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ただいまとおかえりなさい

サイト5周年記念SSです。
※ 内容は、ほのぼの、シリアス、イチャイチャ、交ざってます。ロイアイの子供が出ますのでご注意を。大丈夫な方は以下からどうぞ。





退屈で仕方がなかった学校から帰ると、ロイは首に下げていた鍵を取り出した。小さな手で握り締め、自宅の鍵穴に差し込んでひねる。カチリと錠が外れる音は小気味良いが、ロイにとっては同時に寂しい音でもあった。
扉を開けて中に入る。
ただいまと言っても答えるものは居ない。それでもロイが律儀に誰も居ない家に向かってただいまと言うのは、義母の躾のたまものだろうか。それとも返るはずも無い返事を期待してだろうか。
とてとてと部屋を横切り鞄と上着をおくと、ロイはキッチンへと向かう。腹ぺこで帰ってくる息子のために、義母はおやつと夕食を用意してくれているはずだ。
はたして。
ロイの予想通り、キッチンテーブルの上には段々重ねのパンケーキと夕食用の大きな鍋が乗っていた。鍋の下にはメモが挟まっている。それには義母の字でこう書かれていた。
暖めて食べな。火の扱いには気をつけること。
もしかしてとわくわくしながら鍋の蓋を持ち上げて、ロイは顔を輝かせた。今日はロイの大好きなビーフシチューだ。
どうしよう。お夕飯にはまだ早いけど、おやつのパンケーキと一緒に食べようかな。浮き立つ気持ちのままそんなことを計画するが、しかし、すぐにロイの気持ちは沈んでしまう。
錬金術の本を読むのも、勉強をするのも一人の方が好きだ。学校で皆で一緒にお勉強するのは退屈過ぎる。先生が教えてくれる内容なんてロイはもう全部知っているというのに。でも、ご飯を食べるのだけは一人はつまらないとロイは思っている。どんなに美味しい叔母さんのビーフシチューもどこか味気なく感じてしまうのだ。
せっかくのビーフシチューも、沢山焼いて貰ったパンケーキも。一人きりで食べるのはつまらない。
両親を亡くし義母に引き取られてから、誰も居ない家に帰るのはロイの日常だった。夜の店を経営している義母は忙しく、一日中ロイと一緒には居られない。おかえりと言って貰えない寂しさはまだ幼いロイの心を締め付けるけれど、それでも叔母さんを困らせてはいけないと口に出したことはない。
叔母さんは良い顔をしないけど、ご飯を食べたらお店に行こうかな。とロイは考える。お店に行けば明るくて楽しい綺麗なお姉さん達が大勢居る。ロイ君ロイ君とロイのことを構い過ぎて、女の子のお洋服を着せられたりお化粧されたりと悪戯されるのは困ってしまうが、それでも賑やかで寂しさなんか忘れてしまえる。
そうだ。お家は嫌だ。一人は嫌だ。本を持ってお店に行こう。
早速ロイはパンケーキを頬張ると、ビーフシチューをコンロにかけた。ぼっと点った炎だけが、寒々しい家の中で唯一の温もりに思えた。






寒風が吹き抜ける夕刻。寒さに震えながもら緩やかな坂道を登り、ロイはようやくたどり着いた屋敷の扉の前に立った。無駄に立派な扉のドアノッカーを鳴らそうとした所で、ふと手を止める。
今の時刻ならば、きっと彼女は夕食の準備に追われているはずだ。わざわざ手を煩わせる必要もない。
そう判断して、ロイはこの家に来た当初に渡された鍵を取り出す。使うのを遠慮していてあまり活躍の機会が無かったそれだが、ようやく日の目を見るようだ。
鍵穴に差し込むと、ひねる。重い感触の後にがちゃりと重厚な音が鳴った。
扉を開けて玄関口に入りロイはコートを脱いだ。暖房など無い家だが、それでも外よりもだいぶ暖かい。おまけに、廊下の向こうのキッチンからは、ふんわりといい匂いがする暖かい空気が流れてくる。
鼻をひくつかせながら、ロイは一言声を上げる。
「ただいま」
すると。
「マスタングさん?」
