うめ屋


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by netzeth
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夜明けの36.8℃

「ホットビール……」「熱々のグラタン……」「熱々のビーフシチュー……」「シェパーズパイ……」熱湯シャワー……」「ふかふかベッド……」「美女の谷間……」「中尉の谷間……」「美女の膝枕……」「中尉の太もも……」
「あの、セクハラ発言混ぜるのやめてくれません?」
「欲望くらいありのまま吐き出させろ」
「そんなの中尉に直接言って下さいよ」
「言えるか」
「うっわ腰抜けー」
「お前を熱々にしてやろうか……」
「おーこわっ」
 これ見よがしに発火布を手にはめてやるが、ハボックは涼しい顔をしている。しとしと降る冷たい雨が余裕の理由だろう。湿気たマッチに火がつく訳がないと高をくくっているのだ。
 この錬成陣の真価は火を出すだけではないが、とりあえず前髪を焦がす脅しは使えない。忌々しいことこの上なく、代わりに私は奴の頭を後ろからはたいてやった。
「いてっ……もう、自分がヘタレだからって俺に八つ当たりはやめて下さいよー」
「うるさい。上官の檄だ感謝しろ。眠気と空腹を紛らわしてやったんだ」
「こんな状況で進展なし。そんなんじゃ全然紛れないッスよ……」
 ハボックはうんざりした様子で前方を見上げあ~あ、とため息をついた。それには心底同意だったので、それ以上の不敬は追求せず同じく奴の視線を追って顔を上げる。
 イーストシティの高級住宅街にある住居。その一室を東方司令部の兵で包囲している。目の前では部下の一人が拡声器を持って絶賛説得中である。
「あーバカなことは止めて投降しろー! 今ならまだ間に合うー! おかーさんも泣いてるぞー!」
 その特にひねりもない定番の文句を聞きながら、ハボックがぼそりと呟く。
「泣きたいのはこっちだっつーの」
「だな」
 腹の虫が鳴き瞼が今にも落ちてきそうなのを宥めながら、頷く。深夜のスクランブルにこの荒天、しかも長期戦覚悟の立てこもり事件。幸いなことに人質は自力で逃れたが、自暴自棄になった容疑者が銃を振り回している状況だ。周囲一帯の住民の避難は完了し後は急襲部隊を突入させて詰めだったが、うるさいお偉方がセントラルから来ていたせいで許されず、慎重にことを運べと命令を受けた。おまけに指揮官は前線に出るべきだというご立派な持論を振りかざされて、私まで駆り出される始末。現場に出るのは本望であり、それに異論はないが、ハボック以下私の部下達は露骨に迷惑そうな顔をしていた。
 特に、顔には出さなかったが不服そうにしていたのはホークアイ中尉だ。
「いいですか。現場に行ったという事実さえあれば上は納得するんです。調子に乗ってほいほい前に出て行っちゃダメですからね。大人しく後方待機していて下さい、雨の日は無能なんですから」
「分かってるよ……」
 デスクワークの方も締め切りが迫っていて同行出来なかった彼女は、何度も何度も私に念を押してきた。私は子供か。その美しい顔を思い出しながら、ため息を吐く。
「眠いなら車の中で寝てていいですよ、大佐。書類に追われてずっとろくに寝てないんでしょ。進展あったら呼びますから」
 何を勘違いしたのかハボックが珍しく優しい言葉をかけてきたが、私はいいと首を振った。
「そういう訳にはいかん」
「お、責任感ありますね。大佐らしくない。休める時に休んでおかないと」
「……違う。別にこの事件にそれほどの責任など持っていない。ただな、中尉は今も司令部で起きてるんだ。私が寝る訳にはいかんだろう」
「……さいで。さっきのセクハラより効くわ、このノロケ」
「何だって?」
「なんでもないッスよ」
 それっきり我々は沈黙した。
 冬の始めに降る冷たい雨は、容赦なく全身を濡らしていく。徐々に重みを帯びていくコートが疲れを加速させて、意識が朦朧とする。
 ――結局事件が解決を見たのは、夜が明けた時分だった。





