うめ屋


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by netzeth
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お願いジレンマ

真面目に仕事をしていると思って油断していた。
「……!」
ロイの執務室に備え付けてある資料棚。そこでファインリングしてある資料に目を通していたリザは、背後から抱きしめられ耳に息を吹きかけられて、思わず手にしていたファイルを床に落としてしまった。
反射的に振り返ろうとしたが、耳に感じる熱い空気に身が竦んでしまう。しかし、声を上げなかっただけでもこの状況下では上出来だった。
「……お離し下さい、大佐。ここを何処だとお思いですか」
「私の執務室」
極力冷たい咎める口調で言っても、返ってきたのはちっとも悪びれる様子のない男の声だ。それに必要以上に苛ついてしまうのは、今彼が抱えている仕事が、本日締め切りでかつギリギリの進行状態だからだろう。
「お分かりになっているのならば結構。では執務室で行うべきことをさっさとなさって下さい」
「分かった」
やけに素直に頷いたかと思えば、身体に回っていたロイの腕がさわさわと不穏な動きで腰を撫でて来たので、とうとうリザは声を張り上げてしまった。
「仕事をしろと言っているんです! それが今、ここで行うべき事です!!」
リザの剣幕に恐れをなしたのか、ロイの手がピタリと止まった。代わりに拗ねたような響きの声が聞こえてくる。
「今私がしたいのは、リザちゃんとのスキンシップなんだけどな……」
「したい事じゃなくて、しなくてはいけない事をして下さい」
にべもなく言えば、背後に居る男は口を尖らせているようだった。
「だから。私にとって今しなくてはいけない事は君とのスキンシップなんだがな……」
「何か言いました?」
これ以上ロイの戯れ言を聞いていては、締め切りに間に合わない。と冷静に計算してリザは彼の言葉を綺麗に聞き流す事にする。
「さ、大佐、お離し下さい」
そして自分を解放するように強く促すが、しかし、頑固にもロイは体を離さない。相変わらずリザを腕の中に閉じこめたままだ。男の拘束が弛まないのにじれて、リザの声のトーンはどんどん低くなる。
「大佐? いい加減にして下さらないと、本気で怒りますよ?」
「……ご褒美が欲しい」
「え?」
ロイの口を付いて出た言葉に、リザは一瞬虚を突かれた。
「今、なんと……?」
聞き違いであって欲しいと願いながら尋ね返せばロイはもう一度その「ご褒美」という言葉を繰り返してくる。ようやくその言葉が身の内に染み込んで来て、彼の言わんとする事を飲み込めたリザは脱力感で一杯になった。
「……大佐。貴方は幾つですか。子供ではないのですから、やるべき事をやるのに何故ご褒美などというものが必要なんです」
もう、いい加減にして欲しい。
げんなりしながらも、リザはロイを叱りつけた。やれば出来るくせに度々仕事をサボってはこうして我が儘を言って、彼はリザの手を焼かせる。それをいちいち相手にしてしまうのが男を調子に乗らせている原因と分かってはいたが、リザがロイの副官であり彼の補佐が仕事である以上無視する訳にもいかない。……まあ、多少彼の世話を焼くのが楽しく生き甲斐になっている感があるのは認めるけれど。それでも、仕事の締め切りがギリギリ状態の今、かまっている暇などないのだ。しかしロイは、まるでそれが当然の自然の摂理だと言わんばかりにこう主張してくる。
「……今、この仕事は限界ギリギリの状態だ。私があと2時間以内のうちに書類を仕上げなければ、確実に締め切りに間に合わないだろう。しかし、私だって人間だ。集中力が鈍りモチベーションが下がる事もある。このままの状態では到底間に合わないだろう。そういう時それをフォローするのが副官の役目じゃないのかね?」
「……それでご褒美ですか」
