うめ屋


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by netzeth
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幸福論

 電気ストーブですっかり暖まった部屋とシャワー浴びたての湿った髪。ソファーに座って軽くタオルドライ。足下では子犬が遊んでいる。床の上でボールにじゃれついている姿はたいそう愛らしい。時折ボールと一緒にこてんっと転がるのに、自然と笑みがこぼれた。
「ん、美味しい」
 蜂蜜をたっぷり入れたロイヤルミルクティーを口にして。リザは全身をだらんと弛緩させた。
 真冬の夜にこんなに暖かくて、愛犬が元気に育っていて、ミルクティーが美味しい。
 小さな嬉しいがたくさん集まって幸福とは作られるのかもしれない……うとうととまどろみながら、そんな埒もないことを考える。


 もともとリザは、冬の夜にはあまりいい記憶は無かった。母が死んだ冬の夜――。特に悲しい記憶が心に刻まれているからだろうか。湿った長い髪に手を触れる。ストーブの熱でほとんど乾きかけているその金糸。

「切りなさい」

 母が死んで間もなくして、幼かったリザは伸ばしていた髪を切った。疎ましげな顔で父に命じられては、逆らいようもなかったのだ。
 本当は切りたくなかった。母が綺麗ねといつも結んでくれた長い髪だったから。だが、父の気持ちをおぼろげながら理解していたリザは従った。父はおそらく、母と同じ長い金色の髪を見ていたくなかったのだろう。そして、きっと母とそっくりのリザの顔も。
 髪を切って、しばらくは沈んだ気持ちで過ごしていた。
 父はますます錬金術の研究にのめりこみ、あまりリザを省みなくなった。そうして、数年が経った頃のことだ。彼がホークアイ家にやってきたのは。
 優しく明るい彼は、少しずつリザの世界を変えていった。
 あの時彼に指摘された言葉は今でも、よく覚えている。


「リザは髪を伸ばさないの?」
 その時は、なんて無神経なことを聞くのだろうと思った。リザにはリザの事情というものがある。単純な少年の思いつきでずいぶんと残酷なことを聞くものだと。
「……ええ、はい」
 言葉少なく答えたリザに、彼――ロイは首を傾げて言い募る。
「そうか。短いのも長いのも可愛いから俺はどっちもいいと思うけど、とっても綺麗な髪だなと思って」
 それでも若干惜しそうに言う彼に、リザは思わず言い訳がましく付け加えてしまった。
「……父が。嫌いだと思うので」
「え、どうしてそう思うんだい?」
「母が亡くなってすぐに切れ、と言ったから……」
 だから、無くなった妻に似ている髪を見ていたくなかったに違いない。
 すると、少年は意外そうな顔をして。それから首を振った。
「う~ん、リザ。それは違うと思うな」
「どう違うんですか? それなら何故髪を切るように父は言ったんです?」
「え? そんなの決まっているだろう。髪を伸ばしてもきっとリザのお母さんみたいに綺麗に結えてあげられないからじゃないか?」
 男だから分かるけど、あれ、難しいよな。
 あっさり言うロイに、リザは唖然とした。
「髪、可愛く出来ないとかわいそうじゃないか。その時のリザはまだ小さかったんだろ? じゃあ自分で出来ないだろうし……」
「そんな単純な理由で髪を切るように、父は……? まさか」
「え、だってそれしかないだろう。リザはリザだし、お母さんとは関係ないんじゃないかなあ」
「だって、そんな……」
「そもそも、リザは師匠にちゃんと聞いてみたの? なんでって」
「……いいえ」
「じゃあ、本当の理由は分からないじゃないか」
「そう、なので…しょうか」
「うん。そうだよ、とにかく一度聞いてみたらどうかな」


 その後リザは父にそれとなく訊ねてみた。すると、伸ばしたかったら好きにしなさい、という返事を貰った。もう自分で出来るだろうと。……結局ロイの言うことは的を得ていたようだった。
 だが、リザが信じてきた理由もまったくなかった訳ではないと思う。
 父が口に出さなかった以上、本当の理由は誰にも分からない。
 けれど、ロイに言われてリザは知ったのだ。
 何もかも自分の思いこみで断じてしまうことは愚かだと。もしもそれをするならば、良い方向に考える方が幸せなのではないだろうかと。
 あの時のロイは、全てを良い方向に考える少年だった。それがまったく正しいとも限らない。後に悲しみを背負う結果になることも今のリザは知っている。
 けれども、結局は。
 幸福とは、自分の気持ち一つの持ちようだとリザは思うのだ。

 
 微睡みの中でリザは考える。
 悲しい記憶ばかりだった冬の夜も、少しは幸せだと感じられるようになった。
 一つ一つは些細なことだが、今こうしてソファーにだらしなくもたれかかっているリザは間違いなく幸福の中にいる。
 この手で不幸を誰かに与えてしまったからと言って、一生幸せを拒否して生きていくのも、また愚かなのだろう。小さな家族を迎えて、こうして今、小さな幸福感に浸るくらいはいいだろうと、リザは自分を許していた。
 その時だ。
 ぱたんっと、遠くドアが閉まる音が聞こえた。足下の子犬がく~ん、と小さく鼻を鳴らす。慣れ親しんだ気配と香りが近づいてくる。ぼんやりと目を開いて見上げれば、微笑む男の顔が見えた。


「……やあ、天使かと思ったよ」
「……また、気障なことを」
 
 ……ああ、また幸せが一つ増えた。胸の奥がぎゅっとしめつけられるような感覚。これをきっと人は幸福と呼ぶのだ。
 暖かい手が前髪を撫でつけ、額にキスが落ちてくる。
 リザの幸福は間違いなく、今この冬の夜にあった。



END
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by netzeth | 2016-03-13 23:10 | Comments(0)