うめ屋
STRAY SHEEP~サンプル~
~~抜粋~~
「これで、三件目か……」
深いため息を吐きながら、ロイは遺体を確認した。被害者に黙祷してから被せられている布をめくり、無惨な身体を改める。両腕と両足。四肢が身体から弾け飛ぶようにもがれて、胴体だけとなった姿。生々しい肉の断面を露わにして、もがれた手足が落ちている。凄惨極まりない光景だが、既にロイはこれと良く似た例を最近二件立て続けに目撃していたため、耐性が付いていた。
「大佐、被害者の身元の確認が取れました。ジェシカ・ユークリッド、二十三歳。この近所に勤めている女性です」
「家族は?」
「両親が田舎に居るようですが……セントラルでは一人暮らしをしていた様です」
「そうか……」
娘の訃報に嘆くだろう親の涙を想像するだけで、胸が痛んでロイは沈痛な面もちになった。死ぬはずのないと思っている相手が突然居なくなってしまうのは、辛すぎる現実である。つい最近、自分も経験したばかりだ。
「一応セントラルでの人間関係も洗っておけ」
「……イエッサー」
そう部下は一応の敬礼をしたが、その顔はどこか不服そうであった。それはそうだろうな、とロイは思う。この殺人が被害者の私的な事情から起こされたものでは無い事は、前例からいって明らかであるからだ。
セントラルシティにおいて、四肢がバラバラになった若い女性の遺体が続けて発見されているのは、二週間ほど前からの事である。
今回の事件で三件目。いずれも、身体の内側から強い衝撃を加えられて四肢が飛び散るような残酷な殺され方をされている。被害者は全て二十代前半の若い女性だ。その特徴的な殺され方から、これらの事件は同一犯の仕業であろうというのが、軍の見解だった。
事件の概要がこれだけだったならば普通は軍が出るまでも無く、憲兵司令部の方で事件を捜査するのだが。この事件に中央司令部所属のロイが関わっているのは、その特殊な殺しの手口に理由があった。
身体の内側から衝撃を与えて、人間一人を殺す――なんていう芸当を常人が出来る訳がない。すなわち、それが可能な人間が犯人ではないのかと思われる。そう、つまり錬金術師だ。
錬金術師の関与が疑われるこの事件に、錬金術師を統括する部署の責任者であるロイに捜査の命が下されたのは必然の流れだった。
「……マスタング大佐。僭越ではありますが、やはり、犯人は傷の男なのでは?」
その線で捜査を進めた方が良いのでは……? という部下の言葉に、ロイは首を振る。
「最近のセントラルではスカーの目撃例は無い。確かにスカーの人体破壊の錬金術に通ずるものがあるのは事実だが、この三件とも被害者は普通の一般女性だ。忘れたか、スカーが狙うのは国家錬金術師だ」
「そうでありますね……」
まだ若干納得のいかない顔をしていた部下の男だったが、ロイの断定するかのような強い口調に、それ以上意見を言うのは諦めたようだった。そんな様子をちらりと横目で眺めながら、ロイは内心で嘆息する。
彼を責めるのはお門違いだが、やはりこういう時は彼らが居てくれたら心強かった、そう思ってしまう。もしも彼らが、彼女が傍らに居たならば……上司と言えども容赦なく忌憚の無い意見を述べてくれたに違いないのだから。
しかし。
今現在それは不可能であった。ロイを取り巻く状況はそれを許してくれてはいなかったのだ。
北のマイルズとファルマンや東のグラマン、中央にいるオリヴィエ。彼らと密かに情報を交換し知った「約束の日」と名付けられた来春の皆既日食日。それこそがホムンクルスに蝕まれている軍上層部に牙を剥く時だ。その日にこそ、北も東も動く。同時にホムンクルス達が企む国家規模の陰謀を、ロイ達は阻止せねばならない。
つまりその日まではまだ、動くべき時では無いのだ。今はホムンクルス達には従順に従っていると思わせ、反抗的な態度は慎み、力を蓄えておかねばならない。もしも何か一つでも不穏な動きを気取られれば、「約束の日」が来る前に大事な人質がどうなってしまうか分からないのだから。