 
 徹夜明けの朝日は目に染みる。まして、ここ数日ろくな睡眠を取っていない身体にはきつい。手足は鉛のように重いが、書類の締め切りは待ってはくれない。事件の後始末は部下に任せて急ぎ東方司令部に戻った私は、優雅に仮眠を取っていたお偉方に事件解決の報告をし、そのまま身体を引きずるようにして己の執務室へと直行した。
「お帰りなさいませ、大佐。お疲れさまでした」
 折り目正しい敬礼で私を迎えた中尉はいつも通りに見えた。しかし、目が赤いのを私は見逃さない。予想通り寝ていないのだろう。
「いや、大したことはない。それよりも続きをやるぞ」
「少し仮眠を取られた方が……」
 私を気遣う中尉だが、書類を終わらせないことには彼女が休めない。だったら多少辛くとももう少し踏ん張るしかあるまい。
「いや、いい」 
「ですが、その方が仕事の効率も上がりますよ?」
 いつも手厳しく仕事を急かす彼女だが、今日ばかりはやけに甘い。……どうやら私はよほどひどい顔をしているらしい。身体が疲弊していれば、精神もつられる。疲れた精神と身体に彼女は眩しかった。
 いつもかわいいが、今朝はとくにかわいい気がする。私を心配しているのも、それを表面上は気取られまいとしているのもかわいい。
 少し目が赤いのも……あーうさぎさんみたいだなーちゅーいがうさぎさんだったらかわいいなー長くて白いふかふかの耳があって…ぴょんぴょんぴょん……
「ぴょん…」
「え?」
 まずい、口に出していた。とっくに限界値を越えているせいで、理性フィルターがバカになっている。油断すると脳がお花畑に旅立ち、このまま危うい妄想を垂れ流してしまいそうだ。いや、妄想を垂れ流すくらいならばまだいい。問題は妄想を、普段は堅く堅く心の奥底に閉じこめている欲望を、解放してしまいそうだということだ。まるで壊れた蛇口のように、必死に元栓を閉めてもあふれ出す。
「どうしました?」
 謎の言葉を発した上司を彼女は不思議そうに小首を傾げて見上げている。無垢な紅茶色の瞳に自分が映っているのを確認してしまって、慌てて目を逸らした。
「な、なんでもない! それよりも書類だ。早く片づけて思う存分寝る方がいい」
「そうですか、分かりました。後は大佐に目を通していただくだけになっております」
「ああ、ありがとう」
 ようやく納得したのか中尉が引き下がってくれてホッとした。このまま私の心配をし私しか見ていない彼女を見ていたらば、あの現場で夢見ていたことを無理矢理にでも実行してしまいそうだった。
 すがりついて、癒してくれと。柔らかい胸元に顔を埋め、膝の上で眠りたいと。
 しかし、まだ私は上司としての顔で彼女の前に立っていたい。こんな時間こんな場所で理性の針を振り切る訳にはいかない。
 指し示されたデスク上には、丁寧により分けられた書類の束が見える。彼女が夜を徹して精査してくれたのだろう。他ならぬ私のために。その献身が私に馬鹿な期待を持たせ、誤解を生むのだ。
 勘違いするな、馬鹿者。
 絞りかすのような理性で自分を殴り、意識を仕事へと向けた。余計なことは考えずただひたすら機械のように手を動かし、ペンを握り、サインするんだ。
「あ、お待ち下さい」
「ん?」
 と、足を踏み出しかけた私を中尉が呼び止める。反射的に振り返れば、思ったよりも間近に彼女の顔があった。……何故か少し怒っている。
「なんだ?」
「なんだ? ではありません。もうっ、ちゃんと頭を拭きました?」
 言われるままに髪に手をやれば、黒髪はしっとりと湿っている。戻った時にタオルで適当に拭って……そのままだ。タイミング良く、いや、悪く…か? つーっと毛先から水滴が顔の表面を流れ落ちていく。
