うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth
プロフィールを見る
画像一覧

日々恋々~本文サンプル~

思い起こせば、きっかけはほんの些細なことだった。
あの頃は大佐に昇進したばかりで何かと忙しく、深夜までの連勤が続いていた。ろくに家にも帰れず、心身共にヨレヨレの状態で。だからこそ、私は押し切られてしまったのかもしれない。
「ちゅ…失礼いたしました。大佐」
そんな極限の状況下での私の唯一の癒やしが、この副官であった。
公式の場では絶対にやらないが、二人きりの時にはうっかり油断してかやらかしてしまう、階級の呼び間違え。涼やかな声が、恥じらいを含んで私を呼び直すのを聞くのは心地良い。中尉に気を許して貰っているようで、私は密かに気に入っている。
「何かね?」
書類を手繰る手を止めて、律儀に非礼を詫びる彼女――ホークアイ中尉を見た。すると大きなアーモンド型の鳶色の瞳が私をじっと見ているのに気づく。そのちりちり焼け付くような強い視線に、私はたじろいだ。
「なっ……何か…ね?」
脳内で、何かやらかしただろうかと目まぐるしく己の所業を振り返る。この前書類を放り出して遊びに…ごほんっ視察に行ったことか? それとも、書類で紙飛行機を折っていたら白熱して部下と中庭で飛行距離記録大会を開催したことか? その心当たりの多さに、我ながら情けない気分になりながら。恐る恐る中尉を伺う。正直上司が部下に取る態度ではない。
「その襟は一体どういうことでしょうか」
「へ?」
予想を大幅に裏切った返答に、思わず間抜けな声を上げてしまう。
「襟?」
「はい、そのヨレヨレの…シャツの襟です」
軍服から覗く、白シャツの襟。私が愛用しているブランドのシャツだ。言われるままに襟元に触れる。確かにヨレヨレだ。
「こ、これは…仕方がないじゃないか。しばらく家に帰れていないし、例え帰れたとしても、深夜だ。だからシャツをクリーニングに出せもしない。それで仕方なく自分で洗濯して…」
「ご自分でお洗濯を? もしかして、洗って干してそのまま着られたのですか? アイロンがけもなさらず?」
「……どうせ上着を着るから良いだろうと思ったんだ」
言い訳がましく言葉を重ねる間にも、中尉の顔が険しくなっていく。これはずいぶんと呆れられているようだ。ああ、眉間のシワがまた一本増えた。あの可愛らしい顔にこのまま刻まれてしまったらどうしようか。……それはそれで、セクシーな気もする。
「外に出る訳でもない、上着を脱ぐ訳でもない。問題な」
「あります。元々あまりない威厳が更に減ってしまいます。副官として看過出来ません」 
言葉尻に中尉の声がかぶる。それはまるで鋭利な刃物のように私に突き刺さった。
「いやそれはあんまりだろう、中尉……私にも威厳くらい備わっているぞ」
情けない声で反論するも、彼女は論調を緩めはしなかった。それどころか、更にたたみかけてくる。
「いいえ。お言葉ですが、大佐。貴方は鏡を見たことがおありですか。控えめに言って、大佐は童顔です。お若く見えるのは良いことですが、大佐という重職には似つかわしくありません。例えば、部下達に『このケツの青い若僧に命令されるのかよ~』とぼやかれるくらいには、外見が階級と釣り合っていないのです」
……例えがやけに具体的なのがとっても気になるぞ。
「が、外見は別に関係ないだろう。重要なのは中身だ」
「いいえ、大佐。それは甘いお考えです。言葉の重み…説得力というものは、とかく見た目に左右されるものなのです。人は見た目が九割と申します。どんなに含蓄深い立派なことを話そうとも、それを発したのが風格の欠けらもない、ヘリウムガスよりもかる~い外見の若僧だったのならば、誰も耳を貸そうとしないのが道理というものです。まして! ただでさえ童顔というハンデを負っているというのに! 更にシャツがヨレヨレ…などと情けない格好を晒すようでは、貴方について行こうという気も失せるでしょう」
……やめて。マスタングのライフはもうゼロよ。
つかつかと近寄って来て、ダンっと中尉は机に手をついた。その剣幕におののきながら、逆らう気などこれっぽっちもない私は早々に白旗を上げた。
「わ、わかったよ、中尉。気をつける、気をつけるから……」
「本当ですか?」
「本当だ」
「では、具体的にはどう気をつけていただけますか」
「そうだなあ……とりあえず、しばらくシャツを洗濯しなくて良いように、新しいのを多めに買ってストックしておくよ。で、休みが出来たらまとめて全部クリーニングに……」
「大佐!」
信じられないという顔で、中尉がふるふる震えている。あ、ヤバい地雷踏んだ…と気づいたがもう遅い。
「貴方は何も分かっていません。洗う暇がないから買えばいい? そして、全部クリーニングに頼る? そんな安易な金銭感覚をお持ちとは…私は情けないです、大佐」
「仕方ないだろう。元々家事は苦手なんだ。普通よりも手間も時間も食う。休みでもなければ出来はしないし、休みの日は休みの日で本を読みたいし、錬金術の研究もしたいんだ」
「それでは、大佐。普段のお食事やお部屋の掃除などはどうなさっているんですか?」
「食事は基本外で食べる。掃除は…まあ、しなくても死なないだろうっ…て、中尉そんな顔しないでくれないか」
基本無表情の彼女が、今とんでもない顔になっている。こんな顔を見たのは、昔ウシガエルに襲われた時以来である。流石にいたたまれなくなって、私は前々から検討していた案を話してみることにした。
「……分かったよ、中尉。君の懸念は最もだ。家事は生活の基本だ。清潔な部屋でなければ身体も休まらないだろう。私は近々ハウスキーパーでも雇うよ。それで良いだろう?」
実はずっと考えていたことだった。私のように独身の軍将校がハウスキーパーを雇うのは珍しくない。
「ハウスキーパー……大佐の部屋に?」
「ああ。この前ハウスキーパーを雇っている同期から話を聞いてね。私も頼んでみるかと思っていたんだ」
私の提案を驚き顔で受け止めた中尉は、何かを考え込むように一瞬沈黙した。それからおもむろに口を開く。
「……大佐。ハウスキーパーの当てはあるのですか?」
「当て?……それは、まあ適当に斡旋業者をあたってみるつもりだが」
「でしたら私にお任せいただけませんか?」 
中尉の申し出には驚いたが、同時に納得もした。部屋に入れるというならば、身元のしっかりした者でなければならない。私の副官兼護衛として、心配するのは当然というものだ。
「分かった。君に任せるよ」
彼女の鑑識眼に叶った者ならば、安心出来るだろう。了承を告げると、何故か中尉はホッと安心した顔をした。
 
