うめ屋


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ペーパーSS集5 

2014年 スパーク

「それではお先にシャワーお借りしますね」
「ああ」
恋人同士の甘い逢瀬の夜は、いつも通りの手順を追って始まった。
リザが腕を振るった夕食を二人で取り、しばらく各々リビングでくつろぐ。やがてすっかり夜も深まった時刻になるとどちらからともなくシャワーを浴び、先にバスルームを出た方が寝室で相手を待つのだ。それはロイとリザの暗黙の了解。シャワーを浴びることで軍人の匂いを綺麗に落とし、上司と部下という関係を忘れて二人は恋人として向き合う。そんな儀式にも似た手順。
時折ロイが暴走してバスルームで始まってしまうこともあったが、概ね二人のこのルールは守られ続けている。
だが。
「あ、そうそう。中尉、服を脱ぐならここで脱いでいってくれないか」
「は?」
何気なくロイが放った一言により、リザはフリーズした。何かの聞き違いかと思ったが、男は期待に満ちた顔をしてリザを見ている。
「だから。服を脱ぐならここで脱いでくれと言ったのだが」
おもいっきり怪訝な顔をしているリザにまるで言い含めるように、ロイは同じ台詞を繰り返した。ロイの意思をしっかりと確認してしまい、リザは眉間に皺を刻む。
「……せめてシャワーくらい浴びさせて下さい」
性急なのは嫌いではない。彼に求められるのはリザにとっては喜びだ。女としての彼女は複雑なようでいて、案外単純な所がある。どんな経緯だろうと、好きな男に抱かれれるのは素直に嬉しいのだ。
しかし、いくらもう初な小娘では無いにしても恥じらいが無いわけではない。
リザはとりあえず抗議をしてみる。すると、目の前の男は分かりやすいくらいにニヤリと口角をつり上げた。
「何か誤解をしているようだね、中尉? 私は何もここでおっぱじめようなんて思ってはいないさ。私は紳士だからね。まあ、君がそう望むならやぶさかではないけどな。……私はただ、君が服を脱ぐ姿をじっくりと見たいだけなんだ」

――ここでこれからすると言われた方がまだマシだった気がした。

「……貴方は変態ですか?」
「失敬な。フェティシズムと言ってくれ」
鷹の目と呼ばれる鋭い双眸で睨みつけても、顔を赤らめていては威力は無きに等しい。己の性的嗜好を隠そうともせず、ニヤニヤと笑いロイは更に赤裸々に語る。
「女性が服を脱ぐ仕草が好きなんだ。常々君が脱ぐところを見たいと思っていたが、中々機会が無かったしな。まあ、半分はいつも私の手で脱がせてしまうせいなんだが。だが、脱がせるのもイイが、脱ぐのを眺めるのもイイ。という訳で脱いで見せてくれ」
「…………」
喜々として恋人に変態プレイを強制しようとする男に、リザは頭が痛くなった。深刻に痛みを訴えるこめかみを指を添えて深いため息を吐く。何がという訳だ。裸が目的でなくその課程をご所望とは、なかなかに高度である。
「さ、早く早く。どうせこれから脱衣所で脱ぐ予定だったのだから別に良いだろう?……それとも恥ずかしいか?」
挑発的に言われてリザは少しカチンと来た。言外に何を今更清純ぶっているんだ、とバカにされているような気がしたのだ。
確かに自分はロイしか男を知らないおぼこ娘だった。ファーストキスもヴァージンもその他全ての初めてもロイに捧げ、男女のあれこれは全てロイに教えて貰った。だが、自分だって成長している。いつまでも何も知らない初な娘な訳ではない。ロイの前で服を脱ぐくらい何でもないのだ。
「いいえ、別に。ではお望み通りここで脱いでいくとしましょう。……言っておきますが、ストリッパーのように身をクネらせて――とかはしませんから。ただ、脱ぐだけです」
男をただ悦ばせるのはしゃくだったので、期待するなとぴしゃりと最初に釘を指す。しかし、ロイはがっかりするどころか嫣然と笑って。
「ああ、望むところだよ。ストリッパーのあれは品が無くて私は好きじゃない。あくまでも女性のありのままの自然体の姿を楽しむのが、本当の男というものだ」
自分は違いの分かる男だと豪語するロイは、かなり根が深い変態である。リザはもう何を言うのも疲れて、投げやりに服を掴むと脱ぎだしたのだった。


