人気ブログランキング | 話題のタグを見る

うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

曙光

 ※ SS残照の続きになります。
 

 
 はーっと吐き出した白い息は澄みきった夜空へと消えていった。背後からどうぞ中へと、気遣いの言葉がかかったのを首を振ることで遠慮して。その身を凍てついた空気の中に晒し続ける。
 東の空が白み始めていた。黒から藍色にそして紫から白へ……。天嶮ブリッグズの地にて、そびえ立つ山々の稜線がうっすらと浮かび上がってくる。
 切り立った崖の上からその光景を見上げ、リザ・ホークアイは時計を確認する。
 夜明けまで、あと1時間弱。そして、作戦決行まで30分を切っている。腰のホルスターに手をかけて愛銃を取り出した。今まで幾多の困難を共に乗り越えてきたブローニング。弾薬の確認を行ってから、しっかりと握りしめた。
 必ず、成し遂げてみせる。
 決意を込めて、銃を掲げそれから額に当てた。
 谷底からひゅうひゅうと音を立て吹き上げる風は切り裂くように、リザを襲ってくる。
 しかし、リザは臆さずその場に大地を踏みしめて立っている。
 挑むように、祈るように。
 春を間近にした冬の終わり。雪解けを控えた、芽吹きの季節。
 白かったアネモネが色を変え、やがては枯れ落ちて。何度も季節が巡り…ようやくリザはここにやってきた。
 長かった彼を喪失していた年月。それに、ピリオドを打つために。

 


 鉄格子がはめられた小さな窓から見えるのは、どこまでも暗い空だった。もうすぐ夜明けのはずだが、やはり北の地は日の出も遅いのだろうか。時刻を確認したかったが、時計を見ることが叶わないロイには知りようもなかった。
 ガタゴトと揺れる護送車の座席はお世辞にも座り心地が良いとは言えない。セントラルの収容所を出て、既に何時間も経過していた。いい加減尻が痛くなって来たが、立つことは当然許されていなかった。
 両隣りに座るのは、屈強な兵士。息が詰まるとはこのことだ。
 だがそれも無理もないと、ロイは両手首を固定する枷を見下ろして自嘲した。
 

 既に自由を失ってから、長い長い年月が立っていた。いや、実際は数年ほどだがロイにとってそれは永遠とも思えるような時間であった。
 当初すぐに決着がつくかと思われた裁判は、大方の予想を裏切って長引いた。極刑を望む声以上に、多数の免責を求める声が国内外から上がったためだ。それが隣国の、友好関係を築き今や経済関係上重要国となっているシンの皇帝からの要請も含まれているならば、無視出来ようはずもなく。更には軍人や一般市民からも、そして、驚くべきことにイシュヴァール自治区からも減刑を望む嘆願書が出されたのだ。
 裁判は大いに荒れた。罪を追求し厳罰を望む者。国民の声を後押しとしてロイを救おうとする者。法廷闘争は長く続き、そうしてようやく一つの結論が出た。
 命は奪わない。だが、責任は取るべきである。と。
 最後の大総統ロイ・マスタングは、過去の戦争責任の咎によりその残りの生涯を北の地で幽閉され過ごすこと――。
 大切な女性との約束を果たすために、ロイも裁判中は最大限の努力をした。責任逃れはしなかったが、憎悪からの不当な要求には屈しなかった。
 だから、この判決を妥当と受け入れた。結局、彼女との約束を果たすには至らなかったが、それでも。命さえあればいつかは…と希望を持ち続けることは出来る。将来恩赦が無いとも限らない。
 