キッチンから金色の髪の少女がひょいと顔を覗かせた。そしてレードルを片手にエプロン姿でぱたぱたと足音をさせながら、ロイの元にやってきた。その可愛らしい様子にロイの頬は緩む。
「やあ、リザ。ただいま」
「おかえりなさい、マスタングさん」
ニッコリと笑いながら言えば、はにかみながらもリザは応えてくれた。
ただいまと言うとおかえりと返事がある。
ずっと鍵っ子だったロイにはそんな些細なことがとても嬉しい。自分の家ではないのだからただいまはおかしいだろう、と当初はおじゃましますと言っていたロイだった。だが、この家の小さな主婦にただいまって言って下さい、と言われてからはその言葉に甘えて、ただいまと挨拶している。
「やっぱり夕飯の支度中だったか。忙しいだろう? わざわざ出迎えなくても大丈夫だよ」
「そういう訳にはいきません」
レードルに視線を向けながら言えば、リザはぷうっと頬を膨らませて反論してきた。
「マスタングさんがいらしたのに、知らんぷりだなんて出来ません」
どこまでも生真面目な少女にロイは苦笑する。また可愛いなあ、と思ってしまい思わずふわふわした金色の頭に手が伸びた。ありがとう、と礼を言いながら撫で撫ですると、子供扱いして、とますますリザは頬を膨らませた。彼女の頭を撫でるのをロイは好んでいるのだが、リザからしてみれば不本意らしい。それでも払い退けたりはしないのだから、本当に嫌がっているという訳でもなさそうだ。
女の子は複雑だな。
そんなことを思いながら、これ以上リザを不機嫌にさせないために、とロイは話題を変える。それは先ほどから気になって仕方が無かったこと。
「なあ、リザ。この匂い……もしかしてビーフシチュー?」
ビーフシチューはロイの好物である。彼も腹を空かせた育ち盛りの少年だ。胃袋はどこまでも正直で。己の好物が夕食かもしれないと相好を崩す。だが、喜ぶロイに対してリザは申し訳なさそうにしている。
「あの……違うんです。マスタングさん」
「え?」
これは確かにビーフシチューの匂いだ。何が違うのだろう、とロイはキッチンへと歩き出した。直接その目で確かめようと思ったのだ。
「ほら、やっぱり……ビーフシチューじゃないか」
大鍋いっぱいにぐつぐつ煮立っている深い色。鼻孔を擽る、空腹中枢を刺激する香り。どこからどう見ても美味しそうなビーフシチュー。
それを目にして、どうだとばかりに後ろを付いて来たリザを振り返る。
「違うんです、マスタングさん」
しかしリザはもう一度違う、と言って首を振った。
「違うって何が?」
「……このシチュー、裏庭の畑でとれたお野菜しか入ってないんです」
「え?」
「ビーフシチューなのに、肝心のビーフが入ってないんです……ごめんなさい」
心底申し訳なさげに言うリザに、一瞬ぽかんとした顔をしたロイだったが。すぐに冷静になる。そもそも。この家の家計を鑑みればそれは仕方のない話だ。ホークアイ家にとって肉は高級食材。そういえばロイがこの家で口にしたことがある肉はリザがしとめてきたという、鳥の肉くらいだった。
「どうして謝るんだ、リザ? 俺は肉の有無なんてどうでもいいよ。リザが育てた人参やジャガイモやタマネギ、きっと美味しいだろうなあ……」
本心からそう言い切って口の端からあふれそうになっていた涎を拭うと、ロイは今度はリザの頭をぽんぽんと軽く叩いてやった。少女が一生懸命に食材から作ってくれた食事を、どうして美味しくないと思えるのか。まして、ロイにとっては食事の内容自体も本来どうでも良いことだ。肝心なのは、皆で食卓を囲んで食べること。
「早く食べたいな」
「すぐにお支度出来ますから!」
ぱあっと顔を輝かせたリザが、軽やかに身を翻して夕飯の準備を再開する。ピンク色の可愛らしいエプロンの裾が、まるでドレスみたいに揺れた。
「そうか。じゃあ、もうしばらくしたら師匠も呼んで来るから」
そうしたら、皆でご飯にしよう。皆で食べるご飯はきっと美味しい。
「はい!!」
嬉しそうに頷くリザの顔を眺めながら、ロイはそう確信していた。