今夜のリザの服装はブラウスの上にカーディガンを羽織り、下はスカートと言ったシンプルなものだ。だが、ブラウスは季節に合わせた色を選んだし、スカートだってフレアがふんわりと優しく揺れる素材を使ったもの。ロイとお泊まりデートをするのだからとそれなりにお洒落をしてきたのに。肝心の彼はその服ではなく、服を脱ぐリザに注目していた。
まずは羽織ったカーディガンを脱いだ。次いでブラウスのボタンに手をかける。上からボタンを外していくと、下に着ているタンクトップがだんだんと露わになる。その仕草にロイが熱い視線を注いでいた。
「君はボタンは上から外す派か。……下からもなかなか良いものだぞ」
どうせ脱ぐのだからそんなものどっちだって良いではないか。結果は同じだと思ったが、ロイにはロイのこだわりがあるらしい。
「下から外していった時の、ブラウスの裾がだんだんと広がっていく感じが見事なんだ。更にそれに色を添えるのが、ブラジャーのチラリズム! 誠に素晴らしいね。だが、上からの谷間が覗くあの襟の開き具合もたまらない……正に甲乙付けがたいとはこのことだ……」
うっとりとした表情でフェチ全開の持論を展開するロイをひたすら無視して、リザはブラウスを脱ぎ捨てる。そのままタンクトップの裾を腕をクロスして持ち上げた。
「ああ! いいね、イイ! その腕をクロスして脱ぐ女性の仕草。何とも言えない艶があって、男心をくすぐるよ。その白い腕の下からだんだんと現れる素肌。下乳! 男のロマンだな!……可愛いよ、リザ……」

興奮に瞳を爛々と輝かせているロイの視線が痛い。全身を舐めるようにそれで犯されている。何もされていない、触れられても居ないのに自然と体が熱くなってしまってリザは困った。全裸を見られるよりも、恥ずかしい。それでも己を叱咤してタンクトップを脱ぐ。上半身は下着一枚になった所で、次はスカートのジッパーを降ろした。ジジジっという音が部屋に響く。無駄に淫靡に聞こえてしまうのは、リザもやましい気分になっているからだろうか。いつの間にかねっとりとした熱い湿った空気が己を取り巻いていた。
「……イイね」
スカートを足下にストンと落とし、下着姿となったリザを見て、ロイが満足げに笑った。饒舌だった口が一転して簡潔な言葉となる。それが、妙にリザの羞恥を煽った。ロイの瞳がすっと細められる。次はどちらを脱ぐ? と問いかけられているようだった。
リザはセオリー通り、ブラジャーから脱いだ。背中に腕を回してホックを外し豊かな胸から取り去る。ふるんと飛び出たそれが無防備に男の目の前に晒される。しかし、ロイは柔らかな乳房ではなくリザが手に持った下着を熱心に見ていたようだった。
「ブラジャーを脱ぐ時の後ろ手は最高だな。それで女性が前傾姿勢になるのもたまらない。ホックを外してから肩紐が片方だけ落とした姿は、まさに美の極致だね」
もはやロイの感想は訳が分からぬ芸術論のようになっている。彼の底知れぬフェティシズムにおののきながら、リザはとうとう最後の布切れに手をかけた。これをロイの目の前で脱ぐのはさすがに心理的抵抗があったが、恥ずかしがっていると思われるのは嫌だったので、潔くリザは脱ぐことにする。ゴムの部分を両手で掴み一気に引き下ろした。太股、膝、ふくろはぎ足首と通過させてから、足を引き抜きショーツを抜き取る。
そこでロイがパチパチパチとまるでブラボーというように手を叩いてきて、リザは一瞬唖然とした。

「パンツを脱ぐ時の足を抜き取る仕草が、私は一番好きなんだ。本当に色っぽいよな。最後の砦が無防備に取り去られるその瞬間は、正に儚い一瞬だ……そう、まるで艶やかに咲いた花を無慈悲に刈り取るように……」
もはや、意味が分からない。意味は分からないが、リザは己がミッションをコンプリートしたということだけは分かった。恋人は大変満足してくれたようだ。リザは既に一糸纏わぬ姿。ならば自分は用済みなはずだ。
「ではシャワーを浴びて参りますので」
いつまでも素っ裸でリビング居るのもいたたまれないので、リザは脱いだ服を抱えるとバスルームに向かおうとした。
だが。
「ちょ、大佐……!」
いつのまにか間近に居たロイに腕を掴まれて動けなくなってしまう。ここでは触れないのでは無かったのか? 約束が違うと抗議すればロイはしれっとした顔でそんな約束したか? とのたまった。
「言い忘れていたよ、リザ。私は女性が服を脱ぐのを見るのが好きだが……自ら服を脱いだ女性を抱くのも好きなんだ」
「やっ、きゃっ、……大佐……!」
ぎゅっと抱き寄せられて、腕の中に閉じこめられる。それからロイはリザを覗き込むとその耳に囁きかけた。
「安心しろ。服を脱ぐ過程だけが興味の対象じゃない。……肝心の中身も好きだから」
「バカ……」
とんだ変態紳士だと心の中で毒づきながらも、結局の所この男に甘いリザは瞳を閉じた。そして彼の唇が降ってくるのを受け止めたのだった。