――思えばこの時、彼女の企みに何故気が付かなかったのだろうか。


次の記憶は、今でも生々しく思い出せる。何せ、あんな声を聞いたのもあんな顔を見たのも初めてだったからだ。それは私の脳裏にしっかりと刻まれている。
「きゃあ!」
その朝、女性の小さな悲鳴を聞き私は目を覚ました。
寒い。それはそうだろう。毛布をはがれたのだから。
「ち、中尉…!?」
誰が居るのか認識し、寝ぼけた頭が一瞬にして覚醒する。ベッドサイドで私の毛布を掴み佇んでいる女性は間違いなく私の副官で――。
「何で君が、うちに居るんだ?」
「何故って……本日伺うと言ったじゃありませんか。それなのに、いくら呼んでも出ていらっしゃらないから……」
確かに中尉から事前に聞いていた。今日行くと。しかし、来るはずなのはハウスキーパーであって、彼女ではない。ああもしかして、ハウスキーパーの付き添いで来たのか? なら分かる。寝坊したのは申し訳なかったが、中尉が一緒に来てくれて助かった。彼女には部屋の鍵を渡してあるからな。
なんて、つらつら考えていると。顔を赤らめた中尉と目があった。寝ぼすけを叩き起こしてくれた彼女は、何故かすぐに瞳を逸らしてしまう。恥ずかしそうに。そんな可愛らしい姿、初めてだ。良いものを見た…と至福を感じたのもつかの間。
「い、いい加減! そ、そちらを何とかなさって下さい!!」
言葉と同時にバフッと毛布が頭から降ってくる。
そちらってどちらだ…と何気なく彼女の視線が向いていた下半身に目をやって、私は青ざめた。
そこには元気よくお立ちになっている、自分自身があった。