数ヶ月、いやそれ以上か。とにかく久しぶりに帰った軍の独身寮の自室の前で、ロイは立ち止まった。コートのポケットから鍵を取り出して、差し込む。捻った感触はまるで錆び付いてでもいるかのように、妙に重かった。
しばらく使われていなかった部屋というのはこういうものか、と思いながら扉を開ける。カーテンが引かれたままの真っ暗な室内はホコリ臭かった。懐かしい匂いに思わず言葉がこぼれる。
「ただいま」
それはあまりにも重い言葉だった。
大総統令三〇六六号。国家錬金術師を投入しての大規模な殲滅戦。ロイも例外ではなくイシュヴァールに駆り出されることとなった。何ヶ月にも及ぶ戦場暮らしを終え、ロイは今ようやく自宅へと帰ってきた。
生きて帰ってきた。同じようにただいまを言う権利を他者から奪い、帰ってきてしまったのだ。
「ただいま」
だが、ロイはあえてもう一度言った。瞳に力を込め、前方を見据えながら。その挨拶は今度はまた違った意味を持っている。
脳裏には様々なことが思い出されていた。
イシュヴァールで自分が行ったこと、罪と償いと誓い。上を目指しこの国を変えると言う野望。そしてこの家に帰る前にロイが行ったこと。最愛の女の背中を焼いた、あの瞬間。それは彼女とロイとの絆と言っていい秘伝をこの世から消し去り、同時に永遠に自分以外の焔の錬金術師を消し去る行為だった。
ロイは生きて帰ってきた。だからこそ、ただいま、と言う。それは凄惨な記憶を忘れず、だが、その傷に引きずられることもなく新たな自分になるために必要な儀式だった。

ただ、今、から、始める。そう決意するための。

足早に部屋内を横切ると、ロイは締め切ったままのカーテンを開けた。差し込む日光に目を細めながら、荷物を放り出し、同時に体もソファーへと投げ出し目を瞑る。
好物のビーフシチュー。戦場では帰ったら腹一杯食べてやると決めていたのに、今は脳裏に思い浮かべるだけで腹が一杯になった。






いつも通りの手順で鍵を使って自宅に入ろうとしたらば、鍵がかかってしまった。どうやら扉は最初から開いていたらしい。
鍵を閉め忘れて出かけてしまったのだろうか、我ながら不用心だな、と首を捻っていたロイが再び鍵穴に鍵を差し込もうとした所でドアは中から開かれた。
「……おかえりなさいませ、中佐」
「た、だ、い、ま、少尉……」
目の前にある甘い光景が信じられなくて、思わず言葉が切れ切れとなる。恋人となってまだ日も浅い女性が、エプロン装備でレードル片手に出迎えてくれたのだ。おまけに部屋の奥からはふわんと香る、ビーフシチューのいい匂い。手料理付きときたもんだ。これで驚くなという方が無理である。
「鍵……使わせて頂きました」
「……あ、ああ」
渡した合い鍵が使われたのは、本日がはじめてである。恋人の部屋に合い鍵を使って入る。その何とも甘酸っぱい行為をしでかしてくれた女性は恥ずかしそうに頬を赤らめている。
恋人同士となっても職場ではあくまでもクールに上司と部下の関係を固持していたリザ。それが、この変わり様はどうだ。あまりのギャップとサプライズにロイは動揺が隠せない。
「そ、それは……ぜ、ぜんぜん? かまわないが?」
声が上ずり、リザから視線を泳がせたまるで不審者のようなしどろもどろな答え方になってしまう。何しろ、彼女を直視すると理性が危うかった。
「中佐……? あ、あのっ」
「と、とにかく、私は着替えてくるよ!」
別に裸エプロンでもあるまいに。己を落ち着かせながら、何かを言い掛けたリザを振り切るようにロイは着替えと称して寝室へと駆け込もうとする。そのジャケットの裾をリザが力一杯掴んだ。当然ロイは勢い余ってつんのめる。
「こらっ、な、何をするんだね、少尉……っ、危ないだろう!」
全力で床とキスしそうになったのを、何とか体勢を整えて防ぐ。リザに抗議の意味を込めて視線を送ると、潤んだ鳶色と目が合ってロイは大いに怯んだ。
「しょ、少尉……?」
「……しょう」
「へ?」
