うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth
プロフィールを見る
画像一覧

夜雨

 幼い頃の私はとても怖がりな子供だった。
 庭に出没する大きなカエル、夜の闇、人気のない無駄に広い屋敷、夜中に降る雨――。
 大人だったならばどうと言うこともない、ほんの小さなことを執拗に恐れていた。
 こういう時、普通の子供ならば親を頼るのだろう。しかし、早くに母を亡くし愛情表現が不器用というか壊滅的だった父の元育った私は頼るべき温もりを知らなかった。
 陰鬱な長雨が降る夜は、毛布をかぶり激しい雨音を聞かないフリをしてやり過ごしていた。眠れないそんな夜が私はとても嫌いだった。
 
 それが変化したのは――その夜が好きになったのは、彼が家にやって来てからだったと思う。

 

真っ暗な廊下を壁伝いに歩いて、そのまま階段を昇った。ぎぃという不気味な音を聞き流しながら二階に上がると、半開きのドアから一条の光が漏れていた。
 ああ、良かった。やっぱりまだ起きていた。
 光に引き寄せられるように私はその部屋の中へと急ぐ。目に飛び込んできたのは大きく頼もしい背中だった。
「あの……マスタングさん」
「ん? リザ。まだ起きていたのかい?」
「……ごめんなさい」 
 おずおずと声をかけると、彼が振り返る。仄明るいランプの光がゆらゆらとゆれて、彼の顔に複雑な陰影を刻んでいた。それがまるで夜更かしを咎められているように思えて、思わず私は謝ってしまう。しかし、彼はそんな私に笑いかけてくれた。
「どうして謝るんだい? 夜更かしだというなら俺だって同罪だよ」
「でも……マスタングさんは、お勉強をしているのでしょう?」
 私はその邪魔までしてしまったのだ。父に知られたら、きっと叱られてしまう。父は常に錬金術を優先している人だ。私の身勝手でマスタングさんのお勉強を中断させてしまったと聞いたら、きっととても怒る。それは雨の夜を独りで過ごす恐怖よりも、怖かった。
 
 ああ、本当に私には怖いものばかり。臆病な子供だ。

「さあ、どうかな。ちょうど行き詰まっていたところで全然勉強ははかどってないよ。そろそろ寝ようかと思ってた」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ……少しだけ、一緒に眠ってもいいですか?」

 でも、彼と一緒なら私には怖いものはなかった。
 雨の夜は嫌いだ。
 雨が降り続いて、世界が溺れてしまうような不安に駆られるから雨は嫌い。
 けれど、マスタングさんがこの家に来て、私の怖いものは一つ一つ姿を消していった。
 庭のカエルを追っ払ってくれ、夜にはいつだって光にあふれた彼のいる部屋がある。彼の居る家は賑やかで、がらんどうの空虚さを恐れる必要はない。
 そして、夜に降る雨も――マスタングさんが一緒に眠ってくれるようになってからそれほど怖いものではなくなった。

「仕方ないな。師匠には内緒だよ」
「はい。お勉強の邪魔をしたって私、叱られてしまいますものね」
「……そういう意味じゃないんだけどな。むしろ、俺の方が……」
「え?」
「ううん。何でもない……師匠はリザが大切だって話さ」
「そんな。まさか」

 でも、マスタングさんにそう言って貰えたら本当にそうだったらいいな、と思えた。
 ……私の怖いものが全て無くなる日も近いかもしれない。

 私は早速マスタングさんの匂いがするベッドに潜り込む。明日は早起きして、ちゃんと自分の部屋に戻っておかなくちゃ。すると、ランプの火を消したマスタングさんも私の隣で横になった。ぴったりとくっついている訳じゃないけれど、温もりを感じた。
 人は……彼はとても暖かい。
「ほらリザ、眠って。子守歌でも歌う?」
「……あんまり子供扱いしないで下さい」
「こうやって男のベッドに平気で眠りに来なくなったらね」
「え?」
「……いいよ。こっちのこと」
「じゃあ、子守歌の代わりにお話して下さい」
「はなし? どんな? おとぎ話とか?」
「違います。マスタングさんのお勉強のお話がいいです」
「俺の勉強の話なんて聞いたってちっとも面白くないと思うけどなあ……」
「いんです。マスタングさんの好きなこと興味があることをお話して下さい」
 
 私が聞きたいのは彼の声だった。彼が楽しげに話すその声を聞いていたかった。わくわくしながら錬金術について語る彼が私は大好きだった。

「そうか……じゃあね…」
 マスタングさんの声を聞きながら、私は瞳を閉じる。もう、嫌な雨音なんて耳に入って来ない。
 彼の声をうっとりと聞きながら私はやがて眠りの世界に誘われていった。




 まるで熱帯のジャングルにいるような暑苦しさに目を覚ます。
 暑い。
 涼を得ようと毛布を剥ごうとして、私は私の腰を捕らえて離さぬ男に苦情を申し立てた。
「……暑いです。いい加減離して下さい」
「そうか、もっと熱くなる?」
「バカですか」
 起きていたのか呆れた答えがすぐに返る。それを容赦なく切り捨てて、私は彼を押しのけて起きあがる。
「くっつかないで下さい。暑いんです」
「……冷たいなあ。昔は一緒に寝て下さいって君の方からやって来たというのに。あの頃は可愛かったなあ……」
 大げさに嘆く彼を、私はギロリとにらみつけた。昔のことを持ち出すのは反則というものだ。
「すみませんね、可愛くない女に育って」
 ツンと拗ねたように唇を尖らせるパフォーマンス。すると、彼は慌ててご機嫌取りをし出す。
「訂正しよう。君は今も可愛いよ、中尉。さっきだってあんなに可愛く鳴き喘いで……っいて!」
 余計なことまで口を滑らせる男の頬を、おもっきりつねってやった。この人はいつも一言多いのだ。 
「貴方だって、昔はもっと誠実で紳士な少年だったのに。どこをどう間違ってこんなのに育ってしまったのでしょうね」
「よりによってこんなの扱い……? ひどいよ…リザさん……」
「今では雨の日は無能になるから護衛を兼ねて一緒に寝てくれ――なんて卑怯な誘い文句で女を自宅に連れ込んだ挙げ句、無体なことをするんですから、こんなの、で十分です」
「君だって嫌がってるのは最初だけで、最後はいつも官能に溺れて……いてててててっ!」
 どうやら彼はほっぺたで握力測定をして欲しいようだ。軍人として鍛えた成果を今、はりきってお見せしようではないか。
「痛い痛い痛い! 痛いよ! リザちゃん!!」
「名前で呼ばない!」
「痛いです、中尉!」
 
 もはやどちらが上官だか分からぬ私たちのやりとり。
 とてもとても不本意だが、これがだいたい現在の私の日常だ。……不本意ではあるが、まあ、おおむね満足している。
 
 もう暗闇を恐れることもなく、雨に幻想を見ることもないけれど。
 私はまだ彼と一緒にいて、彼と一緒に寝ているのだから。



END
**************************




[PR]
by netzeth | 2015-11-10 00:17 | Comments(0)