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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

ラストナイト

ベッドから抜け出してそっと扉を開けると、真っ暗な廊下が私を待っていた。
部屋を出て一歩踏み出せば、古い板張りのそこはギイギイと不気味な音を立てる。幼い頃の私はその場所をひどく恐れていた。怖くて一人でおトイレにいけなくて泣いていると、母がやって来て私を撫でてくれたものだ。
「夜になるとね、オモチャ達が楽しく歌って踊っているのよ。ギイギイという廊下の音はね、オモチャ達が遊んでいる音なのよ」
母はそう言うと、決まってオモチャ達の歌を歌ってくれた。その歌を聴いていると、不思議と私の中で夜の闇に対する恐怖は薄れていった。
やがて母が亡くなってその歌を歌ってくれる人も居なくなる。その代わり私も夜を怖がる年齢では無くなっていた。ただ、オモチャの話だけは何故かかなり大きくなるまで信じていて。
「お父さん。うちには楽しく遊ぶ場所なんて全然ないけど、オモチャは夜、どこで遊んでいるの?」
そんな質問をよくしては、父を困らせていた。意外にも彼は、幼い私に真実を告げてがっかりさせる事を良しとしなかったのだろう。真面目腐った顔で、
「……うちには本が沢山あるから、錬金術書でも読んでいるんじゃないのか」
と告げていたのをよく覚えている。今から思えば、吹き出しそうになってしまう逸話だ。しかし当時の私にとって、夜オモチャ達が何をして遊んでいるのか? はずいぶんと大問題であったようで。私はうちにやってくる人、やってくる人にその疑問をぶつけていた。大抵の大人は答えを避けるか笑うだけで答えてはくれなかったけれど。一人だけ、父と同じく真面目な顔で答えてくれた人がいる。
「……やっぱり、ここは本が沢山あるから、錬金術書でも読んでいるんじゃないかな」
その少年は父とまるっきり同じ回答を返してきて、やっぱりそうなんだ、お父さんの言った事は本当だったのね! と当時の私はとても感激した。
それから数年の年月が経ち、私はもうオモチャが夜に遊んでいる――なんていうお話を信じる年齢ではなくなってしまったけれど。私を喜ばせてくれた少年は、まだ我が家に居た。……でも、それも今夜までのこと。

ギイギイ鳴る廊下を忍び足で歩いて、私は居間を通り過ぎ二階への階段を昇った。目的の場所は二階に上がってすぐ、物置のすぐ隣の彼が間借りしている部屋。
辿り着いた私は、ノックもせずにそのドアを開けた。音を立てないように静かに静かに。一度寝入ってしまうと、彼――マスタングさんは寝汚なくて滅多な事では起きない。だから大丈夫だと思うけれど、こんな体たらくで、きちんと士官学校でやっていけるのか私はとても心配だった。それだけじゃない。彼は自分の身の回りの事がほとんど出来ない不器用な人だ。錬金術の錬成陣はとても綺麗な真円を描けるくせに、裁縫も料理も洗濯もダメ。針を持たせれば布じゃなくて自分の指を刺すし、包丁を持たせれば剥いた皮の方が実よりも厚いし、お洗濯を頼めば変な錬金術でお風呂場を泡だらけにした。
生活能力の欠如したこの人が、全寮制の士官学校で立派に学生生活を送れるとは到底私には思えなかった。
――だから、まだまだ、うちに居ればいいのに。
彼の眠るベッドの傍らに到着した私は、暢気に眠るマスタングさんの寝顔を見つめた。父の反対を押し切って、彼は士官学校への入学を決めてしまった。明日にはもう、うちを出て行ってしまう。もう私は、寝坊すけな彼を叩き起こす事も、床に描いた錬成陣を消しなさいと怒る事も、勉強する彼にお夜食を持って行く事も、出来ないのだ。
それが、寂しくて、寂しくて。耐えきれなくて、だから私は彼の部屋にやってきた。
小さい頃、何度か私はマスタングさんに一緒に寝てもらった事がある。父はそんな事をしてくれる人じゃ無かったから、母を亡くして以来、私が人の温もりを教えてもらったのは彼だった。私が成長した今では、一緒に眠るなんてとんでもない、ダメだと言われていたけれど。私はどうしても、今夜は彼と一緒に眠りたかった。今夜だけなら、それが許される気がしていた。
毛布の中で丸くなって眠っているマスタングさんの隣に私は滑り込んだ。マスタングさんの匂い、男の人の匂い。
それを鼻からおもいっきり吸い込んで、私は彼に身を寄せていった。
猫の様にすり寄っていくと、彼は手を伸ばして私をぎゅっと抱きしめてきた。腕だけでなく足まで私に巻き付けてくる。マスタングさんは手直にあるものを抱きしめて寝る癖があるから、私の事をきっと抱き枕だと思っているのだろう。
マスタングさんの温もり、マスタングさんの形。
それが、よりリアルに近く感じられて私は嬉しかった。今感じているその全てをずっと覚えていようと思った。これで、最後かもしれないから。そうしたら、この寂しさを我慢出来るかもしれない。
マスタングさんがうちを出て行って、士官学校に入学して何年もたって、やっと卒業して、軍人さんになって、もううちに戻って来なくても。今夜のこの記憶があれば、寂しくないから。
胸がぎゅっと締め付けられる感覚に、私は喘いだ。鼻の奥がツンとして、目に水分が盛り上がる気配がした。泣きたくない、と思ったけど、我慢できなくなって、私は涙をこぼしていた。
すると、そのタイミングでマスタングさんは私をまた、ぎゅーっとしてくれた。少し、痛くて苦しかったけど切なさに余計に涙が出てしまったけど。
「何でこういうタイミングはいいんですか……」
私は嬉しかった。