故にロイは今、中央で単身己の職務を全うするふりをする日々を過ごしていた。北と西と南へと散っていった、腹心の部下達。そして、近くに居ながら一番遠い存在になってしまった大事な女。再び彼らと肩を並べて、反撃の狼煙をあげるその日まで。
この殺されてしまった女性と同様に、自分の四肢というべき部下達をもがれて、不自由しているという自覚がロイにはあった。彼には現在、自分の手足となって動いてくれる部下が居ない。中央になって新たに配属されてきた部下は居るが、彼らは東方の部下達に比べればロイを理解し支えてくれる――とはとても言い難い存在だ。付き合いが浅いため無理も無い事だが、ロイの上辺しか見ていない彼らは彼を女好きの仕事をしない上司としか認識していないだろう。
(……自分で動くしかないか)
ホムンクルス達の存在は脅威だが、セントラルシティを襲う連続殺人犯の存在だって、一般市民にとっては十分過ぎる脅威だ。早々に取り除かねばならない。
そして、ロイは己の考えをまとめるために脳を働かせる。
先ほど部下がスカーの名前を出したが、彼が犯人ではありえないことをロイは知っていた。北からの情報では、スカーは既にこちら側に入ったと聞いている。どういう経緯でそうなったのかは詳しいことは不明だが、敵が一人でも減ったならばそれに越したことはない。元々イシュヴァール人と殺し合うことはロイの本意では無かった。それならば、とロイは考えを巡らせ続ける。今回の事件の犯人は一体何者なのかと。
(あのような殺し方は並大抵の錬金術では無理だ。手足を切り刻むというよりも内部から爆発させるように四肢が爆ぜている……)
まるで、手足の根本を爆弾で爆発させたかのように。
その残忍極まる殺し方――ロイには一人だけ脳裏をよぎる顔があった。
かつて、砂漠の地で共に戦った男。しかし、彼とロイの思想は百八十度異なるもので、二人は相容れることは無かった。ロイは彼が嫌いであったし、向こうもそれは同様だったはず。
(奴は北で行方不明になった……と聞いたが?)
だが、錬金術師としてのロイの勘が告げている。ぷんぷんと匂うのだ。術を見れば使う人物の人となりが想像出来る。この無慈悲な錬金術は……彼のそれに似ている。
(戻ってきたのか?……だとすると、やっかいな事になりそうだな……)
もしも、犯人が彼なのだとするならば。まともに逮捕出来るのかも怪しいものだ。もちろん、実力的に取り押さえるのが無理という訳ではない。ロイは彼とやり合った事は無いが、錬金術戦において己の焔と矜持にかけて負けるつもりはない。それよりも、やっかいな理由、そう、最大のネックは、彼があちら側の人間だと言うことである。
~~中略~~
夜の静けさを引っ掻くように、微かな悲鳴が風に乗ってロイの耳に届いた。
「奴か……!?」
声がした方向にロイは瞬時に走り出す。距離からいって今から駆けつけても既に手遅れかもしれないが、それでも一縷の希望を胸に狭い路地を走り抜けていく。やがて、一際闇が濃い一角へとロイは辿り着いた。
「うっ……」
かつてさんざん嗅ぎ慣れた臭いが鼻について、思わずロイは呻いた。その独特な臭いは微かな焦げの臭いと共に周囲に充満している。
――これは人の焼ける臭いだ。
ロイは己が間に合わなかった事を悟る。
「くそっ!」
悔しさを噛み殺して、更に歩を進めた。そして、軽くは無い苛立ちに身を焦がしながら、ようやく現場に到着する。そこには無惨な被害者の遺体だけがある……はずだった。
しかし。
そこでロイが見たのは遺体と、ありえない後ろ姿。見間違えるはずもない、見慣れすぎたシルエットだった。
「中尉……?」
掠れていたが、その声は夜の静寂を縫って良く響いた。届けられた声に、背を向けていた人物が振り返る。
「……大佐」
月の光を受けて、艶やかな金髪の輪郭が闇夜に浮かび上がっている。白い滑らかな頬は、前に会ったときに比べて痩せただろうか。ふっくらと健康的だったそれを思い出すと、ロイの心は切なく痛んだ。ただ鳶色の瞳だけが以前と変わらぬ強さの眼光で、ロイを見つめている。そこには複雑な光が宿っていた。