2015年 春コミ

「リザおねーさん、これ、たべてね」
「ええ、ありがとう。エリシアちゃん」
少女の小さな手から差し出されたもてなしのクッキーを受け取って、リザはそれを口に運んだ。隣の椅子に座る小さな女の子――エリシアが期待に満ちたきらきらした眼差しをリザに向けてくる。彼女が何を待っているのか、既に察していたリザはにっこりと微笑んでやった。
「とっても美味しいわ」
「ほんと! これ、きのうエリシアがつくったのー!」
正確に言えばクッキーの型抜き作業をしただけらしいのだが。ニヤケた顔でその歪な形をしたクッキーを自慢していたヒューズを思い出しながら、それでも心からリザは言う。
「すごいわね。こんなに上手にお料理が出来るなんて、エリシアちゃんはすっかりお姉さんね」
「えへへへ~~」
満面の笑みを浮かべてえっへん、と胸を張る幼い少女は大層愛らしい。これはヒューズが親バカになってしまうのも無理からぬ事かもしれない――なんて、リザは思う。
その肝心の父親は今、己の上官と話し込んでいる最中だ。エリシアの相手をしてやりつつ、リザはヒューズ家のリビングのソファーへと視線を向けた。そこには真面目な顔をしたロイと家主のヒューズの後ろ姿が見える。何を話しているのかは知らないが、彼らの表情を見る限りそれはずいぶんと真剣な話だと思われた。
久しぶりに会う盟友の、腹を割った話し合いだ。しばらくは邪魔をしないようにせねばならない。そのためにはしばらく自分は、子守りに専念しなければならないだろう。
「エリシアちゃんはいつもママのお手伝いをしているの?」
「うん!」
聞けば少女の母親は急な用事で朝から出かけているそうだ。それで今日は急遽ヒューズが休みを取り、父娘で過ごす事になったらしい。それが、ロイとリザがセントラル出張にて、わざわざヒューズ家を訪れた理由である。軍法会議所に出向いたロイは、ヒューズが休みだと聞いて自宅を訪問したのだ。
「そう。とっても偉いのね」
「うん! ママのおてつだいをいっぱいしたからエリシア、およめさんになれるかなあ?」
「ええ、エリシアちゃんはとってもとっても、一番可愛いから、きっと素敵なお嫁さんになれるわ」
女の子らしく将来の夢はお嫁さんらしい。ヒューズ中佐が聞いたら大変な事になるわね……なんて、笑いを堪えつつ、リザはご機嫌なエリシアの頭を撫でてやった。
――この調子ならばしばらくは上官達も落ち着いて話せるだろうか。
リザがそんな事を考えていた時の事だった。
「ううん! ちがーよ!」
「え?」
キッチンの子供用の椅子の上に座ったエリシアは、ぶんぶんと首を大きく振った。手足までばたつかせて、全身を使ったずいぶんな否定のしようである。
「ちがーもん!」
頑固に何かを否定し続けるエリシアにリザは困惑した。子供は好きだが扱いに慣れていない彼女には、幼子の感情の変化についていけない。自分は何か悪い、彼女を傷つけるような事でも言ってしまったのだろうか。と不安になる。
「な、何が違うの?」
おそるおそる問えばエリシアは答えてくる。
「エリシアよりも、リザおねーさんのがかわいいんだよ!」
「そ、そんな事は無いわ。エリシアちゃんが一番可愛いわ?」
それはいつも耳にタコが出来るほどに言われているヒューズのノロケだ。世界で一番可愛い彼の娘。正直父親の話は聞き飽きたが、その内容自体はリザも同感であった。
母親に似た可愛らしい容姿、父親似の朗らかで明るい性格。この少女は皆から愛される要素を沢山持っている。自分なんか、比べられるものではない。
「エリシアちゃんが一番よ。私よりもずっとずっと可愛いわ」
「ちがーもん! だって、ロイおじたんがゆってたよ?」
突然幼女の口から出た上官の名にリザは驚く。しかしエリシアはおかまいなしにどんどんとしゃべり続ける。
「このまえねーロイおじたんがおとまりにきたときねーパパとけんかしたのー。エリシアこっそりきいてたのー。パパはエリシアがかわいいってゆってねー、ロイおじたんはリザおねーさんのがかわいいってゆってたのー。だから、リザおねーさんのほうがかわいいんだよ」
……あの二人は子供に何を聞かせているのだ。呆れを通り越して、目眩が起きそうだった。
下らな過ぎる喧嘩の内容もさることながら、言い争いの場面を見せてしまうなど教育上絶対に良くない。現に幼女は無邪気な様子で、リザに告げてくる。
「パパはーエリシアのことがだいすだからーロイおじたんはーリザおねーさんがだいすきなんだね」
「……そうね」
純粋な子供相手にまさか違うとは言えない、この大人の純情をどうしてくれるのだ。顔から火が出そうな気分を味わいながら、リザはキッチンからロイ達がいるリビングへと恨めしげな視線を送った。
「そっか! じゃあエリシアはーパパがだいすきだからーリザおねーさんはロイおじたんがだいすき?」
どうしてそこは断定してこないで疑問系なのだろう。またきらきらとした期待の籠もった眼差しを向けられて、リザは追いつめられた。相手は非常に強敵である。しかしエリシアの容赦ない追求の手を逃れる手段は他に無く。
「だ、い、す……す…き、よ?」
恥ずかしさに顔を赤く染めて、リザは何とか言った。こんなのただの子供向けのリップサービスだと言うのに、どうして一言好きと言うだけでこんなにも動揺してしまうのか。いや、その理由は分かっている。リザはロイに関する事柄にも子供にも嘘は吐けないからだ。リザはエリシアに本気の本音を引き出されてしまったのである。
「そっか!」
ようやく納得したのか、エリシアはリザを解放してくれた。この会話をロイとヒューズに聞かれていなかったのだけが幸いだ。特にロイに聞かれた日には、このネタでこの先ずっとからかわれそうだ。
「ねーリザおねーさん!」
「え、なあに?」
「あのね、あのね、ロイおじたんがね、りざおねーさんはかわいいってゆってたのー」
まだ何かあるのだろうか。と一瞬身構えたが、エリシアは話題を繰り返す様である。同じ話を何回もするのは子供に良くある事だ。リザは根気よく付き合ってやる。
「そう。でも、エリシアちゃんの方が可愛いわよ」
「ううん、パパはーエリシアのほうがかわいいってゆってたけどー、ロイおじたんはねーよるのリザおねーさんはとってもかわいいってゆってたのー。リザおねーさんはーおひるとよると、ちがーの?」
「…………大佐!!」
……子供に何を聞かせているんだ何を!!
上官達の邪魔はしない――という誓いを忘れて、リザは叫ぶ。