 セントラルを出たのは未明のことだ。ロイは秘かに北の地へと移送されていた。待ち受けるのは、北の地に存在する小さな要塞らしい。
 事前の説明だと昔要塞として使用されていた建築物を、改装したものがロイの幽閉場所になるのだという。監視は付くし、街に出ることは許されないが敷地内ならば外出も可能だと聞いた。望むならば、ロイの蔵書も届けてくれるという。手枷も解いてくれるし、世話人も数人付くという。一応元軍事最高責任者であるロイであるので、この扱いは破格に上等な方だと言えた。
 だが、いくら本が読みたい放題だろうが、生活に不自由しなかろうが、ロイにはどうでも良かった。そばに彼女が――リザが居なければ彼にとってはどこでも同じだった。
 目を閉じて、懐かしく愛しい女を思い出す。彼女の香り彼女の声彼女の温度…彼女を構成する全てが狂おしいほどに、恋しかった。
 約束を果たせるまで、後何年かかるだろうか。その長い年月にまたロイは耐えなければならない。
 それこそが、自分への罰なのだろうか。
 リザの笑顔を思い出しながらロイが嘆息していた――その時だった。
 ガウンッ! と、不穏な音がして車が突然急ブレーキをかけた。当然ながらロイと同乗している兵士たちは前のめりに倒れてしまう。
「な、なんだ!」
「何があった!? 報告を!」
 運転席に声をかける彼らを横目で見つつ、ロイも体勢を立て直す。確か、ロイが乗る護送車は武装した軍用車に先導されていたはず。つまりは、前を走っていた車に何かトラブルでもあったということ。
「そ、それが…どうやらパンクと……道が塞がっていて……」
 運転手からの返答を聞いた兵士の一人が、後ろのドアを開け出ていこうとする。もう一人はそのまま銃を構えてロイの側に止まった。
 だが、扉は中からは開かれなかった。何者かによって外側から開けられたからだ。 
「誰だ! 貴様等……!」
 雪国仕様のゴーグルと口を覆う覆面で顔を隠した者たちが数人、銃を構えて立っていた。明らかに素人には見えない様子に兵士が即座に発砲しようとする。しかし、それより先に覆面達の銃が火を吹いた。
「がっ!!」
 銃弾が手を掠め、兵士は銃を取り落とし膝を付く。その瞬間、何かが車内に投げ込まれる。シューという噴射音と白い煙が充満し、ロイは咳込んだ。腕に顔を埋めてそれを吸い込まないようにする。匂いからして、何かしらの人体に悪影響のある物質だ。
「閣下! 後ろへお下がり下さい! こいつら、まさかドラクマの…うっ」
 ロイの側に居た方の兵士が必死に叫ぶのを聞いたが、すぐにその声がとぎれる。言われて見れば先ほどの銃はドラクマ軍で採用されているものだ。まさか、ドラクマの密偵が襲撃を? だが、自分を襲って何になる。政治利用でもするつもりか?
 いくつもの疑問が脳裏を巡り、やがて煙の薬効かぼんやりと思考が霞み始めた頃。
「おわ!?」
 ぐいっと腕を引かれて、ロイはたたらを踏んだ。身体の力も抜けきっていて、抵抗のしようもなくずるずるとロイは引っ張られて車外に出される。
 さくっと降り積もった雪を踏む。初めてロイは自分の居場所を確認した。
 そこは山を切り出して作られた、崖の上の道。一歩踏み出せば断崖絶壁
に真っ逆さまの危険な道だ。周囲はまだ薄暗く奈落の底のように、崖下は真っ暗で見えない。
「こちらへ」
 腕を引いてた者が、低く押し殺した声を出す。
 その瞬間、残っていた全ての力がロイの身体から抜けていった。
 聞き間違えることなど絶対ない、その声にロイは一瞬惚けた。
「お早く」
 外には同じような格好をした覆面の者がおり、他の護送兵士達と交戦しているようだった。
 何が起こっているか、分からない。分からないが、行かねばならないのだということだけは分かっていた。
 促されるままに、今度は自らの意志で走る。震える脚を叱咤して必死に。どこか遠くでドーンという爆発音が聞こえた。しかし、何の音だと疑問に思う余裕もなく。ロイはひたすらに走り続けた、彼女に手を引かれて。