「どうして……ここに、貴方が……」
それを聞きたいのはロイの方だった。
リザの足下には明らかに、今襲われたといわんばかりの若い女性が横たわっている。それも、やはり手足をもがれた哀れな姿で。
女性の殺害現場にリザが居た。
その衝撃にロイは言葉も無く立ち尽くす。脳が理解の範疇を越えて、機能停止に陥っていた。
「おやおや……これはこれは懐かしい顔だ」
そんなロイを現実に引き戻したのは、ねっとりと絡みつくような声の主だった。蛇を思わせる狡猾でありながらも感情の籠もらない瞳が、昔と一寸も変わっていない男。
「……キンブリー」
やはりという確信と、何故という疑問を乗せてロイはその男の名を呟いた。白いスーツに身を包んだ男――キンブリーが路地の奥から姿を現したのだ。近付いて来たキンブリーはそのまま、死体の傍ら――リザの隣に立つ。
「ねえ? ホークアイ中尉」
親しげにリザに語りかける馴れ馴れしさと、彼女との近過ぎる距離にロイは苛立つ。私的な感情など抱いている場合ではないと分かってはいたが、この男に対する嫌悪感の方が先に立って、知らずロイの口調は攻撃的になってしまった。
「貴様がやったんだな?」
「いきなり決めつけるとは酷いですね。証拠も無しに犯人扱いとは……」
「殺害現場に貴様が居た事、それが何よりの証拠だ」
苛立ちを何とか押さえ込み、ロイは極力冷静に指摘する。それを受けて、キンブリーの口角が上がった。おかしくてたまらないといった風に笑い出す。
「ふふふ、焔の錬金術師はせっかちですねえ……、私が何をしたと? その目で見た訳でも無いのに滅多な事は言わない方がいいですよ。それに」
と、そこでキンブリーは無言で立つリザに視線を向けた。
「現場に居ただけで犯人扱いならば、こちらのホークアイ中尉も同様という事になりますが?」
「馬鹿な事を言うな。これは明らかに錬金術で行われた殺人だ。ホークアイ中尉に関わりがあるはずがない。貴様以外に犯人がどこに居るというんだ。分かったのならば一緒に来て貰おうか」
「私を捕まえるのですか? そんな事、出来る訳がありませんよ」
丁寧な言葉遣いとは裏腹にキンブリーの態度は不遜である。確かに彼のバックに国の最高権力者が居る以上、ロイの行使出来る権限は無きにも等しい。だが、ロイは引き下がるつもりは無かった。例えホムンクルスに何をされようと目の前で市民が犠牲になるのを、むざむざ見過ごせるはずもない。
「お待ち下さい、大佐」
睨み合う二人の錬金術師を止めたのは、その間に立つ女だった。
「キンブリー氏は今回の事件の犯人ではありません」
ロイの顔を痛いほどに見つめて、リザが訴えてくる。彼女がキンブリーを庇うような発言をした事に驚きながらも、それ以上にロイはリザの必死な表情が気にかかった。普段は感情を露わにしないこの女性が、取り乱す時――それは常に己が関わっている。
「犯人は別におります。……それは私が保証いたします」
「彼女の言うとおりですよ、マスタング大佐。変な言いがかりはよして下さい。我々は犯人逮捕に尽力しているのですから」
「我々……だと?」
ロイはキンブリーの言葉を聞き咎める。彼は大きく頷いた。
「ええ。私は大総統閣下よりこの事件に関して、自由に捜査する権限を与えられています。その上、閣下は私のために優秀な補佐官をお貸し下さったのですよ。ホークアイ中尉には事件捜査にご協力願っているのです」
キンブリーの言葉を俄に信じ難く、ロイはリザに視線を向ける。
「キンブリー氏の言う通りです。私は閣下より、氏に全面的に協力するように仰せつかっております」
しかし、他ならぬリザ自身が肯定した事でロイはキンブリーの主張を認めざるを得なくなった。そして、その事実を飲み込んだ上で導き出される結論に、肺腑が熱くなる思いがする。
(まさか……また意に添わぬ命令をされているのか――?)