エプロン姿で恋人の好物を作って帰りを待っているリザ……なんて、夢のような存在、いつまでも直視していると本当に理性の箍が外れてしまいそうで。非常に退避したかったが、自分を睨むように見上げて来るこの瞳にロイは弱い。視線で釘付けにされたままリザの言葉を聞く。
「……自宅に上がり込んで夕食の準備をして待つ女なんて重たいと思われたんでしょう!」
とんでもない誤解に、ロイは目を剥いた。恋人に対する気恥ずかしさから来た自分の態度が、そんな風に捉えられてしまったとは。
「違う!」
リザをそんな風に思ったことなんて、誓って一度もない。
「君を重たいと思ったことなんて、一度もないぞ!」
必死に訴えるが、リザは納得しかねる様子である。
「嘘です! 私、一般女性の平均体重より重いんですから!」
「君の場合背丈があるから仕方がないっ……て、体重の話なんてしてないだろう!」
「やっぱり、普通の女性より重たいってお思いなんですね!?」
「思ってない! 君はぜんぜん重くないぞ!」
「お気を使われなくともいいんですっ。自分が一番分かってますから!!」
最初と微妙に話がずれていってるが、無我夢中で言い合う恋人達は気づいていなかった。
「だからっ……違うっ、て。あーーもうっ!」
ロイは片手で頭をぐしゃぐしゃとかきむしると。
「ほらっ!」
言葉より行動とばかりに、その場でリザの身体を軽々とお姫様抱っこで抱き上げた。幾ら普通の女性よりも重かろうと、ロイにとってそもそもリザの体重なんてたいした重さではない。
「君のどこが重いって言うんだ! 見ろ、このままベッドまで運ぶのだって余裕だからな!?」
鼻息荒くそう気勢を上げた所で、ロイは再び自分を見上げてくる鳶色と目があった。リザの首から上は真っ赤に染まっていた。
「いや、違う。その、これは言葉のあやで……」
はっと我に返る。
己の行為がことになだれ込む前の恋人のそれだと気づき、ロイは大いに慌てた。帰ってまだ夕食も取っていない。まして、シャワーも済ませていない。それなのにまるで恋人を美味しく頂こうとしているかのような今の自分。これではただのがっついた余裕の無い男である。
「あ、あの……っビーフシチュー冷めてしまい、ます、から……」
「あ、ああ……そうだな」
不穏な熱を帯び始めた下半身の欲望を、必死に食欲へと切り替えて。ロイはビーフシチューの待つキッチンへと歩き出した。
しかし二人とも動揺し過ぎて。
降ろせばいいのに結局キッチンまでリザを抱いて運んでしまったのにロイが気づくのは、もう少し後のことである。






イライラしていると何をやってもうまくいかないものであるらしい。ポケットから取り出したキーケースには、何故か自宅の鍵が付いていなかった。どうやらどこかで落としたようだ。だが、普通の人間だったらば一大事でも、ロイにとってはどうということはない。ロイはこれでも人間兵器と呼ばれる国家錬金術師様なのだから。錬金術を使えばドアの解錠くらい朝飯前である。
防犯上鍵は付け替えた方が良いだろうか。ちょうどいい。それならば彼女から鍵を返して貰う手間もない。
投げやりにそんなことを考えながら、同時に脳裏で錬金術の構成を練る。金属を変形させるよりも、木製のドア自体に穴を空けて手を差し入れ手動で解錠した方が楽だろうか、穴はまた塞げばいい。
しかし錬金術用のチョークを懐から取り出しドアに直接錬成陣を描こうととした直前に、ドアは内側から開いた。
顔を覗かせたのは、本日一日中ロイを苛つかせる原因、いや、元凶となった人物である。
「……何をもたもたしているのですか」
ロイは虚を突かれた。まさか、リザが居るとは思わなかったのだ。確かに約束はしてあった。彼女が非番の今日、夕食を作りに来てくれると。だがあれほど派手に喧嘩した次の日に、律儀にその相手との約束を守るとは思わなかったのだ。
喧嘩のきっかけはほんの些細なことだった。いつもならばどちらかが折れ、それですぐに仲直りしただろう。だが、昨日の喧嘩は最後までロイもリザも意地を張ってしまった。もう顔も見たくない、貴方との仲もこれまでですね。強い言葉の応酬の果てに、最悪な形で昨夜は別れたはずだ。