 走りに走って、やがてすっかり車が見えない場所に連れて来られてようやく止まる。ずっと運動不足であったから急な運動は堪えた。
「ずいぶんとなまっておりますね、閣下」
「……は、はあ…し、かた、ない、だろう…」
 余裕がある様子の相手に言い訳を述べながら、呼吸を整える。それから、
「……はあ、はあ……そろそろ説明してくれないか、ホークアイ…中佐…」
 覆面をしたままの彼女――リザに問いかけた。ゆっくりとゴーグルと覆面をリザが外す。それはロイが狂おしい程求めた懐かしき女の顔だった。
 すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られる。何度も何度も夢に見た瞬間だ。だが、それを押さえてロイはリザに対峙した。ロイの最後の大総統としての責任が、一人の罪人として背負った業がそうさせた。
「もう、お分かりでしょう?」
「分かるものか。こんなことをして……無事に済むと思っているのね? 君ともあろうものが」
 友軍を襲撃した上に、犯罪人であるロイを奪取。これでは議会も軍部も世論もおさまらない。
「……君は、君たちはまたこの国に争いの火種をまくつもりかね?」
 法の下に裁かれたロイを不法に軍事力で救出したとあっては、法治国家として新たにスタートしたアメストリスが成り立たない。また、軍事により支配される過去に逆戻りである。
 だからこそ、この長い年月をロイは堪え忍んで来たというのに。そして、それはかつての部下達にも分かって貰えていると思っていた。ロイはその態度を持って彼らに自重を促してきた。自分を助けようなどと無茶をしてくれるなと。
 その願いはずっと守られてきたと思っていたのに。やっと判決が出て、ようやくロイのあがないの時が始まろうとしているこの時に、こんなことをしでかしてしまっては、元も子もない。
「……いいんだ、中佐。私は法の下正しい手順を踏む。このまま幽閉生活を過ごし、いつか許される時を待つ。それが正しい」
「……いいえ。いいえ、違います」
 諭すように言うロイの言葉を、リザはきっぱりと否定した。その瞳には強い決意が宿っている。
「閣下はご存じないのです。私がここにやって来るためにどれだけの人達に助けられたのか……それは全てかつて貴方が助け……そしてだからこそ貴方を助けたいと願う人々なのです」
「私を助けたいと願う人々……」
「その通りです。……軍の皆、マダム、エドワードくん、アルフォンスくん、オリヴィエ閣下、シンの人達、イシュヴァールの人達……皆の願いが私の背を押してくれたからこそ、私はここにいるのです」
「まさか、そんな。だが……」
 思いがけない人々の名を上げられて、ロイは驚く。これまでの人生で関わってきた人々。彼らがロイの自由を願った……。
 しかし。
 ロイは強く首を振った。
「だが、ホークアイ中佐。私は私の罰を受けるつもりだ。……それが正しい道だと思う。……君との約束は守る。でも、それは今ではない。今であってはいけないんだ」
 彼の中にある、罪の意識はまだ彼を許してはくれていない。悲しげに顔を歪ませてリザはロイを見つめる。だが、鳶色の瞳はまだ力を失っていなかった。
 ロイはその瞳を知っている。……そう、これは焔のついた目だ。
「強情ですね」
「君に言われたくないな」
 さあ、まだ間に合う。私を置いて、行け。
 こみ上げる情を押し殺して、ロイはリザに命じた。このまま彼女達にまで罪を重ねさせることは出来ない。けれど、リザは動かない。代わりに静かに銃を抜き出した。それはリザの愛銃ブローニング。
「……では、今から私は私の約束を果たそうと思います」 
 言いながらリザはゆっくりと銃をかまえる。
 ロイの脳裏に過去が、己の言葉が蘇った。


 ――道を踏み外したら、撃ち殺せ。

 
かつて自身が彼女としたもう一つの約束。
 ああ、リザに今撃ち殺されるのならばそれもいいかもしれない。
 魔が差したように、ロイはそんなことを思った。
 その瞬間。
 ガウンっ! ガウンっ! 銃声が二発。凍り付く寒さの中に響きわたる。それはロイの手枷を綺麗に撃ち抜いていた。自由になった両手を掲げて、呆然とする。