脳裏に浮かぶのはまだ記憶に新しい事件だ。リザはその事件の折、アエルゴの王子を狙撃にて暗殺するように強要された――ロイ達の命を人質にされて。同じ事がまた彼女の身に起こっているのだとしたら。ロイは黙っている訳にはいかない。
「それは君の意志に添うのか。無理矢理に協力させられているんじゃないのか」
ロイは今、完全に己の立場を忘れていた。国軍大佐としての立場も、四肢をもがれた虜囚としての立場も、そしてホムンクルス達に対抗する反乱者としての立場も。ただ、一人の愛する女性を守りたい。その一心でリザに語りかけた。彼女の返答如何では、この場でキンブリーとやりあうのも辞さない覚悟だった。
しかし。
「……いいえ。そんな事はありません」
リザはロイの言葉を否定してきた。まっすぐにロイを見つめて。リザの瞳はロイに嘘を吐かない。彼女のその瞳は雄弁に語っていた。これは自分の意志なのだ、と。
「彼女の言うとおりですよ。無理矢理になんて、人聞きが悪いですねえ……、ホークアイ中尉はあくまでもご自分の意志で私に協力して下さっているのです」
ニコニコとした笑みを浮かべたキンブリーが、リザの肩に手を置いた。私のものに触れるな、と叫び出したい衝動をロイは何とか堪える。あまりの怒りに吐き気がしそうだった。
「大佐。犯人は私達が何とかします。……貴方は捜査から手をお引き下さい」
ロイにはリザの真意は見えなかった。ロイはリザを信じているが、彼女の語る言葉だけではそれを悟るのは不可能だった。
故にロイは、キンブリーという諸悪を前にして何も出来ない怒りと、リザに対する困惑とを持て余す事となる。
「そんな事が出来るか」
押し殺した言葉はぎりぎりの境界線だった。
「お願いです、大佐」
「ほら、ホークアイ中尉もこう言っている事ですし、大人しくしていた方が身のためですよ?」
ロイの神経を逆撫でするように、キンブリーが嘲笑する。ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、最大限の理性を総動員し、右手の指を擦りたい衝動に耐える。
――焔が奴を捉えるには、まだ時が早すぎる。
「あっと、いけませんね」
キンブリーが肩を竦めたのと、ひっという悲鳴が聞こえたのは同時だった。気がつけばロイ達以外の第三者が路地裏に入り込んで来ていたようだ。その人物は無惨な女性の遺体を目撃して、一目散に表通りへと逃げていった。おそらく、憲兵に通報するのだろう。
「憲兵さん達への対応はあなたにお任せしますよ、マスタング大佐。我々はこれで……」
キンブリーがリザを促して共に去っていこうとする。その背中に待て、と声をかけようとしてロイは思いとどまった。
一瞬だけ、リザと視線が絡んだ。その時、彼女の瞳が語っていたのだ。
信じて欲しい。と。
(信じている。信じているさ……)
彼女はロイに嘘は吐かない。リザが自分の意志でキンブリーに従っているというのならば、そうなのかもしれない。だがしかし。
(……君を、大切な女性の心配をするくらいは許してくれ)
血を吐くような思いで、ロイはリザを見送った。
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「これで、三件目か……」
深いため息を吐きながら、ロイは遺体を確認した。被害者に黙祷してから被せられている布をめくり、無惨な身体を改める。両腕と両足。四肢が身体から弾け飛ぶようにもがれて、胴体だけとなった姿。生々しい肉の断面を露わにして、もがれた手足が落ちている。凄惨極まりない光景だが、既にロイはこれと良く似た例を最近二件立て続けに目撃していたため、耐性が付いていた。
「大佐、被害者の身元の確認が取れました。ジェシカ・ユークリッド、二十三歳。この近所に勤めている女性です」