「た、ただいま……」
「おかえりさいませ」
唖然としながらも、ついつい子供の頃からの習慣で挨拶をしてしまう。それに律儀にリザは答えて来た。
だが。
「か、勘違いしないで下さい。私も今来たばかりで……荷物を取りに来ただけです。すぐに帰りますから」
すぐにツンケンした態度でぴしゃりと反応される。この態度に昨夜の怒りが俄に復活してしまい、ロイはムッとした。
「そうか。ならば、早くしたまえよ」
あくまでも素っ気ない態度で言い置いて、玄関から部屋奥へと向かう。こちらから謝る気はさらさらない。彼女の態度を見るに、リザも同様であるようだ。謝れば許そうと思っていただけに、ロイのイライラは更に募る。やはり早々に鍵の付け替えを行わねばならないようだ。そして、言ってやるつもりだ。
私の部屋の鍵は処分して貰ってかまわない、と。
トゲトゲしい気分が伝染したように大股で歩き、乱暴な所作でリビングへと入ったロイは、だから、気づかなかった。ロイの後ろでリザが少しだけ慌てたような顔をしていたのを。
そして。リビングに足を踏み入れたロイは呆然とするのだ。
ロイがリビングで目にしたのは、朝目にしたものとはまるで違う景色だった。
何だこれは。
自分は別の部屋と間違えて入ってしまったのだろうか、と思わず錯覚する。ソファーにかけられた脱ぎっぱなしの洋服も、床に散らばった読みかけの本も、テーブルの上の汚れた皿と飲みっぱなしのコーヒーカップも。全てがきちんと片づけられており、綺麗に整理整頓されていた。すっかり見違えたリビングは広々とした快適空間になっており、部屋の隅っこでスピスピ寝息を立てる黒犬の姿まで見える。
誰が掃除したのか、なんて考えるまでもないことだ。思わずロイは後ろを振り返った。そこには、ばつの悪そうな顔で視線を逸らすリザの姿があった。
……荷物を取りに来ただけ、という割にはしっかり掃除しているじゃないか。犬まで連れて。しかもその犬はすっかりくつろいだ様子で眠っている。とても今来たばかりとは思えない。
リザの意図が知りたくてその辺りを指摘してやろうとしたロイだが、その行動はふわんとキッチンから漂って来る食欲を刺激する香りによって中断された。同時にリザがきゃっと悲鳴を上げる。
「大変!」
キッチンへとすっ飛んでいく彼女。ロイもその後を追う。
コンロへと駆け寄ったリザは、慌てて火を止めて鍋の中身をレードルでかき混ぜている。
「良かった……焦げてないわ……」
「何が良かったのかね?」
心の底から安堵したという声で呟くリザの耳元に、ロイは囁いてやった。頬がゆるむのを自覚する。
「ひゃっ、なっ、大佐……!」
耳を押さえて抗議の声を上げるリザを、少しだけ意地悪い気分でロイは見つめる。あれだけ派手に喧嘩したくせに。もう貴方なんて知りません、貴方なんて愛してしません、禿げてタンスの角に小指をぶつけてしまえばいいのに! とか、太ってくしゃみした拍子にズボンの尻が破れ年甲斐の無い派手な下着を女性職員に見られてくすくす笑われればいいのに! とか。好き放題言ってくれたくせに。
素直に約束通り合い鍵で部屋に入って、部屋を綺麗に掃除した挙げ句好物を作って自分の帰りを待っているだなんて、反則だ。
「仲直りのビーフシチューだと思っていいんだよな?」
確認せずとも、リザの気持ちなどもうわかっていた。辺りに立ちこめるリザ特製のビーフシチューのいい匂いが、言葉よりも雄弁に語っている。
「どうぞ、ご勝手に……」
それでもまだ素直じゃない口をきくから。この意地っ張りめと、ロイは可愛い恋人の唇に口づけることにしたのだった。






世界がひっそりと寝静まった深夜。ロイは自宅へと帰り着いた。以前までならば、ようやく気が抜けると心を落ち着けただろう。
だが、帰宅は今のロイにとっては安らげる時間の始まりとは言えなかった。どこにいても気は抜けない。そう、たとえ自宅でくつろいでいる瞬間でも。