「み、見苦しいものを見せた。いや…その……私もまだまだ若いということで……」
「もう良いですから。勝手に部屋に入った私がいけなかったんです」
私は気まずい思いで中尉と向かいあって座った。既に身なりを整え、先程の醜態も処理済みである。とにかく詫びるのが先決だろうと、切り出したが、彼女はもうそのことには触れたくないようだった。
私だってそうだ。少なくとも想いを寄せる女性に、男の生理現象なぞ見られたくなかった。そしてその先にある私の醜い欲望――を彼女には知られたくなかった。
特に私服の彼女は柔らかい雰囲気を醸し出していて、普段は無骨な軍服に隠されている女の甘さが感じられるのだ。私はソファーに腰掛ける中尉の姿を足先から頭まで観察する。膝丈のワンピースからはほっそりとした脚が覗く。ストッキングに包まれたそれはどこまでも白い。それにパステルカラーのカーディガンを羽織っている姿は、女性らしい華やかさを感じさせる格好だ。そんな彼女と自宅で二人きり――油断すると、理性が危うくなってしまう。
 ……ん? 二人きり?
 と、そこで私はある重大なことに気づいて、尋ねた。 
「時に、中尉。ハウスキーパーさんはどこだ? もしかして外で待たせているのか? では、すぐに入って貰おうか」
 そう。そもそも、中尉と二人きりではないのだ。彼女が連れてきたハウスキーパーが居るはずで。自分の早とちりを自嘲しながら立ち上がり、玄関へと向かおうとする。
 が。中尉の一言に私の上げかけた腰はストンっと落ちた。
「いいえ、大佐。目の前におります」
「何?」
 発言の意味が飲み込めず、聞き返せば。
「ですから。ハウスキーパーは目の前におりますが」
 彼女は律儀に繰り返した。その衝撃的な言葉を。
 沈黙五秒。その間にいろんな可能性を吟味し、私はかろうじてこれならば何とか納得出来るかな、という案を捻り出した。 
「…………もしかして、心が綺麗な人間には見えない人種だったりするか?」
「大佐がご自分を心の綺麗な人間だと思っているのが驚きです」
 意外だという顔で言われて、憮然となる。そこまで心底驚かなくても。ちょっとした冗談じゃないか。……って、冗談じゃないぞ! つまりそれって。
「じゃ、じゃあ! それじゃあ、うちのハウスキーパーは君…ということになるのだが」
「ええ、その通りです。本日から大佐宅のハウスキーパーを私が勤めさせて頂きます。ふつつか者ですがよろしくお願いいたします」
 頭を下げた中尉に、全力で突っ込んだ。
 それは嫁入りの挨拶だ!!
 が、肝心の言葉は出てこず、私は口をぱくぱくと開け閉めした。それを了承ととったのか知らないが、中尉は私の返答を待たず話を勝手に進めていく。そりゃあもう、てきぱきと。
「では、そういうことで。早速取りかからせて頂きますね。まずは本日のタイムスケジュールですが、朝食が今から三十分後。その後洗濯と掃除を予定しております。捨てられたくないものがありましたら、今のうちに避難させておいて下さいね。それから、買い出しに参りましてその後昼食にいたします。メニューに何かご希望はありますか?」
 中尉の口調は仕事の時と寸分変わらぬ、感情のこもらぬ事務的なもの。私はそこでようやく、我に返る。ここは司令部でもなければ出張先でもない。私の家だ。今の彼女は副官ではない。お互いにプライベートだ。
「ちょ、ちょっと待ったぁ!!」
「はい。何か不都合がありましたか?」
「不都合だらけだ! なんで君がうちのハウスキーパーをするんだ!? 私は認めていないぞ!」
「そうですか。では今、認めて下さい」
「だ、ダメだ」
