うめ屋


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by netzeth
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新雪

不意に頬に温もりを感じてリザは瞼を持ち上げた。はっはっはっという息づかいが聞こえて、思わず口元がゆるむ。
「おはよう、ハヤテ号。今日は早いのね」
シーツから手を出して己の上に跨がるように乗っている小さな頭を撫でる。黒毛の子犬は嬉しそうに尻尾を振って、きゃんと小さく吠えた。そのままぺろぺろとリザの顔を舐めてくる。
「こらっ、くすぐったいわ。どうしたのかしら…? 何だかとても興奮しているみたいね」
はしゃいでいる子犬を腕の中に収めて、リザは上半身起こした。すると、部屋を支配していた冷気に体がぶるりと震える。
「寒いわね……」
気がつけば吐く息が白い。朝だと言うのに薄暗い屋内を見渡してから、リザはゆっくりと首をベッド脇の窓へと向けた。引かれていたカーテンを開けてみる。
「まあ……っ」
視界に広がったのは一面の銀世界だった。
昨夜はいつも通りの街並みだったイーストシティは、いつの間にかその色を白一色へと変えていたのだ。
寒いはずだ、とリザは納得する。
夜半から降り始めた雪は朝を迎えても降り続き、こうして高く積もっていたのだ。
シンシンと降る雪をしばしリザは眺めた。
リザが生まれた街は北よりだったため雪に馴染みが無い訳では無いが、イーストシティでこれほど積もるのは珍しい。幻想的な街の風景は美しく、寒さも忘れてリザは魅入った。
「きゃん!」
すると腕の中に居たハヤテ号がまた一声吠えて、リザは意識を現実へと戻した。彼はつぶらな瞳でリザを見上げている。その瞳はキラキラと輝いて、何かをリザに訴えかけていた。
「……ふふ、外に出てみたいの?」
「わん!」
好奇心旺盛な子犬はいつもと違う外の世界に興味津々の様だ。しきりに尻尾を振って、ご主人様におねだりの視線を向けている。いつもより早起きだったのも、こうしてリザを起こしに来たのも。全ては雪の中のお散歩に連れて行って欲しかったからだろう。
「仕方がないわね……少し、待ってね」
愛犬には甘いリザが、可愛いお願いを断れる訳もなく。リザはベッドから降りるとまずは完全に目を覚ますために、洗面台へと向かったのだった。



