うめ屋


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by netzeth
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彼女のお洗濯

 ふわりと香った匂いに脳髄がとろけ、全思考が麻痺した。鼻先を押しつけ思う存分吸い込みたくなる衝動を、彼女の手前耐える。それほどに私の手元に戻ってきたタオルは、凶悪な……芳醇な香りを纏って私を誘惑していた。



 思い起こせば一昨日のことだ。
 司令官用の仮眠室にて休んでいた私は、きっちり二時間で起こされた。
「大佐。そろそろお時間ですが」
「……んん…? ああ、もう時間か……」
 まだ眠っていたいと訴える疲れ切った身体に鞭を打って、寝床から身を起こす。ベッドの縁に腰掛け、脱いだ上着のポケットから懐中時計を取り出して、時刻を確認した。
「はい。お疲れのところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「ああ……」
 寝ぼけ眼を擦りながら、前髪をかきあげる。汗ばむ額に髪がぺったりとくっついていた。私は傍らに佇む副官を見上げた。
「……少し汗をかいたから着替えてから行くよ。シャワーを浴びる時間は……ないな」
 書類の締め切り時間が迫っている以上、悠長にそんなことをしてはいられない。仕方がないないな、とため息を吐き出しながら仮眠室に置いてある自分用のタオルを探した。
 せめて、顔くらい洗って行こうと思ったのだ。
 だが、ストックしてあるはずの真新しいそれは想定していた場所にはなかった。
「ん……あれ」
「どうなさいましたか?」
「タオルが……」
 言いながら私は首を巡らせて、答えを見つけ出す。仮眠室で使う用にと持ち込んだ着替えやタオル。それらは全て汚れ物を入れるカゴの中に放り込まれていた。
「そうか……全部ストックを使い切ったんだった……」
 ここ最近忙しくてまともに帰宅出来ていない。そうして仮眠室で寝泊まりを繰り返した結果、洗濯物の山が築かれたという訳だ。
 私はもう一度深くため息を吐いた。
 寝汗が多少気持ち悪いが、着替えは諦めるしかあるまい。洗顔は使い古したタオルを使おう。諦めに似た心境でカゴからタオルを引っ張り出し、私はさっさと顔を洗って水分を拭う。それから後ろに控えている副官を振り返った。
「待たせたな、中尉。すぐに行くよ」
「着替えはよろしいので?」
「見ての通り、着替え用のシャツがない」
 苦笑しながら山盛りの汚れ物の山を顎で示す。
「……すまんがそれ、クリーニングに出しておいてくれないか。私がいつも使っている業者に電話すれば取りに来てくれるはずだから」
「こちらを……全てですか?」
「ん? ああ、そうだ。……いや、やっぱり私が手配するよ」
 感情をあまり見せない中尉の眉が顰められたのを、私は雑用を不服に思ったのかと理解した。確かにそんなことまで副官の仕事とするのは上官の傲慢だ。彼女は私の召使いではないのだから。反省しながら己の発言を取り消す。けれど、中尉はゆっくりと首を振った。
「いいえ、その必要はございません。大佐」
「何?……どういう意味だ?」
「クリーニング業者を手配する必要はない、と申し上げたのです」
 言いながら中尉は汚れ物が入ったカゴに近づく。そうして、それをひょいっと抱え上げると力強く言い切った。
「こちらは私が洗濯をして参ります。お任せ下さい」
「……なんだって?」
 彼女の主張に私は唖然とした。上司の汚れ物――タオルだけではない、シャツや靴下、下着まで含んだそれを、健康な二十代の男のそれを、うら若い女性――ホークアイ中尉が洗濯する。
 ……それは少し…いや、大いに問題ありな気がする。
「い、いや……そこまで君にして貰う必要はない」
「いいえ、私が承ります」
「待て…待てっ! そんなことまでは、副官の仕事ではない! 私を仕事外まで部下をこき使う酷い上司にするつもりかね?」
 あくまでも態度を固持する中尉を、私は立てこもる犯人に投降呼びかける心境で必死に説得する。だが、彼女はガンとして譲らなかった。
「私にとってお洗濯は仕事というほど、大げさなものではございませんし」
「だ、だが……っ」
「大佐。私はシャツはともかく、下着や靴下までクリーニングに出すのを看過出来ません」
 もったいない。……とは、彼女は口に出しては言わなかったが表情で大いに語っていた。経済感覚のしっかりした彼女にとってそれは許せない浪費であるらしい。
 ――こうなった中尉には、何を言っても無駄である。私が何を言おうとも私のパンツや靴下を家に持って帰り、その手で洗濯するまで納得しないだろう。
「……分かった。頼む……」 
 汚れたそれらを彼女の目に晒すのはかなり抵抗があったが、私は諦めた。過去に彼女の生家で世話になっていた時に、洗濯などさんざんして貰った。どうせ、今更だ。
「はい!」
 私の苦渋の決断に、彼女は目を輝かせて頷いた。