「家族は?」
「両親が田舎に居るようですが……セントラルでは一人暮らしをしていた様です」
「そうか……」
娘の訃報に嘆くだろう親の涙を想像するだけで、胸が痛んでロイは沈痛な面もちになった。死ぬはずのないと思っている相手が突然居なくなってしまうのは、辛すぎる現実である。つい最近、自分も経験したばかりだ。
「一応セントラルでの人間関係も洗っておけ」
「……イエッサー」
そう部下は一応の敬礼をしたが、その顔はどこか不服そうであった。それはそうだろうな、とロイは思う。この殺人が被害者の私的な事情から起こされたものでは無い事は、前例からいって明らかであるからだ。
セントラルシティにおいて、四肢がバラバラになった若い女性の遺体が続けて発見されているのは、二週間ほど前からの事である。
今回の事件で三件目。いずれも、身体の内側から強い衝撃を加えられて四肢が飛び散るような残酷な殺され方をされている。被害者は全て二十代前半の若い女性だ。その特徴的な殺され方から、これらの事件は同一犯の仕業であろうというのが、軍の見解だった。
事件の概要がこれだけだったならば普通は軍が出るまでも無く、憲兵司令部の方で事件を捜査するのだが。この事件に中央司令部所属のロイが関わっているのは、その特殊な殺しの手口に理由があった。
身体の内側から衝撃を与えて、人間一人を殺す――なんていう芸当を常人が出来る訳がない。すなわち、それが可能な人間が犯人ではないのかと思われる。そう、つまり錬金術師だ。
錬金術師の関与が疑われるこの事件に、錬金術師を統括する部署の責任者であるロイに捜査の命が下されたのは必然の流れだった。
「……マスタング大佐。僭越ではありますが、やはり、犯人は傷の男なのでは?」
その線で捜査を進めた方が良いのでは……? という部下の言葉に、ロイは首を振る。
「最近のセントラルではスカーの目撃例は無い。確かにスカーの人体破壊の錬金術に通ずるものがあるのは事実だが、この三件とも被害者は普通の一般女性だ。忘れたか、スカーが狙うのは国家錬金術師だ」
「そうでありますね……」
まだ若干納得のいかない顔をしていた部下の男だったが、ロイの断定するかのような強い口調に、それ以上意見を言うのは諦めたようだった。そんな様子をちらりと横目で眺めながら、ロイは内心で嘆息する。
彼を責めるのはお門違いだが、やはりこういう時は彼らが居てくれたら心強かった、そう思ってしまう。もしも彼らが、彼女が傍らに居たならば……上司と言えども容赦なく忌憚の無い意見を述べてくれたに違いないのだから。
しかし。
今現在それは不可能であった。ロイを取り巻く状況はそれを許してくれてはいなかったのだ。
北のマイルズとファルマンや東のグラマン、中央にいるオリヴィエ。彼らと密かに情報を交換し知った「約束の日」と名付けられた来春の皆既日食日。それこそがホムンクルスに蝕まれている軍上層部に牙を剥く時だ。その日にこそ、北も東も動く。同時にホムンクルス達が企む国家規模の陰謀を、ロイ達は阻止せねばならない。
つまりその日まではまだ、動くべき時では無いのだ。今はホムンクルス達には従順に従っていると思わせ、反抗的な態度は慎み、力を蓄えておかねばならない。もしも何か一つでも不穏な動きを気取られれば、「約束の日」が来る前に大事な人質がどうなってしまうか分からないのだから。
故にロイは今、中央で単身己の職務を全うするふりをする日々を過ごしていた。北と西と南へと散っていった、腹心の部下達。そして、近くに居ながら一番遠い存在になってしまった大事な女。再び彼らと肩を並べて、反撃の狼煙をあげるその日まで。
