うめ屋


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by netzeth
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恋愛未満恋愛以上

恋愛未満 


開け放たれた窓から冷涼な風が吹き込みカーテンを揺らしている。真夏の猛烈な暑さが去り、すっきりとした爽やかな空気が満ちる秋のはじめ。
 リザが司令官執務室の扉をくぐると、部屋主は己の椅子上でうたた寝をしていた。春とはまた違った心地よさで眠りに誘われる時期である。……あるいは、彼も夏の疲れが溜まっているのかもしれない。
 リザは足音を立てぬよう注意しながら静かに、上官――ロイのそばまで歩み寄った。腕を組み、背もたれに寄りかかるようにして彼は静かな寝息を立てている。
 自分が近寄っても些かも起きる様子がないのを見て取って、リザの口元に自然と笑みが浮かんだ。
 何故か子犬が白い腹をだらしなく晒して眠る姿が想起される。警戒心ゼロで眠る目の前の男がそんな愛犬とダブって見えて仕方がなくて、どうしても頬が緩んでしまった。
 ――戦場に居たときは小さな物音でも跳ね起きたものだが。
 そんな風に語っていた男の隙だらけの姿が、リザの胸に言いようもない不可思議な感情を巻き起こしていた。
 リザは我知らず男の寝顔を観察する。強い意志を宿す黒い切れ長の瞳は閉じられており、鋭さはあどけなさに取って替わられている。引き結ばれている薄い唇が微かに開き、安らかな呼吸音が聞こえた。深い眠りについている様は、まるで幼子のよう。眉間に刻まれた深いシワだけが、彼を何とか年相応に見せている。 
 ふんわりとした風がふく。緩やかな空気の波がロイの黒髪を撫でていく。サラサラとそよぐそれは、見た目よりも柔らかいのだろうか。
 触れたい。
 不意にこみ上げた欲求に疑問を覚えることもなく、リザは無意識に手を伸ばしていた。ごく自然な動作で男の髪に指をかけようとして。
「んー」
 微かに身じろぎをしたロイに驚き、反射的にあとわずか数センチの距離でリザはぴたりと手を止めた。
(今、私は……何をしようとしていた?)
 その瞬間、唐突に理性が蘇ってくる。
(落ち着きなさい。……今のは部下が上官に取るべき態度ではなかった)
 伸ばされた己の手を自らの手で掴み取って止めて、リザは大きく深呼吸した。そうして、改めて周囲を見渡す。
 夕刻間近の柔らかな日差し。優しい温度の風と、眠る彼。ゆったりと流れる時間、穏やかな気候は優しくリザ達を抱きしめてくれて……だから、気の迷いが生じてしまったのだろうか。今となっては、全てが自分を惑わせていたようにしか思えない。
(まさか……私は、場の空気に流されていたというの?)
 愕然としながら、リザは一歩その場から後ずさった。また一歩、一歩と下がっていき、ロイから距離を取る。そうして彼から離れていくにつれて、リザは完全に感情を制御下におくことに成功していた。冷静になって先ほどの出来事を振り返る余裕すら出てくる。
(……私の行動は適切ではなかった。完全に自分を見失っていた……)
 では何がリザをそうさせたのか。まさか本当に雰囲気に飲まれたなら軍人として、情けなさすぎる。
(しっかりしなさい、リザ・ホークアイ)
 己を叱咤しつつ、ぱんっと両手で頬を叩いた。ひりつく痛みで己を律すれば、胸の奥で蟠っていたものが徐々に霧散していく。
(……部下としてとるべき行動があるはずよ)
 くるりと踵を返して移動し、リザは執務室に常備してある毛布を手に取った。眠る時人の体温は低下している。このまま風に当たっていたらば、ロイの身体は冷えてしまうだろう。
(風邪でも引かれたら、仕事にさしつかえるものね)
 これは部下として当然の行為だと己に言い聞かせながら、リザは再び上官の元に近づいて行った。相変わらずぐっすりと熟睡しているロイを横目で見やりつつ、ふんわりとその身体に毛布をかけてやる。それから背後の窓を閉めるため身を翻そうとした時だった。
「ありがとう……リザ……」
 驚きに、リザは喉から心臓が飛び出しそうになった。何とか声を上げるのは耐えたが代わりにマジマジと至近距離で男の顔を見つめてしまった。
 眉間のシワがみるみるうちに溶けていき、ロイが幸せそうに笑っていた。
 その顔を見た瞬間、今度は心臓が鷲掴みにされた気がした。ドッドッドッと鼓動音が体内で反響し、血液が急激に顔に登ってくる。
 これは何。
 締め付けられるような息苦しさに見舞われて、リザは胸を押さえた。その拍子にふらりとよろけ、思わず椅子に手をつく。 
「あ……」
 気がつけば黒い睫毛の長さが測れるほど間近にロイの顔があった。視線が釘付けになる。何故か目が離せない。混乱の極地の中、リザはぼんやりと思った。
(後ほんの数センチ、近づけば唇が触れる……)
 しかし、次の瞬間そんなバカなことを考えた己を恥じた。
 風がひゅうと吹き込む。
 再び冷涼な風が顔に当たり、徐々にリザは自失から立ち直っていった。頬の熱が冷めていくにつれて、心に理不尽とも言える苛立ちが募っていく。己への、何よりただのんきに眠っているロイへの。
 彼はおそらく、昔の夢を見ているだけだ。修行時代、机に向かったまま眠ってしまった彼に毛布をかけてやることはリザの日課だった……そんなありふれた日常の過去の夢を。そう、これはこの事態はたったそれだけのこと。何の意味などありはしない。
(人の気も知らないで……) 
 ロイの寝顔を恨めしげに見やって、リザは唇を噛む。
 たったこれだけのことで、冷静を崩される。感情がかき乱される。彼の副官として失格だ。
 ……一体これは何だろう。
 首を傾げ、己の内に問いかける。確かなのはロイが関係するということ。彼に近づくと顕著だと言うこと。……だがいくら考えても分からなかった。
 よく晴れた初秋の昼下がり、リザはいまだ、答えを知らないでいた。