「除雪部隊はちゃんと手配したかしら……?」
灰色の空からは、途切れること無く白い雪が落ちて来ている。その空を見上げてリザはぽつりと呟いた。子犬を連れて外に出てきたのはいいものの、雪は相変わらず止む気配を見せなかった。これは近年無いほどの大雪である。軍の方でも対策部隊を編成する必要があるのでは、と、リザは思案した。しかし、すぐに首を振ってそんな不安を打ち消す。本日非番の自分が心配しなくても、そんなことロイだって心得ているだろう。彼は今日夜勤明けのはずだから、既に昨夜からこの大雪を予想して何らかの手を打っているはずだ。
「大佐、雪でも無能になってはいないわよね?」
そんな失礼なことを考えつつ、リザはハヤテ号とともに雪の街を散策する。イーストシティには人の姿はまばらで、時折車が通って行く音がするのみ。車道には車の轍が残り辛うじて雪をかいていたが、歩道はほとんど雪だらけでリザは滑らないように注意深く歩を進めていた。
さくさくさく、と新雪を踏みしめる感触が気持ちいい。リザの少し先を子犬が跳ねるように歩いている。小さな体は雪に埋もれてしまいそうだが、彼はそんな事など物ともせず、雪の中を突き進んでいる。冷たさにつま先が痛くなるほどだが、まるで子供に戻ったようにリザはとても愉快な気持ちになっていた。
やがて街中に広場の様な場所を見つけると、一人と一匹はその空き地へと入っていった。
少し小さいが雪の平原と呼んでいいような真っ白に染められたそこは、子犬の遊び場にぴったりだったようで。ハヤテ号が興奮した様子で、雪の中に身を躍らせる。リザがリードを外してやると、彼は喜び勇んで白銀の大地を転げ回り始めた。黒い小さな体躯があっという間に白い雪まみれになる。
「ハヤテ号! あまり遠くに行ってはダメよ!」
ずぼっ、ずぼっと一際深く積もっている雪に足を取られながら、リザも子犬を追いかける。まっさらな雪に一番最初に足跡を付けるというのは、案外と楽しい。子供の頃雪に体を投げ出して埋まって遊んでいた男の子が居たが、何だかその気持ちが分かってしまう気がした。
「こらっ、もうっ、少し落ち着きなさい!」
ようやくハヤテ号に追いつくとその小さな体を抱き抱える。体に付いた雪を払ってやろうと黒毛に触れると、一足早く子犬がぷるぷると身を震わせた。
「きゃっ!」
子犬の体から冷たい雪が飛んできて、リザの顔を濡らす。冷たさに思わず目を閉じてしまったらば、一瞬リザは平衡感覚を失った。普段ならばそれでもそれで倒れる事なんて無いのだが、雪に埋まった足はとっさに動いてはくれず。リザはハヤテ号を抱えたまま後ろに寝転がるように、雪の中に倒れてしまった。
ずぼっと勢いよく体は雪の中にめり込んで、視界に広がるのは灰色の空と降り続く雪。きゃうんっ? と腕の中で黒犬が驚いたような声を上げている。
「ふふっ、ふふふふっ、あは、あはははははっ」
いい大人が、しかも軍人という責任ある立場の人間が。こんな悪天候の中、一体何をやっているのか。悪ふざけにもほどがある。
あまりの事にリザは不意におかしくなって笑ってしまった。笑いの発作はすぐには収まらず、そのまましばらく笑い続ける。
「ふふふふふ、あはははははっ」
「……何がそんなにおかしいのかね?」
あり得ない声が割り込んで来たのはその時だった。同時に灰色の空とリザの間に見慣れた男の顔が現れる。その顔をみた瞬間、リザの笑いはぴたりと止んだ。
「た、大佐……!?」
どうしてこんな所にいるのか。とか、仕事はどうしたのか。とか。いろいろな事が脳裏をよぎったが、何よりも。今、馬鹿笑いしていた自分を目撃されたという衝撃にリザは混乱していた。驚愕と共にこみ上げるのは醜態をよりにもよって彼に見られたという羞恥。それは彼女の顔を真っ赤に染め上げていった。
「顔が赤いぞ? 中尉。そんな所に埋もれていても寒くはないんだな」
そんな風に興味深かげに言うロイの顔を見て、リザはようやく混乱から脱する。
「そ、そんな事はどうでもいいんですっ。それよりも、どうして貴方がこんな所にいらっしゃるのですか?」
「……私は夜勤明けだからな。仕事帰りだよ」
暗に仕事はどうしたというリザの問いかけに対してロイはそう答える。そうして、ロイは懐から懐中時計を取り出すとリザに見せてきた。確かに既に彼の退勤時間を過ぎていた。自分が家を出てからもうそんなに時間が過ぎていたのかとリザは驚く。
「では……どうして、ここに?」
「何、君が雪の中この辺りを男と一緒に歩いていたという目撃情報があったのでね」
……おそらくその目撃情報の出所はハボック少尉辺りのような気がする。いかにも彼がしそうな言い回しである。
憮然とした表情で言ったロイは、そのままリザの腕から子犬を奪い取った。自らの胸に抱き抱えると、彼は不機嫌そうに口を尖らせた。
「慌てて来てみれば、君はこいつと一緒に楽しそうに雪遊びをしていた……という訳さ。……私は一体誰に嫉妬をすればいいのかね。君をそんな風に笑わせたのはこいつか? それとも……雪?」
「……馬鹿ですか」
相変わらず嫉妬深い男にリザは呆れる。しかもその相手が動物だの自然だの、人外であるのも彼の仕方のない所だ。
「この子に嫉妬してどうするんです。ましてや、雪に……なんて」
「嫉妬したくもなるさ。何しろ君は雪がとてもお気に入りのようだからな。……いつまで埋まっているつもりかね?」
ロイに指摘されて、リザは未だに自分が雪に埋もれたままロイと話していた事に気づいた。またも羞恥心に頬が熱くなる。いい歳の女が子供みたいにはしゃいでいたとあっては格好がつかないし、ましてやそれをよりによって彼に知られたのは恥ずかしすぎる。
けれども。
ロイはリザのそんな思いになどちっとも気づいていないようで。
「そんなもの抱かれるくらいなら、私に抱かれろ」
リザの手を取って男は無理矢理に彼女を引っ張り起こした。そして、そのまま胸の中に閉じこめる。子犬と一緒にリザはロイの暖かな胸に抱かれる事になった。
「ちょっ、大佐! こ、こんな所で何を……っ、誰かに見られたら…っ」
「こんな日にこんな場所に誰も居ないよ。……だから、君もあんな風に子供みたいにはしゃいで遊んでいたのだろう?」
「……っ! そ、それはっ」
可愛かったなあ……とにやけた声で言う男に一体どこから見ていたのかと抗議の声をあげようとしたが。抱きしめる力強い腕の力に、リザはそんな抵抗は無駄なのだと悟る。
「私は寒いのが苦手なんだ。そろそろ雪じゃなくて、私の相手をしてくれないかな。……腹が減った」
「……仕方がありませんね……」
雪で冷えた体にはロイの体温はとてもとても暖かだったから。どうしても力が抜けてしまってリザの意地など持続しないのだ。
「昨日の残り物でよろしければ、朝食にビーフシチューをお出しできます」
「そうか。……ついでにデザートに君も付いてこない?」
馬鹿ですか。
この朝二回目の台詞は。雪と共に降ってきた彼の熱い唇に塞がれて、音にならなかった。




END
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by netzeth | 2014-02-09 23:12 | Comments(0)