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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

星は遠く彼女は近くに

その朝ロイが目覚めたのはすっかり日も高くなった時刻だった。カーテンから差し込む眩しい光に目を細め、グンと伸びをしてからベッドから降りる。そしてのんびりとした足取りでシャワーを浴びるためにバスルームに向かった。
頭から熱いシャワーをかぶると、手足の末端神経が刺激されてジンジンとする。すると寝ぼけていた思考回路がようやく動き出してきた。
鼻歌など歌いながらさて、今日は1日何をしようか。とロイは思案する。
久しぶりにまる1日取る事が出来た休暇。数週間前に半休を消化しただけだったロイにはやりたい事が山積みだった。
購入したは良いが開く暇すら無く、積み重ねられた錬金術書。それをコーヒーを啜りながら思う存分読み解くのはどうだろう。行きつけのコーヒー専門店から特製の豆を仕入れてある。とびっきりの美味いコーヒーが淹れられるはずだ。昼食は読書しながらでも食べられるサンドイッチを。近所にあるカフェのローストビーフサンドイッチが絶品だ。あれを買ってこよう。
仕事時以上にテキパキと休日の予定を組み立てると、ロイはバスルームを出た。ふんわりと良い匂いがするバスタオルで身体の水分を拭いながら服を着る。この頃にはすっかり眠気は抜けていた。


麗らかな日差しが差し込む窓辺、開け放たれたそこから心地良い風が吹き込んで頬を撫でる。秋を呼ぶ風は既に凶暴な熱気が失せて、優しくカーテンを揺らしている。お気に入りのソファーに深く腰掛けて、膝に本を乗せ時折特製コーヒーを飲みながらロイは思う存分余暇を満喫していた。今日ばかりは運も良いらしい。休みでも司令官ともなれば緊急事態が起これば容赦なく呼び出しを受ける。しかし、そのような無粋な電話のベルは今日は鳴らない。東方司令部はごくごく平和であるようだ。それは司令官としてもロイ個人としても非常に歓迎すべき事である。
そしてロイは錬金術の世界に没頭し、脳裏に浮かんでは消える錬成式を転がしては遊ぶ。より美しく完成された形へと徐々に研磨されていく錬成式。やがてそれは錬成陣という実体を持っていった。
すぐにでもそれを現世に写し取りたくて、ロイは予め傍らに用意されていた紙とペンを手にとり、一心不乱に書き綴り始めた。


どれくらい時が経ったろうか。ロイが我に返った時、既に辺りは薄暗くなり始めていた。そろそろ明かりを点けなければ視界が怪しい。どうやらそれで自分は錬金術の世界から帰還出来たらしい。周囲に散らばる紙片を見渡してロイは苦笑した。床に書かなくなっただけでも進歩だろうか。
ロイは一枚一枚拾い上げてその書き付けたものを確認していく事にした。夢中で書いたので無理もないが、内容は支離滅裂なものが多い。中には意味の無い言葉の羅列もある。だが、その中にもキラリと光る閃きの残滓が確かに存在する。
それを見て取ってロイは思わず笑みをその口元に浮かべた。今日という余暇の成果はこんなものだろうか。
時間を忘れてこの世の真理を思う存分追求する。錬金術師としては垂涎ものの、最高の贅沢だ。
だが、ロイはその最高の贅沢――という言葉を脳裏に思い浮かべた瞬間に、ふと違和感を感じた。自分は今正にその最高の贅沢を経験していたというのに、何故か心から満たされてはいない。まるで満腹なのに飢えているかのようだ。そのように思うのは本当に空腹だからだろうか。そう思ったが、しかし食べ残しのサンドイッチに視線を移しても食指は動かなかった。
その時だ。
施錠された扉が開く気配がした。
続けて耳慣れた心地良い音程の声が聞こえる。
「なんですか、明かりもつけずに」
同時にパチリとスイッチを押す音。黄昏時の暗い世界に明るい光が灯された。ロイの視線の先には呆れた様に腰に手を当てた女が立っている。彼女――リザはシンプルなブラウスにタイトスカートといった私服姿で、片腕に紙袋を抱えていた。おそらく軍部からの帰宅途中に買い物をしてきたのだろう。
「お帰りにならなかったのですか? せっかくの休日でしたのに」
昨晩「明日は休みなんだ」と理由を付けてちゃっかり泊まりに来た男を、優しく己のお部屋に迎えいれてくれたリザであるが、流石に夕刻になってもまだ居るとは思わなかった様だ。
「ご自宅でなければゆっくりお休み出来ないでしょうに……」
部屋に居られるのは特に迷惑だと思っていないようだが、いささかリザは困惑気味である。
そんな彼女にロイは柔らかい笑みを向けた。
「私はこの上なくゆっくり休めているよ」
「……その様ですね」
床にまだ散らばっている錬成陣の描かれたメモ用紙を拾い上げて、リザがため息をつく。
「床に直接書かなくなっただけ進歩したのでしょうが……」
「ああ。君がちゃんと私のために紙を用意しておいてくれたからな」
以前床にロイが錬成陣を描いてしまった事があってから、リザは紙を大量に置いておくようになったのだ。掃除する者の身になって下さいとリザにお説教されてから、ロイはその紙を使用するように気をつけている。
「錬金術の実験がなさりたいなら、なおさらご自宅にお戻りになられたら良ろしいのに。私の部屋では充分な資料文献もありませんよ?」
散らかっている状態というのが落ち着かないのだろう。自然な動作でロイが散乱させた紙片を拾い上げながらリザは言う。その姿を眺めて、彼女の声を聞いて。そうしてロイはようやく足りなかったものの正体に気づいた。
――最高の贅沢を味わうのに、どうしても無くてはならないもの。
「此処でなければダメなんだ」
「はい?」
首を傾げつつ尋ねてくるリザに、ロイは答えを教えてやる。
「私の「最高の贅沢」は時間に追われる事なく錬金術の研究に没頭する事、気に入りのコーヒー豆で淹れた特製のコーヒーを飲む事、美味いサンドイッチを食べる事――だが、その全てを満たしていてもまだ足りない」
何を言い出すのか、と驚いた風のリザに言ってやる。
「……君が足りない。だから。君が居ないなら、せめて君の匂いと気配が染み付いたこの部屋で寛ぐしかないじゃないか」
悪戯っぽく笑って片目を瞑ると、リザは一瞬で頬を赤く染めた。
「なっ…!何をバカなっ、匂いとか犬みたいなこと言わないで下さいっ。あなたはいつから本当の犬になったんですかっ!」
すぐに誤魔化すように強い口調で声を荒げるが、赤い顔ではあまり迫力は無い。
「バカとはヒドいな。ただ、私は君が居ないと私の最高の贅沢は成り立たないと言っているだけだ。……まあ私は軍の狗だから犬であるのは間違いないが」
ぬけぬけと恥ずかしい台詞を吐き出すロイに、リザはますます顔を赤く染める。
「も、もうっ、知りません!」
とうとうリザはぷいっと身体ごとロイに背を向けてしまう。その可愛らしさに、くつくつと咽の奥で笑ってから、ロイは手を伸ばした。後ろから柔らかな彼女の肩に腕を回して抱き締める。リザからの抵抗は無い。
――ああ、やはりこれが最高の贅沢だ。
そして。
休日の最高の贅沢の仕上げとして、ロイはゆっくりとリザの髪に顔を埋めその香りで己を満たしたのだった。




END
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リザさんちでした。
by netzeth | 2013-08-24 17:14