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 上着を一枚重ねて着るようになってしばらく。そろそろその上着を厚手の物と交換する時期になった頃、街路樹は黄色に色づいていた。舞い落ちる葉が道端に小山を築いている。黄色に埋まるストリートは輝かんばかりに美しく、道行く人々の目を楽しませていた。
「今年も見事に染まったな」
 秋の日は早い。定時に帰ってもとっくに夕刻を通り過ぎ、空は藍色に染まっている。だが、街灯の中に浮かび上がる落葉のストリートは更に幻想的だ。イチョウの葉を一枚つまみ上げながらロイが言うのに、リザは控えめに同意した。
「……そうですね」
 前を歩く男の背中を見つめる。
 少し前から仕事終わりが重なると、一緒に帰ろうと誘われるようになった。護衛もかねてと誘いを受けて、こうして二人で歩くのももう何度目か。特に何かあるわけでもない他愛ない雑談をするだけの時間だが、少しずつそれは増えていって、やがて、リザにとって特別な時間となった。
「綺麗です」
「そうだな」
 季節の移り変わりをこんな風に身を持って感じることなど、今まで無かったように思う。リザにとってこの街で過ごす時間は、常に慌ただしさの中にあった。巡る四季よりも身近なのは、血と鉄と硝煙の匂い。綺麗なものとは無縁の世界で生きてきた。そんなものを顧みる余裕もなかった。
 だが、今はどうだろう。
 ロイと多くの時間を過ごすようになってから、リザは街の変化に敏感になったように思う。彼が話すから、いつ頃何の花が咲くのか詳しくなった。季節のフルーツを使ったケーキが美味しいお店も、季節毎に催されるイベントも、いつのまにか知識が深まってしまった。
 新たな知識の元に見た世界は、より色鮮やかにリザの目に映る。周囲を落ち着いて見回せる余裕が出来たということなのだろう。
 ――そして、自分と彼を見る余裕も。
 ひゅうと風が吹き抜ける。冷たい風は冬の予感を含み、リザのコートの裾をはためかせた。思わずぶるりと身を震わせれば、先を行く男が立ち止まり振り返っていた。
「寒くなったな」
「ええ……はい。早いものです」
「……ああ」
 リザの特に捻りもない受け答えにも、彼は気にしない。ただ屈託無く、その穏やかな低い声で同意してくれる。……それがとても心地よい。
「大佐?」 
 カツンっとブーツのヒールを鳴らして、リザはロイの隣に並んだ。立ち止まったまま動かない彼を不思議に思っていれば。彼は逡巡するように瞳を一瞬だけ伏せ、それから思い切った様子で切り出した。
「……良かったら、だが」
「はい」
「珍しい紅茶の茶葉を手に入れたんだ、うちに寄っていかないか?」
 目を見開いてリザは全身を硬直させた。驚きと混乱が同時にやってきてゆるゆると彼女を襲う。
 心に乱れ舞うのは、過去の記憶の欠片だ。
 コーヒー党の彼の家には紅茶の茶葉も淹れるための道具も置いていないこと。親友以外の人間を上げたことがなく、まして女などもっての他だと語っていたこと。どうせ独り暮らしだからと椅子も、カップでさえ一つしかなく、親友に持参させていること――。
 ごく手短な申し出をスイッチにして、数々のロイの言動がリザの中で再生された。