手慣れたはずの鍵を開けるその動作一つとっても、警戒心を抱きながらになってしまう。やがて、がちゃりといつもの音を立てて鍵は呆気いほど容易く開いたが。ふと、こんなものが何になるのだろう、と魔が差したように思った。腕の良い錬金術師なら、まして、奴らのような化け物じみた存在ならば。安物の鍵など何の障壁にもならないだろう。
それでもロイがまだ生きているのは。彼らにとって自分が有用な存在であるからだ。
ロイは奴らに生かされている。
家畜のような己の境遇に歯噛みする。だが、今はまだ牙を剥く時期ではない。甘んじてその支配を受けるフリをするのだ。
開いた扉の先には、闇が滞っていた。暗い部屋がぽっかりと口を開けてロイを待ち受けている。
「ただいま」
ロイはいつもと変わらぬ挨拶をした。迎えてくれる暖かい存在が居るはずがないと分かっていたけれど。それでも、淡い期待を抱いて言ってしまう。あの涼やかな耳障りの良い「おかえりなさいと」と言う声が返ってくるかもしれないと。
当然ながら、返事はない。
無言で部屋へと入ったロイは持っていた荷物をテーブルに置くと、疲れ切った身体をソファーの上に投げ出した。コートやジャケットが皺になってしまうなとちらりと思ったが、すぐにかまうものかと開き直る。そうやっていつもロイを優しく叱って、コートをハンガーにかけてくれる彼女は居ないのだから。
彼女――リザの存在は現在、ホムンクルスの傍らにある。
大総統補佐官という立場は表向きは異例の大出世だが、その実体はロイを脅すための体のいい人質である。彼女をそのような境遇に置いてしまった自分の不甲斐なさが、情けなくも腹立たしい。何故自分はもう少し慎重にことを進めなかったのか。軍上層部が全て真っ黒だったということなど、少し考えれば分かったことではないか。ほんの少しでも、国を、軍を信じていた自分が甘かったのだ。
後悔は今もロイを縛り付け、失ったものの大きさを彼に悟らせる。
だが、ロイはいつまでも過ぎたことに囚われ大儀を見失う男ではなかった。奴らに人質を取られようと、静かに反抗の意志を育て企むことは可能だ。既に、北とも東ともコンタクトは取れている。今は堪え忍び、いつか奴らに一泡吹かせてやるのだ。
そして。必ず彼女を取り戻す。
そのためにはまず自分が潰れてはいけないのだ。とロイは自分に言い聞かせ、購入して来た出来合いの食事を取ることにする。食事は生活の基本だ。毎日嫌がらせのように面倒な仕事が自分に回ってくる。優秀な副官は居ない。支えてくれる部下も失った。精神がすり減るような日々だ。
だが、まだこの身がある。
ロイは適当なデリで買ってきたビーフシチューをそのまま口にする。その冷めた味。たまらなく、リザのビーフシチューの味が恋しかった。






その日、ロイはリザと二人でセントラルシティのいろんな場所を巡って歩いた。
戻ってきたクリスやお店の女の子達に会いに、大総統となったグラマンの家に個人的に会いに、グレイシアとエリシアの顔を見に、ヒューズの墓へと参りに、その他、それまで世話になった人々の所へと赴き、挨拶を済ませた。
ようやく全て回り終えて、自宅に帰って来た時にはもう夜も遅い時刻になっていた。
部屋の前に立つと、ロイはポケットから鍵を取り出して鍵穴につっこむ。何度となく繰り返して来たこの行為も、今夜が最後になるだろうか、とロイはちらりと考えた。
やがて、かちゃっといつも通りの軽い音と共に扉は開いた。ドアを開け中に入ると、そこはがらんとしていて既にほとんど物が置いてない状態だ。
「……この部屋も今夜で最後か」
感慨深く呟くと、そうですね、とリザの控えめな同意の声がした。
ロイは明日、イーストシティへと旅立つ。いや、帰る、と表現した方が正しいだろうか。
先日ロイがグラマンから准将の地位と共に拝命したのは、イシュヴァールにおける大規模な政策だった。後にイシュヴァール政策と名付けられるこの政策の総責任者となり、イシュヴァールの地を復興する。それがロイに与えられた任務であり、己の生涯をかけてでも成し遂げねばならぬ使命であった。