――ヒューズ家に銃声が鳴り響かなかったのだけは、リザの最後の理性であった。




2015年 スパコミ

 真夜中の求愛


いつでもすぐに銃を手に取れる体勢で、リザは五感を研ぎ澄ましていた。どんな音も気配も見逃すまいと、気を張れば張るほどに身の内に疲労が蓄積されていく。そういえば前に睡眠を取ったのは何時だったろうか、とリザは脳裏の片隅で思った。
 ハボックとリザ、そしてロイが第三研究所から軍病院に運び込まれて、約六時間が経過していた。未だロイとハボックの意識は戻らない。もっともそれは緊急手術の麻酔が効いているためであり、容態は安定している。それを医師から告げられた時、リザは心の底から安堵したのだ。
 思い出すのは、腹の底が沸騰するような熱くどす黒い怒り。そして、同じくらいに冷たい絶望だ。
 あの女ホムンクルスにロイの死を告げられた瞬間、リザは何もかもを忘れた。自分の立場も責任も全うすべき任務も。頭の中が真っ赤に染まり、女を殺すことしか考えられなくなったのだ。あれが復讐に身を焦がされる衝動というものなのだろう。そのような愚かな感情に支配された自分は、結局何一つ成せず、敵の前に無様な姿を晒した。命を諦め、未来の全てを投げ出した。そして、己が庇護すべき少年に護られたのだ――。
 これが、一人前の軍人のすることだろうか、とリザは自嘲した。ロイ・マスタング大佐の副官であり彼の右腕だと自負して来た自分の本当の姿は、つまる所感情的な一人の女に過ぎなかったのだ。
 それが、リザに突きつけられた事実であった。
 リザは座っていた椅子から立ち上がると、ベッドに眠る男の顔を覗き込んだ。頬にはぺったりと大きな傷絆創膏が張ってある。そっと手を伸ばし触れた。
「……私は貴方を護れなかった……そして、護られた……」
 未だ後悔を昇華し未来を視るほどの時間は経過しておらず、リザはどこまでも自己嫌悪に陥るしかない。せめて、ロイの声が聞けたのならば。
 そんなことを考えていた時だった。
「ん……」
 閉じられたロイの瞼がぴくりと動いた。そのまま彼はうっすらと瞳を開く。麻酔が切れたのだろうか、とリザは思う。隣で眠るハボックはまだ眠っているようだが、ロイの方が先に目覚めたのか。縋るような思いでリザは彼を呼んだ。
「大佐……?」
 第一声は叱責であるべきだ、と彼女は考えていた。いや、生半可な叱責ではダメだ。もっと激しい罵倒である方がいい、と思い直す。挫かれた軍人としての自信を立て直すには、どうしても彼の言葉が必要だと思った。
「リザ……?」
 しかし。
 ロイの口から零れ落ちた思わぬ言葉に、リザは意表を突かれた。久しく聞いていなかった彼の声で呼ばれる己のファーストネーム。上官と部下という関係になった時に、封印したはずではなかったのか。それはロイとリザの間で暗黙の了解となっていた事柄であった。
「大佐、具合はいかがですか?」
「どうした……リザ。また、怖い夢でも見たのかい?」
 混乱に身を浸しながらも、リザは真っ先に彼に問いかけたかった言葉を送る。だが、ロイはリザの言葉が耳に入ってはいないようだった。ただ、上司の彼ではありえぬ甘い声で、リザに語りかけてくる。まるで子供をあやすように。
「大丈夫、怖くないよ。私がついている……」