この殺されてしまった女性と同様に、自分の四肢というべき部下達をもがれて、不自由しているという自覚がロイにはあった。彼には現在、自分の手足となって動いてくれる部下が居ない。中央になって新たに配属されてきた部下は居るが、彼らは東方の部下達に比べればロイを理解し支えてくれる――とはとても言い難い存在だ。付き合いが浅いため無理も無い事だが、ロイの上辺しか見ていない彼らは彼を女好きの仕事をしない上司としか認識していないだろう。
(……自分で動くしかないか)
ホムンクルス達の存在は脅威だが、セントラルシティを襲う連続殺人犯の存在だって、一般市民にとっては十分過ぎる脅威だ。早々に取り除かねばならない。
そして、ロイは己の考えをまとめるために脳を働かせる。
先ほど部下がスカーの名前を出したが、彼が犯人ではありえないことをロイは知っていた。北からの情報では、スカーは既にこちら側に入ったと聞いている。どういう経緯でそうなったのかは詳しいことは不明だが、敵が一人でも減ったならばそれに越したことはない。元々イシュヴァール人と殺し合うことはロイの本意では無かった。それならば、とロイは考えを巡らせ続ける。今回の事件の犯人は一体何者なのかと。
(あのような殺し方は並大抵の錬金術では無理だ。手足を切り刻むというよりも内部から爆発させるように四肢が爆ぜている……)
まるで、手足の根本を爆弾で爆発させたかのように。
その残忍極まる殺し方――ロイには一人だけ脳裏をよぎる顔があった。
かつて、砂漠の地で共に戦った男。しかし、彼とロイの思想は百八十度異なるもので、二人は相容れることは無かった。ロイは彼が嫌いであったし、向こうもそれは同様だったはず。
(奴は北で行方不明になった……と聞いたが?)
だが、錬金術師としてのロイの勘が告げている。ぷんぷんと匂うのだ。術を見れば使う人物の人となりが想像出来る。この無慈悲な錬金術は……彼のそれに似ている。
(戻ってきたのか?……だとすると、やっかいな事になりそうだな……)
もしも、犯人が彼なのだとするならば。まともに逮捕出来るのかも怪しいものだ。もちろん、実力的に取り押さえるのが無理という訳ではない。ロイは彼とやり合った事は無いが、錬金術戦において己の焔と矜持にかけて負けるつもりはない。それよりも、やっかいな理由、そう、最大のネックは、彼があちら側の人間だと言うことである。
~~中略~~
夜の静けさを引っ掻くように、微かな悲鳴が風に乗ってロイの耳に届いた。
「奴か……!?」
声がした方向にロイは瞬時に走り出す。距離からいって今から駆けつけても既に手遅れかもしれないが、それでも一縷の希望を胸に狭い路地を走り抜けていく。やがて、一際闇が濃い一角へとロイは辿り着いた。
「うっ……」
かつてさんざん嗅ぎ慣れた臭いが鼻について、思わずロイは呻いた。その独特な臭いは微かな焦げの臭いと共に周囲に充満している。
――これは人の焼ける臭いだ。
ロイは己が間に合わなかった事を悟る。
「くそっ!」
悔しさを噛み殺して、更に歩を進めた。そして、軽くは無い苛立ちに身を焦がしながら、ようやく現場に到着する。そこには無惨な被害者の遺体だけがある……はずだった。
しかし。
そこでロイが見たのは遺体と、ありえない後ろ姿。見間違えるはずもない、見慣れすぎたシルエットだった。
「中尉……?」
掠れていたが、その声は夜の静寂を縫って良く響いた。届けられた声に、背を向けていた人物が振り返る。
「……大佐」
月の光を受けて、艶やかな金髪の輪郭が闇夜に浮かび上がっている。白い滑らかな頬は、前に会ったときに比べて痩せただろうか。ふっくらと健康的だったそれを思い出すと、ロイの心は切なく痛んだ。ただ鳶色の瞳だけが以前と変わらぬ強さの眼光で、ロイを見つめている。そこには複雑な光が宿っていた。
「どうして……ここに、貴方が……」
それを聞きたいのはロイの方だった。