 そう、ダメに決まっている。よりにもよって、中尉がうちのハウスキーパーなど。
「何故ですか」
「何故って……君は私の副官だろう。それがどうしてハウスキーパーなんだ。軍務はどうする、軍務は」
「ご心配なく。大佐の家へお伺いするのは、非番の日だけにいたしますので。軍務に影響はございません」
「いや、あるだろう。君は、貴重な休みを他人のために働いて無駄にしようというんだぞ? きちんと身体を休めなければ仕事にも支障があるはずだ」
「私にとって大佐の部屋の家事など、働くうちに入りません。家でくつろいでいるのと同義です。私の家事の手際は、貴方が一番よくご存じじゃあありませんか」  
 ……それを言われると、弱い。確かに中尉の家事の腕は素晴らしい。少女時代、あの大きな屋敷をたった一人で維持していたのだから。彼女はくるくると踊るように軽やかに、いつも楽しげに家事をこなしていた……。そんな中尉にとって、男の一人暮らしのハウスキーパーなど朝飯前に違いない。
「君の家事能力は知っている。だがな、だからと言って非番の日に君をこき使うなんて出来るはずないだろう。プライベートまで部下を拘束するなんぞ、私をどこまで酷い上官にする気かね?」
「では、大佐のお気が済まないのでしたら、お給金でも出して下さい。それならば正当な報酬を受け取っての仕事です」
「だから、そういう問題じゃあないだろう! そもそもっ、軍人は副業禁止だ!」
「時間外勤務扱いということにすればよろしいのです。貴方は金欠な副官のために特別手当の付く仕事を下さった……そういうことにしておけば、誰も貴方を酷い上官だと思いません」
「……っ」
 話は堂々巡りだった。中尉は一歩も引かない。私の目を真っ直ぐに見つめて、反論してくる。
「そもそも。私は貴方の副官兼護衛として、滅多な者をハウスキーパーとして貴方の部屋に入れる訳にはいかないのです。それは貴方を容易にどのようにも、暗殺出来るということなのですから。……心配なのです、大佐。貴方が……」
 中尉の瞳が微かに陰り、口調がわずかに震える。本気で私を案じて、このような行動に出たのだということが伝わってきて。私はどうにも出来なくなった。
 惚れている女が自分を心配してくれ、家にまで来てくれ、面倒をみると言い張っている。男としては、これ以上強情をはれなかった。……何故なら本心では彼女が来てくれたことが嬉しいからだ。
「……分かった」 
 私はとうとう折れた。それは中尉の熱意に対する敗北である。
「君の負担にならない範囲でやる……と約束してくれるならば、頼もう」
「それは、もちろん。お約束いたします。無理はいたしません」
 快諾に、中尉は喜色を浮かべ、珍しく笑い頷いた。
 うちのハウスキーパーをするのが、そんなに嬉しいのか。
 副官として上官の管理を出来るのが都合がいいのか、それとも……。
 私はそれ以上を考えるのをやめた。それは精神衛生上突き詰めないほうがいい。
 何しろ、これから休みが重なる日は彼女と一日を過ごすことになるのだから。その度に意識するのかと思うと、たまったものじゃない。
「では、早速三十分後に朝食にいたしますね」
「ああ、中尉。一つだけ頼みがあるんだが……」
「はい、何でしょうか」
「……毛布を勝手にはぐのはやめてくれ。もう事故りたくない」
「……了解いたしました」
 記憶が蘇ったのか、中尉はぽっと顔を赤くして受諾した。
 ……ほら、こういう顔をこれから毎回されることになるんだぞ?
 先が思いやられて、私はこっそりため息をはいた。



********************


[PR]
by netzeth | 2016-01-30 20:28