そのために、明日からロイは東方司令部の最高司令官となる。そう、優秀な部下達とそして最高の副官を従えて。
「ティーセットくらい残しておけば良かったですね……」
一晩を明かすものしか既に残って居ない部屋を見渡して、リザが悔やむように言う。この部屋からの引っ越し作業を手伝い、荷物を箱詰めしてくれたのは他ならぬ彼女だった。
所在なさげに佇むリザは、少し手持ち無沙汰であるようだ。何もすることが無いというのは、働き者の彼女にとって落ち着かないことなのだろう。
だが、リザにはすることが無くともロイにはある。彼にはまだここセントラルでしておかねばならぬことが残っていた。
そのためにこの夜、わざわざこの部屋にリザを連れて来たのだから。
緊張を彼女に気取られぬようにずっと平常心を装って来たが、実はロイは今日一日中このことばかりを考えていた。世話になった人々に挨拶をしている最中もずっと頭からこのことが離れなったのだ。
じっとりと緊張で汗ばむ手をコートのポケットに突っ込む。そこには、朝からずっと忍ばせておいたあるものが入っている。指でそれをしっかりと掴みながら、ロイは意を決して切り出した。
「私は君のビーフシチューが好きだ」
「はい?」
突然ロイに声をかけられて、リザが驚いたように彼を仰ぎ見た。その内容も彼女には意味不明のようで、何故突然手料理を褒めだしたのか、という不可解な顔をしている。
「世界一好きだ。大好きだ。だから毎日食べたい」
「……あの、いくらお好きだと言っても毎日では栄養のバランスが偏りますよ?」
とんちんかんなリザの返答に、ロイは自分の意志がまったく伝わっていないことを悟った。相変わらずこういう色事に鈍い彼女に苦笑する。仕事に関することなら皆まで言わずとも全て察するくせに、こと恋愛ごとになるとストレートに言わねばちゃんと伝わらないらしい。思えば、恋人同士になった時もそうであった。
だから、ロイは回り道はもう止めて、己の気持ちを素直に吐露することにした。
「鈍いね、リザ。一緒になろうってことだ。東に行ったら一緒に住もう」
「それ、は……もしか、して、プロポーズ、なのですか?」
一音一音区切るように、リザは言った。その声は震えている。まさか、ロイがそんなことを言い出すとは彼女は夢にも思っていなかったようだ。
「そのつもりで言っている」
「でも、私は……」
喜びと戸惑いが織り交ざったリザのその表情。彼女が言いたいことをロイは推し量り、彼女の代わりに言ってやった。
「君はそのままでいい。しばらくはイシュヴァール政策に全力を尽くさねばならないから、籍は入れない。君に今、副官を離れてもらう訳にはいかないからな。だがそのうち、あの軍規は撤廃するとグラマン閣下はおっしゃってくれた。そうしたら、きちんと式も挙げよう」
「……お爺様もぐるなのですね」
全てを先回りしたロイの言葉に、リザは呆れた顔をする。彼女の懸念事項などロイは既にもう織り込み済みなのだ。
「ぐるとは言葉が過ぎるな、中尉。閣下は我々のことを心配しておいでなのだよ。……特に、可愛い孫娘の結婚についてね」
だからほら観念したまえ。そう言いながら、ロイは緊張で汗ばんだ手でポケットの中身を掴んで出して見せた。それはベルベットのケースに入った、シルバーリング。
「この先ずっとずっと永遠に。ただいま、って言ったらおかえりって言ってくれ。そして、私のためにビーフシチューを作ってくれ。他には何も望まない」
リザは沈黙する。俯いていて、その表情は見えない。けれど、揺れる肩がふるふると震える身体が、彼女が泣いている……ということをロイに教えた。その涙の意味をロイは取り違えたりはしない。もう、ずいぶんと長い長い付き合いなのだから。
「……リザ、返事は?」
「……私の答えなど分かっていますでしょう」
「うん。でも、聞きたいんだ」