 他人のために――親友のためでさえも、それらの問題の数々をクリアーしようとは思わなかった彼が。他ならぬリザのために、全てを整えて誘いをかけてきたのだとしたら……?
 嬉しいと思った。胸の奥が熱くなって、身が震えるほどに嬉しい。その感覚はリザにとって好ましく、新鮮だった。
「……どう、だ、ろうか?」
 リザの反応を気にして、言葉が途切れがちになる彼。いつもは自信にあふれた黒い瞳が、今は不安に揺れている。
 断られるのは悲しい。だが、受け入れて貰えたら嬉しい。
 ロイの感情がダイレクトに伝わって来て、リザは胸がぎゅっと締め付けられ息苦しさを感じた。
「……ご迷惑でなけれ、ば…」
 喉の奥に詰まってしまった言葉を吐き出すように、それだけをやっと言った。同時に血液のように身体中を巡る緊張に、リザは身を硬くした。
 誰しも一歩を踏み出す時というのは、臆するものだ。これまでを変え、これからを変える。
 彼との関係が変わって行く――そんな予感に、身が竦む思いがした。
 けれど。リザは引き返す気は無かった。
 その手で触れたいと思う衝動を、彼の心の内に自分がいる喜びを。
 リザはもう知っているから。
 あれから今まで、胸一杯に膨らんだ想いが、もう破裂しそうだ。
「そうか!……その…安心してくれ。何もしない」
 色よい返事を貰い喜色を顔に浮かべたロイだが、リザの硬く緊張した表情を何か誤解したらしい。しかつめらしくそんなことを述べてきて、思わずリザは吹き出しそうになった。
 張りつめていた神経が一気に弛緩し、心が軽くなる。愉快な心地がして、からかい半分に男に問いかけた。
「それは……次もですか?」
「……しない」
 少しだけ間を置いて、ロイが答える。口元を綻ばせながら、リザは畳みかけた。
「次の……次は?」
「………………保証しかねる」
 長い沈黙の後、真面目腐った顔で告げられて。そこには紛れもないロイの本音があった。また心がぎゅっと締め付けられて、リザは頬を染めながら甘く微笑む。
「良かった……私も、次の次は…耐えきれそうにありませんから」
 ――貴方への思いが、もう心からあふれ出しそう。 
「……ったく……君は……!!」
 片手で額を押さえ目元を覆い隠して、ロイが呻く。そんなことをしても耳と頬が赤いのは丸見えだ。
「大佐?」
「……知らんぞ。今夜の保証も出来なくなった。……君のせいだ」 
 にゅっと伸びてきた大きな手のひらが、リザのそれを握りしめる。少しだけ乱暴な歩調で、ロイはリザの手を引き歩き出す。その顔は相変わらず真っ赤だ。プレイボーイなどと世間で揶揄されていても、思いの外純情な男にリザは破顔した。
「……はい」
「返事をするな。……了承とみなすぞ」
 まったく……っとぶちぶち言うロイに導かれて、リザも一歩を踏み出す。この先はもう、後戻りの出来ない道だがかまわなかった。戸惑いも迷いもとっくに振り切っていたから。
 すっかり闇に沈んだストリートを、オレンジ色の街灯の光が照らし出している。落ち葉を踏みしめながら、リザはロイに置いて行かれないように足を早める。晩秋の長い夜が訪れようとしていた。



END

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by netzeth | 2016-09-10 22:15 | Comments(0)