「ほら、全然まだ濡れてますよ。それでは風邪を引いてしまいますし、書類も濡らしてしまいます」
「あ、ああ……」
 私にとって髪が濡れていることはたいしたことではなかったので、ついつい優先順位が下になっていたが、中尉にとっては許せないことらしい。確かに書類が濡れるのは困るので私は大人しく彼女に従った。
「分かった。ちゃんと拭いてから……わっぷ」
「ほら、じっとしていて下さい」
 どこから持ってきたのか、いや準備のいい彼女のことだから既に用意していたのか。ほわほわ柔らかいタオルを頭からかぶせられた。まずは顔をそれから髪の毛をわしゃわしゃされる。
 優しい手つきだった。自分でするのとも、昔親友にやられたのとも違う、感触。強いて言うなら遠い記憶の中にある、母のような……。うっとりと酩酊したように意識が持って行かれそうになる。またしても危険なシグナルを感じ取って、慌てて彼女に訴えた。
「いいっ、中尉、いいから! 自分でやる!」
「ダメです。大佐が自分でおやりになってそれなんですから。……もう、本当にこういうところはだらしない……」
「おわっ」
 ぐいっとタオルの上から押さえ込まれて、頭が下がる。低い位置に持ってきてますます中尉はテキパキと髪を拭いている。しかし私はたまったものではなかった。厚い軍服に覆われていて見えはしないが、豊かな胸が目の前にあるのだから。 
 ……コレ、モウココニトビコンデイイダロウカ? 
 夢に見たタニマクラが目と鼻の先にある。理性への挑戦か。試されているのか。
「はい、終わりました」
「あ、うん……」
 そんなことをぐるぐると考え込んでいる間に中尉は作業を終え、ついでに手櫛で私の髪を整えてしまった。頬と額に手のひらが触れる。いつもは低いそれが今は子供のように体温が高い。やは彼女も眠気を我慢しているらしい。突き上げる衝動が私をけしかける。……下手に動くと危険だと本能で感じ私はされるがままになっていた。
「気をつけて下さいね。こんな格好でうろうろしては侮られますよ」
「もう中央の客人にこれで挨拶してきたが」
 幸いしっかり現場の最前線に出ていたと強く印象付けられて、相手方には好印象だったようだ。
「……ではこれからは気をつけて下さい」
 ふうっと小さく息を吐き出して、それから中尉はふっと微笑む。ああ、そんな顔をしないでくれ。思わず伸びそうになる手をぎゅっと握り込んで耐えた。代わりに軽口を叩くことで、この行き場の無い激情を受け流そうとする。
「だがね、水も滴るいい男だったろう?」
 これで呆れた彼女の鋭い舌鋒に心折れて、それでいつも通りに戻れるはずだった。……のに。
「ええ、はい。そうですね……黒髪が艶々していて…」
 素直にこくんと頷かれてしまった。
 ……どうやら、寝不足で理性の箍が弛んでいたのは私だけではなかったらしい。
「君……ほっっっっっっとに、むり……」
 これまで必死に頑張ってきた私の理性をどうしてくれるんだ。こんなギリギリの状態で素直になるなんて、どういう嫌がらせだね!?
「……え、大佐? どうされましたか、大佐? ご気分が悪いのですか? でしたらやっぱり先に仮眠室の方へ……それともお腹が空いて? 大佐、大佐?」
 わっと顔を覆ってしゃがみ込んだ私の頭頂部に、珍しく焦った中尉の声が絶え間なく降ってくる。
 食べたいのは君だ。
 万全の体調と体勢になったら覚えていろよ、と今度こそ私は心に誓うのだった。


 

END
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by netzeth | 2016-12-11 13:36 | Comments(0)