「貴方はバカです。本当に、バカ。こんな女……都合よく利用したら捨て置いてくれて構わなかったのに」
「バカを言うな。……この先に何があったとしても、君は私と共にあるんだ。いいな? 分かったら、返事を。……リザ」
「はい……」
最後は嗚咽で言葉にならない。
その返事に満足し、ロイはリザの手を取った。そして、その指にリングをはめる。ずっとロイを護り愛し続けてきた彼女のその指は、決して細く美しいとは言えぬ女性にしては無骨なものだったが。ロイにとっては、誰よりも愛おしいかけがいの無いものであった。






「ちょ、閣下、マスタング閣下ってば!」
「うん?」
「ご自宅に着きましたよ。しっかりして下さいッスよー」
「ん、ああ?」
どうやら帰宅途中の車の中で居眠りして居たようだ。ずいぶんと長い夢を見ていた気がして、ロイは疲れているのかなと苦笑する。金髪の部下に声をかけてから車を降り、自宅へと向かった。
アプローチを抜けると、玄関口が見える。そこには暖かな明かりが灯っており、まるでロイの帰りを待ってくれているかのようだった。
笑みを浮かべながら鍵を取り出して扉を開けようとする。物騒だから必ず鍵をかけろと口を酸っぱくして言っているのを、妻はきちんと守ってくれているのだ。
だが。
微かな犬の鳴き声とドタバタという足音聞き、扉の向こうの状況を想像してロイは手を止めた。どうやら鍵を開ける必要はないようだ。
「パパー! おかえりなしゃーい!!」
ばたーんと勢い良く開かれた扉から、満面の笑みを浮かべた娘と息子がロイに飛びついてきた。ついでにきゃんきゃんと甲高い声で鳴く子犬もおまけだ。子供二人と子犬複数に囲まれればもう大騒ぎである。
いち早く抱きついて来た娘をロイは抱き上げる、すると娘はお帰りなさいのちゅーをして、すべすべのほっぺをすりすりと擦り寄せて来た。
「ただいま。いい子にしていたかい?」
「うん!」
それを一足遅れた息子が羨ましそうに見上げている。いつも何でも妹に譲ってあげる優しいお兄ちゃんだ。息子の方も抱き上げてやろうとしたが、娘の体重からして片腕で子供二人を抱えるのはさすがに無理だと思えた。ちょっと前まで軽々と二人抱っこしていたというのに。すっかり重くなった我が子にその成長を感慨深く思う。
「ほら、二人とも掴まれ!」
ロイは娘をおろすと子供達に肘をつきだした。きゃーと歓声を上げた二人がそこにぶら下がる。そうしてぶらんぶらんと子供二人をぶらさげて父の威厳を見せていると、妻が親犬と共にレードル片手に出てきた。
「もう、パパは帰ってきたばかりなのよ。お疲れなのだから、困らせてはダメよ」
「はーい!!」
ママの言うことを聞き、素直に子供達はロイの腕を解放する。そんな我が子の頭を撫でてやりながら、ロイは己のほっぺたを軽くつねってみた。
「何をしておいでで?」
訝しげな妻にロイは答える。
「うん、夢じゃないよな、って思って……なあリザ。おかえりなさいって言ってくれないか」
「本当に一体どうしたんです?」
「いいから」
「……おかえりなさい、貴方」
「うん、ただいま、リザ」
ようやく本当に在るべき場所へと帰った気分になってロイは満足げに頷く。そんな夫の顔を見て、リザは少し気恥ずかしげに頬を染めていた。
「さあさ、すぐに夕飯にしますから、早く着替えてきてくださいね?」
「きょうはびーふしちゅーだよ!」
「ママのびーふしつー、あたちだいしゅき!」
「そうか、パパも大好きだ」
キッチンからふわん、とロイが世界一好きな妻のビーフシチューの匂いがする。賑やかに笑い合いながら、一つの幸せな家族の夜は更けていくのだった。



――ただいまとおかえりなさいを繰り返して、時は紡がれていくのです。


END
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by netzeth | 2014-11-29 18:31 | Comments(0)