 という一連のやりとりがあった、その二日後――つまり現在。脳の芯まで痺れるような匂いに、私はやられていた。
 ホークアイ中尉に洗濯を任せた結果、私のタオルはふわふわの柔らかさとほわほわのいい匂いを纏って戻ってきたのである。考えたくないが、その他の洗濯物――シャツや靴下や下着もおそらく同じ匂いを発しているのだろう。
 どうしたらいいんだ、着られないじゃないか!
「大佐……? 何か問題がありましたでしょうか?」
 洗濯物を渡した男が突然固まったのを不審に思ったのだろう、中尉がこちらを心配そうに見つめている。
「い、いや……なんでもない。ありがとう、中尉。面倒をかけたな…二人分の洗濯は大変だっただろう」
 中尉を不安にさせてはいけないと外面を取り繕い、笑顔を向ける。すると彼女は一転曇り顔をぱあーっと明るくして、言った。その衝撃的な一言を。
「面倒だなんて、そんな。自分の分の洗濯もありましたし、一緒に洗濯機に入れてしまえば、一人分も二人分も一緒ですから」
 ……まさか、そんな。一緒に洗ったと言うのか? 君と私の洗濯物を! まてまてまて、私と中尉の下着が組んず解れつ状態だと?
 想像するだけでヤバい絵面である。自分を落ち着かせるために私は中尉に問いかけた。
「いい匂いがするな…ははは、さぞかし良い柔軟剤を使っているのだろう?」
「いいえ? 柔軟剤は使用してはいませんが。昔ながらの石鹸だけで」
 肯定が欲しかったのに、あっさりと否定される。おまけにまた彼女は重大な情報を告げてよこした。 
 なんてこった。ということは、ほとんど……ほとんど彼女の匂いが私の衣服に移ったということか。
 そこで私はようやくこのいい匂いの正体を知った。
 私の意識を根こそぎかっさらう香り。かいでいるだけで安らぐ、極上の匂い。それは全て彼女自身の匂いなのだ。
 私はふわふわほわほわのタオルをじっと見下ろした。そして、唸る。いい匂い過ぎてこれは扱いに困る。出来ることなら匂いが消えないようにタオルその他を密封したいくらいだ。……それをしては変態のそしりは免れないのでやらんが。
「あの……大佐。申し訳ありません」
 と、私が葛藤していると何故か中尉が神妙な顔をして謝ってきた。彼女には感謝こそすれ、謝られることなど一切されていない。
「何を謝る、中尉」
「いえ……私、デリカシーに欠けておりました。申し訳ありません」
 なんのことだ? 本気で分からず首を傾げる。
「……私の汚れ物と一緒にお洗濯なんて嫌でしたよね……気が利かず誠に申し訳ありませんでした……」
 ……私は父親のパンツと一緒にお洗濯しちゃ嫌な、思春期の女の子か。
 私を煩悶させていた問題を、見事なほどに勘違いしたらしい。中尉はどこかしゅん…っとした様子でひたすら恐縮している。 
「ち、違うぞ、中尉。そうじゃない」
 反射的に否定して、そこで私は言葉に詰まった。……真実を話せば、今度は私が中尉から気持ち悪がられるかもしれない。それは避けたい。
 しかし。
 彼女が誤解したまま、悲しい顔をしているのはもっと嫌だった。
「……ただ」
「ただ?」
 気味悪がられようが、嫌われようが仕方あるまい。そんな諦めに似た気持ちで正直に話す。
「……タオルに君のいい匂いが移っていて、動揺しただけだ。これからずっとベッドで抱いて寝ようかな」
 開き直った私は最後は冗談めかして、そんなことを口走った。
 どん引きされるだろうな。
 予感をひしひしと感じながら、彼女を伺う。
「あ……そ、う、ですか…こ、光栄で…す……」
 だがそこには、顔を赤く染めてこちらを見つめ、ごにょごにょと非常にらしくない物言いをする恥ずかしそうな中尉の顔があった。
 ……そこはせめていつもの手厳しい君でいてくれ。ここで照れられたら、どんな顔をしていいか分からない。
「あ、うん……その、また、頼んでいいだろうか……?」
「は、はい……喜んで……」
 まるで十代の少年少女のような会話を私たちは交わす。
 何とも甘ったるい空気の中タオルから香る甘い匂いが、追いうちをかけるように鼻孔をくすぐっていった。



END
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あることにしてしまいましたが、実際アメ国に洗濯機はあるのかなー?


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by netzeth | 2016-09-10 22:15 | Comments(0)