可能である。だが、男として未だに彼女とは何の関係もない私が、何を言えるというのか。
その想像は私の肝を冷やした。……いかん、想像だけで胃に穴が空きそうだ。だが、嫌な想像ほど消えてはくれないもので。次々に脳内に不吉な映像が浮かぶ。知らない男に微笑む中尉。その男の首に抱きつく中尉。二人の距離が縮まって――私は自分の脳内妄想に半泣きになりながら悶え、そして……精神的に疲労困憊となり。いつの間にか眠ってしまったのである。



私は妙に心地の良い気分で目をうっすらと開けた。なんだか妙に暖かくて、そして花のようないい匂いがしていた。体を動かそうと意識すると、指先にむにゅむにゅとした柔らかい感触を感じる。とろけそうなほどに柔らかい感触。もっとそれを感じたくて手に力を入れた。
「ん……」
その声はすぐ近くで聞こえた。寝ぼけていた私はこの柔らかいものを触るとこの声が自動的に聞こえるのだ、と解釈をして更にむにゅむにゅとそれに触れた。
「ん…あ……」
耳に吹きかけられる熱い空気と脳天に響く色の籠もった声。あーもっと聞きたいなーなんて呑気に考えて私はしばらく手を動かしていたのだが。そうこうしているうちにだんだんと意識が覚醒してきて、その手の内にある柔らかなものの正体をうっすらと悟ってしまった。
気づいてしまった瞬間、私は声にならぬ悲鳴を上げそうになる。しかし、すんでの所で声を抑えて私は自分の置かれた現状の把握に努めた。
まず仮眠室のベッドに寝ている。うん、これは想定内だ。私はベッドの毛布にくるまって中尉を待ち伏せしていた。次に時刻は深夜で私は眠ってしまっていたようだ。うん、これは想定外だった。これでは待ち伏せしていた意味がない。こんな失態を犯してしまうとは我ながら情けない。そして、最後。今現在同じベッドにホークアイ中尉らしき女性が寝ている。……これは想定の斜め上である。何故、私は中尉と同衾しているのだろうか。
そうだ、中尉が私をまるで抱きしめるように眠っているものだから私はうっかり彼女の胸をもみもみしてしまったのだ。まことにうれし……いや、残念な事故だった。
そもそも、どうして彼女は私を起こさずに一緒に寝ているんだ? 私はこう見えても健康な成人男子だぞ? 妙齢の女性(しかも美人でボイン)と同じベッドに寝ていて何もせずにいられるほど紳士な男でもない。……それとも何か、ホークアイ中尉にとって私はベッドで一緒に寝ても大丈夫と思われるほど安全な男だったのか。
私は決して小さくないショックに見舞われた。好きな女に男として意識されていないというのは、堪える。
「う~ん……」
「うあぷ…」
その時、ホークアイ中尉が寝返りを打った。落ち込む私をよそに、彼女はそのしなやかな腕を伸ばすと私の頭を抱き込み引き寄せた。頬に先ほどまで手で感じていた柔らかな胸の弾力を感じる。ぷにぷにと柔らかくマシュマロのように弾んでそれは私の男を誘惑した。
おい、ちょっと、これは……かなりまずいんだが!
鼻孔をくすぐる甘い女の香り、目線を上げると彼女の無防備な唇が目に入る。
――何かの我慢大会だろうか。
空いている両手を私はぐっと握り込んだ。そうでなければ今すぐに目の前の唇を奪ってよからぬことをしてしまいそうだったのだ。
しかし、中尉からの攻撃は止まなかった。彼女の手はゆったりとした仕草で私の頭と背中を撫でている。その手つきはとても優しく愛おしさに満ちていて、私を懊悩させた。
理性というものは煩悩に簡単に駆逐されるのだ。
私はゆっくりと手を開いた。
ホークアイ中尉の無防備な色香にすっかり参ってしまった私は理性を放棄して、彼女に再び触れようとする。
私は彼女が好きだ。愛しい。なら、ここで行為に及んでしまっても悪いことはないではないか。振り切れてしまった欲望の針が私に行動を起こさせたのだ。
その時だった。
「う~~ん……ハヤテ号…」
ホークアイ中尉の口から衝撃的な言葉がこぼれ落ちたのは。彼女はハヤテ号と呟きながら、私を抱きしめて頭やら背中やらを撫で続ける。私は全ての動きを止めて彼女のされるがままになった。
「ハヤテ号…いい子ね……」
はからずも彼女の飼い犬の名前が私の理性を復活させた。そして、私は考えを巡らす。もしかして、もしかしてだが。仮眠室で兵士たちが聞いた声というのは、彼女がハヤテ号を連れ込んでいた時の声だったのではないだろうか。まだ子犬のハヤテ号を留守番させるのが不安だと、彼女は夜勤勤務の時は彼を司令部に泊めている。それは私も許可をしているし、当然この仮眠室で仮眠を取る時に彼をそばに置くのも許している。
今日は彼の姿は見えない様だが、おおかたフュリーにでも貸し出しているのだろう。
真相など分かってしまえばあっさりとしたものだ。私の心中は脱力感で一杯になる。あんなにもやきもきした自分が滑稽で、バカバカしい。
「ハヤテ号……」
私をハヤテ号と勘違いしてか? 中尉は無邪気にすり寄ってくる。長い金色の睫毛が影を落とすいつもより幼く見えるその寝顔。それはたいそう可愛らしく、そして憎らし思えた。
人をこれだけ翻弄しておいて、呑気に眠っているなんてヒドい女である。しかし、もう何かをしようという不埒な思いは私には無かった。ただ、穏やかに彼女の寝顔を見つめる。
「私と同衾しておいて、他の男の名を呼ぶなんて。本当にヒドい女だよ、君は」
囁く声に反応して、中尉はう~んと一瞬だけ眉間に皺を寄せたが。すぐに、穏やかな寝息を立て始める。
(だが、許そうじゃないか)
彼女が私と一緒に眠ってこれほどまで穏やかな眠りを得られるというのは、男としては複雑だが、その反面嬉しくもあるのだ。それは言い換えれば私に心を許してくれているということだろう。
その事実に思いの外満足した私は、目を瞑った。
彼女を起こさずにこの腕の中から抜け出ることは不可能だろう。ならば、大人しく眠ること。それが、私にとっても彼女にとってもベストな選択肢である。
そして、中尉の甘い香りに包まれながら、私はうとうとと眠りの淵に立ち
思考する。
……ああ、それにしても中尉が呼んだのがハヤテ号の名前で良かった……と。
もしもそれが知らない男の名前だったならば、私はきっと立ち直れなかっただろう。そして。そして、万が一にも彼女が呼んだのが私の名前だったならば。私の理性は宇宙の彼方まで飛んでいき、あそこで思いとどまることが出来なかったであろうから。
うっとりと彼女に抱かれながら、私はやがて意識を手放した。


この後、二人して目覚めた時、私の「何故自分を起こさずに一緒に寝たのか?」という質問に対して、彼女が「大佐ならいいと思いまして」と答え、それは一体どういう意味だ!? と私はおおいに煩悶することになるのだが。それはもう少し未来の話である。




END
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by netzeth | 2013-08-18 22:08 | Comments(0)