「うん、ご褒美」
ここでロイが要求するそのご褒美とやらの内容が推察出来ないほどリザは無能ではない。どこかの誰かさんと違って。こうやってリザにスキンシップを求めて来ている以上、彼のそういう部分が飢えているのだろう。つまり、それを満たすようなご褒美を期待されているという事か。
「分かりました」
ふうっ……と深い深いため息を吐いて、リザは言った。
背に腹は代えられないという言葉がある。この仕事は絶対に落とせない。もしも、締め切りをぶっちぎったら確実にロイの評価に関わる。彼のためにもそして自分のためにも。リザにはロイにやる気を出させる義務があった。
「そうですね。……もしもあと1時間半以内に書類を完成させる事が出来ましたらば、貴方の望みを一つ叶えて差し上げます」
「1時間半? 2時間ではないのか」
「確認のための余裕が出来るのならば、それに越した事はありませんから。……2時間では貴方には容易すぎるでしょう? 簡単にご褒美が貰えると思われては困ります」
「君は私を煽るのが上手いな。私の闘志に火を点けようって訳か」
「さあ……何とでも」
リザの見立てからすると、ロイの能力ならば2時間あれば書類は何とか仕上がるはずだ。だが、1時間半となると微妙な所だ。彼の力を持ってしても間に合わないかもしれない。だが、リザにとってはそれでも良いのだ。要は完成書類が2時間以内に手元にくればそれで目的は完遂出来る。1分、いや1秒オーバーしても約束は無しになるのだから、書類だけ受け取ってご褒美は無しという事にもできたりするのだ。
「よし、分かった。1時間半だな。では、この時計の針が6を指したらそこから始めよう」
リザの提案に納得したのか、ロイはようやくリザの腰に回していた腕を解いた。そして、早速銀時計を懐から取り出し確認するように言う。それにリザは頷いて。
「よろしいでしょう。……1秒遅でも遅れたらご褒美は無しですからね」
「君こそ、何でも望みを聞くという約束を忘れるなよ」
口角をつり上げてにやりと笑い、ロイが釘を刺してくる。その手のひらを返した現金な態度に多分に呆れながらも、何はともあれこれでこの仕事を無事に終える事が出来るだろう。とリザは胸をなで下ろし床に落ちたファイルを拾い上げたのだった。


そこからのロイの書類処理能力は筆舌に尽くしがたいものだった。どうしてこの力の10分の1でいいから普段から発揮してくれないのか。そうすれば締め切りギリギリに書類をやらずに済むだろうに。とリザは心底思うのだが、これが鼻先に人参をぶら下げられた馬状態のロイでなければ出来ない神業だという事も理解していた。
かくしてロイは見事制限時間内に書類を片づけて見せた。しかも、訂正の必要もない完璧な内容でだ。これには何の文句も付けようがなくて、リザは書類を改めた後、覚悟を決めた。
ロイがこれほど見事に書類を仕上げてみせたのは、偏にリザが約束したご褒美目当てだ。この気合いの入りようからして、ロイからの要求は生半可ではないものになるだろう。一体どんな淫らな要求をされるものか……、考えただけで背筋が震えてしまうのはここが神聖な職場だからだ。(ロイとの行為自体は別に嫌ではない)絶対にロイの事だから、リザが嫌がるのを承知でここでの行為を強要するに違いない。いや、むしろ嫌がる自分を見るのが愉しいなどとサディスティックな事を言い出しそうである。
「で、中尉。ご褒美なんだが……」
「はい…」
早速ロイが切り出して来るのを、リザは諦め半分で聞いた。何でも願いを聞くと約束してしまった以上、今更逃げられない。
「その、何だ……ん――、そのう…」
こうなったらどんな淫らな行為も受け入れよう…と諦観の境地にリザは入っていたのだが、対してロイはなかなかご褒美の具体的な内容を言わない。心なしか頬を赤くして、もじもじもごもごと口ごもっている様子だ。そう、まるで恥ずかしがっているように。……恥ずかしいのはこれから淫らな事をされる自分の方だ。と思いつつ、その意外というか予想外の反応にリザは内心首を傾げた。