 不意にロイの手が持ち上がった。何かを探しているようなそれを、リザは反射的に握る。手の甲には錬成陣の痕が残っていた。
「いつでも、君のそばに居るから、だから、何も怖がらなくていい……怖くないよ……」
 手のひらから伝わる温度は暖かく、紡ぎ出される言葉はどこまでも優しかった。残酷な世界の全てからリザを護るように、彼はぎゅっとリザの手を握ってくれた。
 寝ぼけているのだろう、とリザは結論づけた。大怪我負った彼は体力も精神もまだ回復しきっていないのだ。だから、こんな風に昔の優しかった子供時代の頃の夢を見て、現実との境が分からなくなっているのだと。
(こんなのは、ずるい、です。大佐……) 
 リザの視界が滲んだ。数時間前に流した絶望と悲しみの涙。それが、また頬を滑り落ちていく。しかし、今度は別の意味を持つ涙だ。弱っている時にこんな風に優しくするのはずるい、とリザは思った。
 上官なら上官らしくきちんと叱り飛ばしてくれないと、リザは彼の部下で居られない。優しくされては、彼のための軍人では居られなくなってしまう。
(お願いですから、大佐。私を、ただの、女にしないで下さい……)
「泣いているのかい? リザ……君が泣くのは、とても、困るから、どうか泣き止んでくれ……」
 優し過ぎるロイの言葉とその手は、今のリザにとっては毒だった。身を蝕み、己を弱くする毒。まだリザは、彼の愛を受けいれてなお、強く在ることが出来ない。軍人としての自分と女としての自分を、並び立たせる自信がないのだ。
「君を泣かせる全てのものから、私が一生、君を護るから……」
 だから、リザはロイに返答しなかった。
 彼の愛を許容も拒絶も出来ぬ中途半端な位置にいる自分。軍人になりきれず、かと言って女として彼を愛することも受け入れられずにいる自分。今夜あの女ホムンクルスに自身の想いを全て暴かれて突きつけられてもなお、今のリザにはまだ、決められない。
「リザ……」
 ロイの甘い声が耳を擽る。そして、手のひらから力が抜け落ちた。彼は再び眠りの世界へと戻っていくようだった。 
 次に目覚めた時はおそらく。彼は自分の言葉を覚えてはいないだろう。きっと、第一声は馬鹿者、という叱責のはずだ。だが、今はまだそれでいいとリザは思った。


 いつか、もっと強い自分になれるまで。女としての自分を認め、彼の愛を受け入れられるようになるまで。この真夜中の求愛は、リザだけが知る秘密でいい。
 ただ、彼の言葉がリザの心を軽くしてくれたのは事実だった。
 再び目を閉じたロイを見つめて、リザはその髪を撫でる。
 いつか、この秘密をロイに打ち明けられるようになる日まで、彼を護り続ける――。 
 決意を新たにし、心を強く持って。軍人リザ・ホークアイはロイの護衛という任務に再び戻るのだった。





2015年 夏コミ

一般的に恋人同士の男女の喧嘩と言うものは、痴話喧嘩と相場が決まっている。仕事でデートをドタキャンしたり、ちょっとした浮気をしたり……そういう男女の問題で起こるものであり、他人から見ればまあ、下らないの一言に尽きる。
 だが。
 ロイ・マスタング大佐とリザ・ホークアイ中尉の喧嘩はいささか趣きが違う。清々しいほどに、リザが怒るのは仕事に関することのみであった。