リザの足下には明らかに、今襲われたといわんばかりの若い女性が横たわっている。それも、やはり手足をもがれた哀れな姿で。
女性の殺害現場にリザが居た。
その衝撃にロイは言葉も無く立ち尽くす。脳が理解の範疇を越えて、機能停止に陥っていた。
「おやおや……これはこれは懐かしい顔だ」
そんなロイを現実に引き戻したのは、ねっとりと絡みつくような声の主だった。蛇を思わせる狡猾でありながらも感情の籠もらない瞳が、昔と一寸も変わっていない男。
「……キンブリー」
やはりという確信と、何故という疑問を乗せてロイはその男の名を呟いた。白いスーツに身を包んだ男――キンブリーが路地の奥から姿を現したのだ。近付いて来たキンブリーはそのまま、死体の傍ら――リザの隣に立つ。
「ねえ? ホークアイ中尉」
親しげにリザに語りかける馴れ馴れしさと、彼女との近過ぎる距離にロイは苛立つ。私的な感情など抱いている場合ではないと分かってはいたが、この男に対する嫌悪感の方が先に立って、知らずロイの口調は攻撃的になってしまった。
「貴様がやったんだな?」
「いきなり決めつけるとは酷いですね。証拠も無しに犯人扱いとは……」
「殺害現場に貴様が居た事、それが何よりの証拠だ」
苛立ちを何とか押さえ込み、ロイは極力冷静に指摘する。それを受けて、キンブリーの口角が上がった。おかしくてたまらないといった風に笑い出す。
「ふふふ、焔の錬金術師はせっかちですねえ……、私が何をしたと? その目で見た訳でも無いのに滅多な事は言わない方がいいですよ。それに」
と、そこでキンブリーは無言で立つリザに視線を向けた。
「現場に居ただけで犯人扱いならば、こちらのホークアイ中尉も同様という事になりますが?」
「馬鹿な事を言うな。これは明らかに錬金術で行われた殺人だ。ホークアイ中尉に関わりがあるはずがない。貴様以外に犯人がどこに居るというんだ。分かったのならば一緒に来て貰おうか」
「私を捕まえるのですか? そんな事、出来る訳がありませんよ」
丁寧な言葉遣いとは裏腹にキンブリーの態度は不遜である。確かに彼のバックに国の最高権力者が居る以上、ロイの行使出来る権限は無きにも等しい。だが、ロイは引き下がるつもりは無かった。例えホムンクルスに何をされようと目の前で市民が犠牲になるのを、むざむざ見過ごせるはずもない。
「お待ち下さい、大佐」
睨み合う二人の錬金術師を止めたのは、その間に立つ女だった。
「キンブリー氏は今回の事件の犯人ではありません」
ロイの顔を痛いほどに見つめて、リザが訴えてくる。彼女がキンブリーを庇うような発言をした事に驚きながらも、それ以上にロイはリザの必死な表情が気にかかった。普段は感情を露わにしないこの女性が、取り乱す時――それは常に己が関わっている。
「犯人は別におります。……それは私が保証いたします」
「彼女の言うとおりですよ、マスタング大佐。変な言いがかりはよして下さい。我々は犯人逮捕に尽力しているのですから」
「我々……だと?」
ロイはキンブリーの言葉を聞き咎める。彼は大きく頷いた。
「ええ。私は大総統閣下よりこの事件に関して、自由に捜査する権限を与えられています。その上、閣下は私のために優秀な補佐官をお貸し下さったのですよ。ホークアイ中尉には事件捜査にご協力願っているのです」
キンブリーの言葉を俄に信じ難く、ロイはリザに視線を向ける。
「キンブリー氏の言う通りです。私は閣下より、氏に全面的に協力するように仰せつかっております」
しかし、他ならぬリザ自身が肯定した事でロイはキンブリーの主張を認めざるを得なくなった。そして、その事実を飲み込んだ上で導き出される結論に、肺腑が熱くなる思いがする。
(まさか……また意に添わぬ命令をされているのか――?)