「……中…さ? 君は何を…」
「皆の願いを無碍にするのは、道を踏み外す行為です。ですから今、私が貴方を殺しました。ロイ・マスタング大総統は今、ここで死んだのです」
 リザの声が震えていた。気づけばその手もぶるぶると震えている。
「……これで、あの時の約束は、果たされました。もう…私はっ、貴方に銃を向けることは二度とない……!」
 堪えていたものが決壊するように、リザの瞳に涙があふれる。ああ、また泣かせてしまったか……と思ったが、それはこぼれ落ちることはなかった。そのまま彼女は毅然と顔を上げ、高らかに宣言する。その時、背後から光が差した。夜が明けたのだ。光を背負って立つその姿はまるで女神のように美しかった。
「閣下……いえ、ロイ。貴方は自由です。貴方の責任は判決が下されたあの瞬間に、果たされました。……もう、そろそろ自分のために生きてもいいのです」
 持っていた銃を投げ捨て、リザがその手でロイの手を握る。
「さあ、行きましょう。どこに行きたいですか? 貴方の行きたい場所に行きます。後のことは大丈夫ですから」
「だが……そうだ、兵士達はどうした? 私が逃亡したと知れたら、またこの国は……軍の立場だって悪く…」
 ロイは戸惑いながらそう指摘する。自分がこのような幸せを享受していいのか、確信がもてない。ロイの手はまだ血で濡れている。
「大丈夫です。兵士は殺しておりません。ご自分のために犠牲者を出すことを貴方は望まないでしょうから。申し訳ないですけど、ドラクマに汚れ役を買って貰うことにしました。ついこの前またブリッグズ要塞にちょっかいをかけて来ようとしたらしいので、それくらい構わないでしょう」
「まさか…そのドラクマの銃は……」
「オリヴィエ閣下にお譲り頂いたのです。借りは大きいぞ、とおっしゃっておりましたよ」
 ……それは怖い。と思わず肩をすくめたロイをリザはくすりと笑う。
「先ほどの爆発は雪崩を誘発したものです。ブリッグズの皆さんなら、意図したように雪崩を起こせるそうですから。兵士たちは先ほどのガスで眠らせて避難させてあります。車は谷底です。下に控えた他の皆がちゃんと貴方のダミーを置いて偽装してくれています。……もっとも、遺体を発見するのも検死をするのも報告をするのも全部ブリッグズですけどね」
 ぱちん、とリザが片目をつむる。
 ああ、また女王様に借りを重ねてしまった。これは後が怖いな、とロイは笑う。ようやくこぼれたロイの笑みにリザも嬉しげに微笑んだ。
「さあ、ここまで言われて、まだ刑に服すとおっしゃるのですか? ロイ。女にも花盛りの時間というものがあるのですよ。貴方がお早く戻ってくれないから、待ちきれず来てしまいました」
「……ああ、すまん。待たせた」
「本当。遅い、遅すぎます。女性をこんなに待たせるなんて」
「……すまん」
 山の頂きから太陽が覗く。日の光がロイとリザを照らし、握られた手がほんのりと白く浮かび上がった。
「……貴方の罪は私の罪です。貴方の手が血塗られているというのならば、こうして私に分け与えて下さい。そうしたら、いつかこうやって少しでも白くなるかもしれない」
「ああ……」
 リザがロイの手をぎゅっと強く握りしめた。熱い血潮が通ったその温度を実感して、ようやく自分は彼女の元に戻れたのだ――とロイは思う。
「行きましょう、ロイ。どこにでもどこまでも、共に。貴方が邪魔だと訴えても離れませんから」
「……離すものか」
 そうして降り積もった雪を踏みしめて、ロイは歩き出した。傍らには愛しい女がいる。今のロイは何も持たないが、それだけで十分だと思えた。
「ではどちらに参りましょうか?」
「……そうだな。まずはあの街に、君と私が出会った街に行こうか。師匠の墓参りもしたい」
「はい」
「ヒューズの所にも行きたいが…流石にセントラルは無理か……」
「そうですね。ですが、ほとぼりが冷めましたなら、必ず」
「それから鋼のの顔でも見に行って……シンのリン皇帝にも礼をせねばならん。ああっ、アエルゴやクレタにも恩を受けた人がたくさんいるなっ」
「……そんなに、慌てなくとも大丈夫ですよ。これから時間はいくらだってあります」
「そうか?」
「はい。……これからの私の生涯はずっと貴方と共に」
「……リザっ」
 たまらず彼女を抱きしめる。それから、口づけを落とした。その感触は何年経っても変わらず甘美なものだった。 
「ロイ……」
 吐息と共に愛しい女の声で自分の名がこぼれ落ちていく。
 ようやく全ての重荷をその肩からおろして、ロイはただ愛しい女をその手に抱きしめることを許された気がしていた。 
 
 
 そして。
 分かたれたつがいがようやく一つとなり、共に歩いていく。北の大地はまだまだ寒い。しかし夜明けを告げる曙光はどの場所よりも美しく輝いていた。 



END
**************************

一応自分なりのハッピーエンドを目指したお話でした。
捏造妄想かなりあります~すみません。
ロイアイの未来は幸せだと信じております(^^)



by netzeth | 2016-03-06 22:25