「貴方と言う人はっ! 司令官という自覚があるのですか!? 一歩間違えば撃たれていたかもしれなんですよ? ちょ、大佐、聞いてますか! この耳は飾り物ですかっ」
「あーはいはい、聞いてるよ」
「真面目に聞いてください! 雨の日以外も無能だと言われたいんですか?」
 今まさに、副官兼恋人に絶賛叱られ中のロイである。
いつもはいたって冷静沈着なリザも、どうも火がついてしまったらしく、容赦なく浴びせられる叱責は部下の言葉とは思えないものだ。
 いつもは基本的に悪いのは自分であるので、分がないと見るとロイはすぐに素直に謝る。
 しかし。ロイだって虫の居所が悪い時はあるのだ。
 そもそも今回は事件解決のために動いた結果、多少自身を危険に晒してしまっただけだ。リザが心配してくれたというのは十分に分かるが、誉められこそすれこんなに怒られるいわれはない。
 と、言い返したのは非常にまずかった。
「司令官は後ろに引っ込んでいるもんです! そもそも、貴方は普段から無能過ぎます……!」
 そして始まるお説教。くどくどくどくどと、今回は直接関係のないデスクワーク時の不真面目さに始まり、クリップを元の場所に戻さないだとか果ては食事の好き嫌いまで。女というものは、一回怒ると芋ずる式に過去の失敗を引き合いに出して怒るが、リザも例外ではないらしい。
(プリプリ怒るリザも可愛いが……)
 無能無能と一番言われたくない人物に言われ続けるのはこたえる。流石にうんざりしてきたロイだったが、しかし次のリザの言葉にニヤリと笑うこととなる。
「この前だって仕事が残っているのに、デートに出かけてしまわれて! いくらお相手が情報通で美人のアンゼリカさんだからって! あの時の書類はとっても重要なもので……」
「……なんだ。結局やきもちか?」
「違います!」
 怒りついでに余計なことを言ってしまったと気づいたのだろう。リザはムキになって否定する。しかし、それが逆に本音だと語ってしまっているようなもので。 
「そうか、そうかー、君は私がデートに出かけるの、普段から不満に思ってたんだなー。いつも「いってらっしゃいっ」って進んで送り出してくれるから、気にされてないのかと思っていたよ」
 ニヤニヤ笑って指摘すると、リザは頬を赤く染めて反論してくる。
「だからっ、違います! 話を逸らさないで下さい!!」
「話を逸らしているのは君だろう。私を叱るついでに、隠していた不満をつい漏らしてしまった……というところか?……可愛いな、リザ」
「……なっ」
 不意打ちで名前を呼べば、一瞬彼女は言葉に詰まる。まさか、真っ昼間の司令部でファーストネームを呼ばれると思っていなかったらしい。
 彼女が見せた隙を見逃さず、ロイはすかさずリザとの距離を詰めた。そして、キス。ちゅっと軽く唇を触れさせるだけのついばむような口づけだ。
「し、しんじられな……」
 ファーストネームどころか、キスまでされたリザはわなわな震えている。驚けばいいのか怒ればいいのか恥ずかしがればいいのか。いろんな感情がごちゃごちゃになっているようだ。
「……黙って」
「んふ……っ」
 リザが固まっているのをこれ幸いとばかり、今度は深く深く唇を奪う。舌を絡ませ口腔内を舐めとる濃厚なキスだ。必死に離れようとする抵抗をその腕で制しながら、ロイはじっくりと彼女の唇を堪能する。
「ん……」
 歯列をなぞり、唾液をすすり。そうしてゆっくりとロイはリザから身を離した。途端に力が抜けたように腰から崩れ落ちていく女の体を支える。
「……っもう、ゆるしませ……」
 荒い息を吐き出しながら、リザがロイを睨みつけてくる。そんな可愛い顔で、潤んだ瞳で真っ赤な頬で半開きの唇で、上目遣いに睨まれてもちっとも怖くない。
「嘘だね。……唇が許したって、言ってる」
 事実、リザからは怒りの気配がすっかり抜け落ちている。普段は火をつける行為だが、どうやら今回は怒りの火を鎮火したらしい。ずいぶんと甘いことだ、とロイは思うが同時に、リザを愛しく思った。
「今後は情報収集デートも軽くにとどめるよ、君に嫉妬させては申し訳ないからね?」
「バカですか……」
「それで全部許してくれ」
「……では、もう…一度……」
「ん?」
「……もう一度、キスして下さい」
「いくらでも」
 そうやって、仕事中だということも忘れて唇を重ね合わせる。
 