「はい、何ですか?」
言うのならばはっきりと早く言え。自分達の仲で今更何を恥ずかしがる必要がある。そう意志を込めて答えを急かす。すると、彼はついに思い切ったように口を開いた。
「……を呼んでくれ」
まだもごもごと言うので、前半部分が聞き取れなかった。
「……? 何ですか。もっと大きな声ではっきりとおっしゃって下さい」
若干イライラしてきて、少し強い口調で促す。すると、ロイは顔をますます赤くして叫ぶように言って来た。
「だからっ、名前を呼んでくれ!」
「えっ……」
思わぬ一言にリザの思考回路が一瞬凍結する。
「……私の名前を呼んでくれ。か、階級じゃなくて」
勇気を振り絞って言いました、とばかりのロイの顔は相変わらず赤い。いつも平然と職場でセクハラを働く(リザ限定で)男とは思えぬ純情なその様子。それが伝染したようにリザの頬も心なしか熱くなる。しかし、それまでもっとスゴい行為を脳内で想定していたリザにとっては、何だそんな事でいいのかという肩透かし感も強い。たった一言、彼の名前を呼んでやればいい、そんな容易い事でいいのか。
「それでよろしいのですね?……分かりました」
造作もないことだ、とリザは請け負って頷いた。了承の返答に、
「そ、そうか!」
断られると思っていたのか、不安げな顔をしていたロイの顔が輝く。
「じゃ、じゃあ、言ってみてくれ!」
期待に胸を膨らませたロイの表情。ワクワクドキドキという表現がしっくりくる。熱い視線でリザを見つめ、そして彼女の挙動を見守りいまかいまかたとその時を待っているようだった。
そんなロイを見ていたらば、リザは簡単な事だと思っていたそれが何だかとてもハードルの高い行為に思えてきた。いや、そんな筈はない。一言、声を発するだけではないか。
「ろ……」
そこで、リザは息を飲んで言葉を止めた。たった二音。次の音でおしまい。だけどどうしてか出てこない。
「ロ…」
イ。それだけ言えばいいはずなのに、どうしても言えない。――出来ない。改めて彼の名前を呼ぼうとするととんでもなく恥ずかしい。考えてみれば今まで彼のファーストネームを呼んだ覚えはリザにはなかった。いや、一度だけ。している最中に夢中で口走った記憶だけは、ある。それほど追いつめられていないと口にしたことないその名前を、職場で正気の状態で呼ぶなんて、無理だ。
「……マ、マスタング……」
言い直したリザの言葉を聞いて、期待に自身のデスクから身を乗り出していたロイが、がくっと崩れ落ちた。
「違う! ファーストネームだ!」
分かっている。今のはわざとだ。不服そうに口を尖らせるロイに頷いて、リザはもう一度トライする。
「ロ……イ、ヤルミルクティー」
がくぅーーとロイが机の上に突っ伏した。しかしすぐに上半身を起こして、
「ロイっ、だけで良いんだ!」
びしっと指を突きつけられて指摘されるが、既にこの時、リザも軽く半泣き状態であった。
「すみません! でも、で、でもっ。無理! 無理なんです!」
どうしてか、すごく。すごく恥ずかしい。ここでするよりも恥ずかしい。
「こらっ、約束したろう!?」
「分かって、います。今、呼びま……ロ……」
「ロ……!?」
「いやるすとれーとふらっしゅ……」
「こら!!」
「すみませ……無理…無理です!」
「そんなに私は無理な名前なのか!?」
執務室ににぎやかな上司とその部下のやりとりが響き渡る。
ロイ。たった二音の、でも何よりも特別で大切なその名前。
大事すぎるからこそ気軽に呼べないのだ――という事に、今のリザもそしてロイも気づいていないのだった。





END
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by netzeth | 2014-01-18 14:33 | Comments(0)