脳裏に浮かぶのはまだ記憶に新しい事件だ。リザはその事件の折、アエルゴの王子を狙撃にて暗殺するように強要された――ロイ達の命を人質にされて。同じ事がまた彼女の身に起こっているのだとしたら。ロイは黙っている訳にはいかない。
「それは君の意志に添うのか。無理矢理に協力させられているんじゃないのか」
ロイは今、完全に己の立場を忘れていた。国軍大佐としての立場も、四肢をもがれた虜囚としての立場も、そしてホムンクルス達に対抗する反乱者としての立場も。ただ、一人の愛する女性を守りたい。その一心でリザに語りかけた。彼女の返答如何では、この場でキンブリーとやりあうのも辞さない覚悟だった。
しかし。
「……いいえ。そんな事はありません」
リザはロイの言葉を否定してきた。まっすぐにロイを見つめて。リザの瞳はロイに嘘を吐かない。彼女のその瞳は雄弁に語っていた。これは自分の意志なのだ、と。
「彼女の言うとおりですよ。無理矢理になんて、人聞きが悪いですねえ……、ホークアイ中尉はあくまでもご自分の意志で私に協力して下さっているのです」
ニコニコとした笑みを浮かべたキンブリーが、リザの肩に手を置いた。私のものに触れるな、と叫び出したい衝動をロイは何とか堪える。あまりの怒りに吐き気がしそうだった。
「大佐。犯人は私達が何とかします。……貴方は捜査から手をお引き下さい」
ロイにはリザの真意は見えなかった。ロイはリザを信じているが、彼女の語る言葉だけではそれを悟るのは不可能だった。
故にロイは、キンブリーという諸悪を前にして何も出来ない怒りと、リザに対する困惑とを持て余す事となる。
「そんな事が出来るか」
押し殺した言葉はぎりぎりの境界線だった。
「お願いです、大佐」
「ほら、ホークアイ中尉もこう言っている事ですし、大人しくしていた方が身のためですよ?」
ロイの神経を逆撫でするように、キンブリーが嘲笑する。ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、最大限の理性を総動員し、右手の指を擦りたい衝動に耐える。
――焔が奴を捉えるには、まだ時が早すぎる。
「あっと、いけませんね」
キンブリーが肩を竦めたのと、ひっという悲鳴が聞こえたのは同時だった。気がつけばロイ達以外の第三者が路地裏に入り込んで来ていたようだ。その人物は無惨な女性の遺体を目撃して、一目散に表通りへと逃げていった。おそらく、憲兵に通報するのだろう。
「憲兵さん達への対応はあなたにお任せしますよ、マスタング大佐。我々はこれで……」
キンブリーがリザを促して共に去っていこうとする。その背中に待て、と声をかけようとしてロイは思いとどまった。
一瞬だけ、リザと視線が絡んだ。その時、彼女の瞳が語っていたのだ。
信じて欲しい。と。
(信じている。信じているさ……)
彼女はロイに嘘は吐かない。リザが自分の意志でキンブリーに従っているというのならば、そうなのかもしれない。だがしかし。
(……君を、大切な女性の心配をするくらいは許してくれ)
血を吐くような思いで、ロイはリザを見送った。
*********************************
by netzeth
| 2014-04-09 22:58