――自分たちだって、普通の恋人らしい痴話喧嘩が出来るのだな……と思うと、ロイはちょっぴり嬉しかった。  



2015年 ガンガンオンリー1

「どうしたんですか、それ!」
 視察から戻ってきた上司――ロイ・マスタング大佐が持つ紙袋を見て、フュリー曹長が驚きの声を上げた。何だ何だと他の部下たちも集まってくる。
「これ…か?」
「そうです、それです! それ、ベアードママの袋ですよね?」
「そうなのか? 私はよく知らないが……そんなに有名なのか?」
「ベアードママ。今イーストシティで人気の菓子屋ですな。特にそこのクッキーシュークリームは若い女性達から絶大な支持を得ています。買おうと思ったら3時間は並ばないと手に入らないでしょう」 
 袋に描かれた熊の絵を見て、ロイが怪訝な顔をした。すかさずファルマンの解説が入る。 
「3時間!? 誰が食べるんだよ、そんなシュークリーム」
「食べるから並んでるんだろ」 
 うへぇ……とげんなりした顔をしたハボックに、ブレダがつっこむ。甘いものが好きではない人間には理解しがたいらしい。
「……ちなみに、ここのシュークリームをプレゼントしたら女性は喜ぶでしょうな」
「よっし、すぐに狩ってくる!」
「やめとけって」 
 変わり身の早いハボックの頭をぺしっとブレダがはたいた。
「今から行ったって売り切れだろ、どうぜ」
「そうだ。一応言っておくが、今は仕事中だからな」
「……へーい」
 ごほんっとロイが咳払いして、ハボックを睨みつける。サボりの常習犯である男に言われたくないとハボックは思ったが、大人しく従った。
「で、結局マスタング大佐はそれどうしたんですか? 視察中に買って来たんですか?」
 フュリーが話を戻すと、ロイはいいや、と首を振った。
「まさか。いくら私でも視察中3時間もサボれんよ。これは貰ったんだ」
「貰った? 誰にですか?」
「よく行く花屋の女性店員だよ。通りがかったら渡された。おそらくいつもお仕事ご苦労さまという意味の差し入れだろう」
「ふ~ん……」
「ほほう……」
「へえ……」
 ハボック、ファルマン、ブレダが三者三様に声を漏らし、どこか含みのある視線をロイに向けた。
「な、なんだ…?」
「プレゼントしたら喜ぶ貴重な一品を、大佐に、ねぇ……」
「3時間の労力の末手に入れた物を贈っても惜しくない、と……」
「ずいぶんと気持ちの籠もった差し入れですねぇ……」
「お、お前ら! 何が言いたい!」
「んなの決まってますよ。ただの差し入れの訳ないでしょ、ってことです」  
 きっぱりと言い切ったハボックがびしっとロイに指をつきつける。上司を指さすなというロイの苦言も無視してハボックが断定する。
「ずばり、それは大佐への愛のプレゼントですよ! 貴方が好きですって言うね!」
「まさか。そんな訳ないだろう、たかだがシュークリームだぞ? 特に手紙なんかも入っておらんし……」
「きっと奥ゆかしい女性なのでしょう。直接はっきりと気持ちを伝えられないので、まずは貴重なお菓子で好意を示しておこうという算段なのですよ」
「そ、そうなのか……?」
 ファルマンにまで断定されて、ロイは疑わしそうに紙袋を見た。普段から大量のラブレター貰い慣れている男は、熱烈な愛の告白でないと好き――という気持ちが見えないらしい。
「やれやれ……マスタング大佐ともあろうお方が鈍すぎますぜ。絶対そうですって」
「う~む……」
「まあ、それはそれってことで。シュークリーム、食べましょうよ!」
「いいな、3時間待ちの味を確かめようぜ」
「こ、こらっ! これは私が貰ったのだぞ!?」
 フュリーが明るく提案し、ハボックもノリノリでロイの手から紙袋を奪いとる。慌ててロイはシュークリームの所有権を主張したが、部下達は聞いていない。
「茶はどうする?」
「めんどくさいから、まずは食べようぜ。ちょうど腹がへってたんだよな」
「1、2、3、4、5……あ、良かったちゃんと人数分ありますよ」
「では、まずは大佐ですな。どうぞ」
 一応所有者の権利を尊重されたらしく、ずいっと菓子の箱が目の前に差し出された。部下達に押し切られた感がいなめないが、独り占めする気もなかったのでロイは大人しく最初の一つに手を伸ばす。
 だが、そのときだ。
 ドガンっという銃声が部屋に響き、同時に銃弾がロイの手をかすめていった。
「大佐、嘆かわしいです」
「ちゅ、ちゅうい……」
 いつの間にか一同の背後に、銃を構えた麗しの副官――リザ・ホークアイ中尉が立っていた。彼女は冷ややかにロイを見つめている。
「べ、別にサボっていたわけではないぞ!」
「そ、そうですよ! 中尉。大佐は差し入れを俺らに配ってくれていてっ」
「ほらっ、もうすぐ3時ですからっ、おやつタイムをですね……」
「そんなことはどうでもいいのよ」
 フォローに入った野郎部下達を一言で一蹴し、リザはロイに淡々と告げる。