いつの間にか眠ってしまったらしい私が目を覚ましたのは、ぎゃあという悲鳴を耳にしたからだった。まだ眠かったけれど、毛布が剥がれて寒くなったので、私の目は自然と開いてしまった。寝ぼけ眼を擦って、私は挨拶する。
「おはようございます、マスタングさん」
「お、おはよ…じゃない! な、な、何で、リザが、お、俺のベッドにいるんだ!?」
まるで幽霊を見たみたいな青い顔をして、マスタングさんが私を指さしている。人を指さしちゃいけません、って教わらなかったのかな。
「えーと、それは……マスタングさんのお部屋の錬金術書をオモチャ達が読んでいるのかなあ、と思って見に来たら、眠くなってしま」
「お、俺、何も……何かしてないよな? な!?」
マスタングさんは私がせっかく用意していた言い訳も耳に入らないくらい動揺していて、とても必死な様子だった。
「何かって何ですか?」
首を傾げて尋ねたら、マスタングさんはお魚みたいに口を何度もパクパクとさせた。言葉が出て来ないみたい。
「……何か、は、まずいんですか?」
もう一度聞いてみたら、マスタングさんは顔を完熟トマトみたいに真っ赤にして、私に訴えてくる。
「まず……い、に決まっているだろう! リザ! 君は何を考えているんだ……! 君の年齢の女の子が、お、お、男と一緒に寝る…なんて、許される訳ないだろう! 常識を考えてくれ!!」
マスタングさんなら、そう言うと思った。一緒に寝てほしいなんて言っても絶対に了承してくれないとも思った。だから、昨日は黙ってベッドに潜り込んだのだ。
「いいじゃないですか、昔は一緒によく寝ていたんですし。一日くらい」
「よ、よくない! 全然よくない!! 何も無かったから、よかったものの……もし、何かあったら…俺は師匠に顔向け出来な、いや、殺される所だった……ああああっすみません! 師匠!!」
突然ベッドの上で土下座を開始するマスタングさん。私と彼の問題なのに、父に謝るマスタングさんが意味が分からない。
「別に父に謝る必要はないです。私がマスタングさんと一緒に寝たかっただけなんですから」
頬をぷっと膨らませて、ちょっとムクレて言ったら、マスタングさんは信じられないものを見るように私に視線を向けてきた。
「リザ……君は、絶対に意味が分かって言ってないだろう……」
「意味? 意味ってなんですか」
「いや、いいよ……」
諦めたようにマスタングさんが言うから、ますますムカついてくる。
「よくありません。それに、一緒に寝るくらいたいした事じゃないじゃないですか。マスタングさん、今日出て行ってしまうんですもの。最後に昔みたいにぎゅっとしてもらって眠りたかったんです!」
私は半分意地になって叫んだ。ただ、最後の夜に一緒に居たくて一緒に寝ただけなのに、それだけの事なのに、いつもしている訳じゃない、特別な夜だったからなのに。マスタングさんが訳の分からない事を言って私を責めてくるのが何だか悔しかった。すると、私の言葉を聞いたマスタングさんは雷に打たれたみたいにその場に固まってしまった。
「ま、待て、リザ。ぎゅっと……?」
「はい、ぎゅっとです」
「まさか、俺、君をぎゅっとしたのか?」
「はい、ぎゅ――っとされました」
「あああああっ、師匠ごめんなさい!!」
またしても、父に謝るから。
「もうっ! 父は関係ないじゃないですかっ! 全部私の意志で、私がマスタングさんのそばにいたくて、した事です!!」
私の言葉に天を仰いだマスタングさんは、次の瞬間がっくりとうなだれた。
「この自覚無し娘め……三年後覚えてろよ……」
三年後……? マスタングさんが士官学校を卒業したら……? 何があるんだろう。不思議に思ったけれど、今のマスタングさんからはもう聞き出せそうにない。ただ、その負け惜しみみたいな言葉が私の耳に残って。
三年後も私を忘れずに居てくれるの……?
彼の言う未来を想像すると、私の胸は不思議と躍り、今日の別れの悲しさが少しだけ薄らいでいったのだった。




END
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リザたん12歳くらい
by netzeth | 2014-04-01 01:23