「マスタング大佐ともあろうお方が、何たる迂闊。よろしいですか、大佐。市井の女性から貰った食べ物を、何の精査もせずに口に運ぶなど言語道断。愚かな振る舞いです。貴方は常に不穏分子に命を狙われているというのを、お忘れですか。信頼のおける者が用意した食べ物以外を、簡単に食べてはいけません。どんな毒物が仕込まれているか……貴方は御身を軽んじるおつもりですか!」
「う、うん……そうだな、中尉。君の言うとおりだ」
 リザの迫力に気圧されて、ロイがこくこくと首振り人形のように頷く。
「つきましては、私がまず毒味をさせて頂きます」
「へ?」
 リザに宣言されて、ロイはポカンと口を開けた。てっきりこのまま手をつけず処分されると思っていたからだ。
「毒味って……中尉、大丈夫ですか?」
 心配げにフュリーが言うのに、リザは少し口元をゆるめた。
「ええ、平気よ。これも部下のつとめですもの。まずは私が食べるわ……出来れば皆にも手伝って欲しいのだけど」
「も、もちろんです! 中尉にだけ危ないことさせられません!」
「お任せください」
「俺らも協力しますぜ!」
「んじゃ、いただきまーす!」
 と、部下一同は勝手に盛り上がりロイが口を挟む暇もなく。瞬く間に5つのシュークリームは消えてしまった。
「んめー」
「流石3時間……」
「まったりとしながらしつこくないクリームとさっくりとした生地が絶品ですな……」
「あ、ああ……あああ……」
 シュークリームを堪能した部下達はその味に満足したようだったが、ロイは一人悲しげにきゅるきゅると空腹の腹を鳴らしていた。
「大佐。ごらんの通り即効性の毒は入っていなかったようです。ですが、まだ油断は出来ません。遅効性の毒が混入している可能性も」
「いや、君。単にシュークリーム食べたかっただけだろ? 単に食い意地が張ってるだけだろ?」
「何をおっしゃいますかこれも全ては貴方をおまもりするため。ベアードママのシュークリーム、一度食べてみたいと思っておりまして本当に美味しかったですごちそうさまでした。……次も毒味は私が」
「本音が出た!」 
 非情なる副官の所行に、ロイは涙目になる。実はロイだって3時のおやつを楽しみにしていたのだ。そのために昼も軽めにしたというのに。
「どうしてくれるんだ! ひどいじゃないかっ、中尉! 私の! おやつ! シュークリーム!」
「……おやつ一つで小さい男ですね」
 ぼそっとリザが呟く。
「何だって!?」
「いいえ、別に。……大佐、おやつをご所望でしたらご心配なく。あちらに準備は出来ております」
「へ?」
「あ、本当だ」
 一斉に皆がリザの指さした方向を見る。そこにはいつの間に用意してあったのか、たっぷりのスコーンの山と茶のセットがおいてあった。
「こちらを存分にご賞味下さい」
「う、うむ……うまそうだな。このスコーンの香り……これはもしや…」
「はい。僭越ながら私の手作りです。……これならば、大佐に安心して召し上がっていただけます」
「何、君の手作りだと!? よし、シュークリームのことは許そうじゃあないか!」
「ありがとうございます」
 不機嫌なオーラを漂わせていたロイは、ころっと態度を変え満面の笑みを浮かべてスコーンにかぶりついた。そんな男に茶を入れてやりつつ、リザはにこにこ顔で見守っている。 
「大佐も単純だよなぁ。ころっと懐柔されちまって」
「でも、中尉の手作りなんてうらやましいです。ベアードママより価値があるんじゃないですか?」
「それにしても、ホークアイ中尉も準備がいいですな。毒味でシュークリームが無くなるのを見越して、ご用意されたのでしょうか。大佐の機嫌もすぐに良くなりましたし」 
 副官の手のひらの上で面白いように転がされる上官を目撃し、野郎部下達が各々感想を述べる。
「ばっかだな、そうじゃねえって」
 訳知り顔で言ったのはブレダだった。彼はロイとリザ、二人の様子を見ながら続けた。
「……あの人、大佐以上に独占欲が強いんだよ。他の女から貰った菓子なんて食わせたくなかったんだろ。まして、自分がはりきって手作り菓子を用意して来た時によ」
 非情にわかりにくいが、さりげなく発揮されるリザの女としての独占欲。それを許して受け止める度量がロイにはあるのだから、あの二人はお似合いなんだろう。
 そうブレダが言うのを聞き、皆は上司ズに視線を向けた。
「中尉、美味いぞ。やっぱり君のスコーンは最高だな! ベアードママなんて目じゃないぞ?」
「恐れ入ります」
 嬉しそうに笑うロイと、控えめに…でもやっぱり嬉しそうに笑っているリザ。
「「「確かに」」」
 彼らの幸せオーラを感じ取って、あの二人はあれでうまく行っているのだろうな、とハボック、ファルマン、フュリーは納得したのであった。




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by netzeth | 2016-03-05 01:18 | Comments(0)