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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

新刊サンプル~365daysの万有引力~

はちみつトラップ より

  
 
 たった一日中尉の顔を見られないだけでも我慢ならないというのに、一週間の出張は思った以上の虚無感を私に与えてくれた。寂しさのあまりうっかり仕事に専念してしまい、大佐が壊れた! と部下たちに騒がれる始末。上司に対する敬意の欠片も感じられない態度だが、怒る気力もなく、軍部に預けられていた黒犬と一緒にしょんぼり肩を落としていた。
 そんな私が復活したのは彼女の帰ってくる当日だ。仕事を問答無用で終わらせ、先に上がる後を頼むハヤテ号も頼む…などと言い置いて軍部を出た私の背を部下たちは訳知り顔で見送ってくれた。
 が、ホームに列車を何本迎えても、彼女は現れなかった。
 それほど遅い汽車ではないと聞いていたが、乗車報告が来る前に出てきたのは早計だったか、と後悔する。司令部に電話して連絡があったか確認しようかとも思ったが、残された汽車はセントラル発最終便のみ。これに乗っていないことはなかろうと、もう少し待つことにした。
 深夜に近づく駅は人影はまばらだった。まして真冬で極寒の底となれば馬鹿正直にホームに待機している者などいるはずもなく、さっきから駅員に哀れみの視線を送られて針のむしろだった。
 違うんだ。私は別に約束をすっぽかされた寂しい男じゃない。帰る宛のない者を待つ悲しい男でもないぞ。
 吐き出す息は真っ白で、かじかむ指でコートの前を合わせる。ぶるぶると震えながら、やはりハヤテを連れて来なくて良かった子犬にはキツかろうなどと考え、寒さから意識を逸らそうとした。いや、待て。連れて来た方がむしろ良かったか。一緒に抱きついていれば暖がとれたかも。
 なんて、あまりの寒さにしょうもない思考の路地に迷い込んでいたその時だった。列車到着を告げるアナウンスが流れ、轟音と共に汽車がホームに滑り込む。
 ようやくの到着にほっと息を吐き出した。彼女の顔を想像すると、冷えた身体が心なしかぽかぽかと暖かくなる。行くと予告していないから、きっと驚くだろう。
「……来ないな」
 しかし、次々と列車から出てくる乗客達を見送っても彼女の姿は現れなかった。期待にはちきれんばかりになっていた心をそんなはずはないと奮い立たせつつ、私はひたすら待った。そうしてとうとう人が途切れてもう降車は無いと思われたとき、見間違えるはずもない金色を視界に捉えた。手を上げて駆け寄り、中尉、と呼びかけようとして。
「会いたかった!」
 抱きつかれて思考が停止した。
 なんだなんだ、何が起こった。実感としては時間が停止していた。私はらしくもなく全身をカチンコチンに固まらせ、彼女の抱擁を受けていた。
 いい香りがした。司令部での立ち位置ではありえない距離感は、私からインテリジェンスを瞬く間に奪っていく。
「ちゅ、ちゅ、え、ちょっ…」
 カタコトになった私の中で、彼女との関係ダイジェスト解説が早送りでお送りされる。
 師匠の娘さんと弟子で、幼なじみで、淡い初恋の味で、苦い罪の共有者で、上司部下で、それなりにいい関係で、男女の仲も進展中で、でも、一線はまだ越えてないぞ!?
 同時にこれまでのかわいい中尉マスタング百選! な映像が脳裏を駆けめぐり、あ、これ、走馬灯? 私、死ぬのか? なんて弱気が顔を出す。いやいやいやいや、元気だぞ!? しっかりしろ、ロイ・マスタング!
「ちゅ……その、なんだ、熱烈だね……」
「会いたかったんです……」
 本当にどうした。隕石でも降って来るのか、地球滅亡か。ではやっぱりこれは走馬灯……。
「いや、違うから!」
「……大佐?」
 大声で死亡フラグを否定して、私は我に返った。ともかく、だ。こんな場所で抱きつかれて動揺したが、これはあれだ。そういうあれじゃない。中尉的には、きっとあれだ。フットボールでゴールを決めたときの喜びのパフォーマンス的な、あれだ。あああああ、もう語彙力が行方不明だ。
「と、とにかくっ、ここ、は寒い。車で来ているから、行こうじゃないか」 
「はい」
 中尉の手から荷物を奪い、ついでにさりげなく身体を離そうとしつつ……なのに、彼女は私の腕をさも当然という顔で取り、あまつさえぐいぐい胸を押しつけてくる。柔らかな感触を余すことなく味わおうと全神経が左腕に集中した。
「さ、寒かったろう……」
「いいえ、ずっと汽車の中でしたから。大佐の方こそお寒かったでしょう」
「うん? いや、なに、平気さ」
「そうですか? こんなに冷えて……」
「ふえ!?」
 さわさわと手の甲を撫でさすられて、奇声が出た。ぞわりと肌が粟立って変なスイッチが入りそうになった。確認のための事務的な接触ではない。明らかに性的な意図を持っての触り方に、動揺が雪だるま式に膨れ上がっていく。私は手袋をしていなかったことを後悔した。
「私を待っていてくれたんですね、申し訳ありません……」
「い、いや……はははっ、大したことじゃない」
 本当にどうした、リザ・ホークアイ。何か悪い物でも食べたのか? 迎えに来るくらいなら一枚でも多く書類処理しろ、寒い中風邪でも引いて仕事に差し支えたらどうする、仕事に害悪な誠意なんていらないです。とか出かける前に言っていた、鬼副官はどこに行った!? 
 しおらしいどころか妖艶な雰囲気で戻ってきた彼女に偽物なんじゃ……なんて、とうとう馬鹿な疑いを持つ。
 横目で見れば、出張前と服装や髪型化粧まで変わっているように思えた。いつもきちっとまとめてある髪は下ろされてサラサラしてるし、仕事で着る平服はいつもパンツ姿なのにふんわりスカート履いてるし、けしからんことに網タイツだし、お肌なんてぴかぴかしてるし、唇はつやつやだし。やっぱり……偽物なんじゃ?
「お詫びに……どうぞ、私で暖まって下さいね?」
……!? 彼女は今何を言った。待て、誤解するなロイ・マスタング。あれだ、ハヤテ号みたいなものだ。私がさっきハヤテが居ればなあ……って思ったのと同じ種類のものだ。ふ、深い意味なんてある訳ないじゃないか。
 しかし。言葉通りの意味だと言わんばかりに胸は腕にすり付けられ、肩にことんっと小さな頭が乗っかってくる。急展開に私はひたすら隕石か良くてもカエルくらい降ってくるんじゃないか、大丈夫か、と天変地異の心配をしていた。
 だから駅を出て駐車スペースにまで来て愛車が見えて、心底ホッとした。このまま一度軍に戻って、ハヤテ号を連れて来れば彼女も元に戻るだろう。万が一偽物ならきっと愛犬が吠えるに違いない……なんて、甘い考えだと分かったのはわずか五秒後。
 車の鍵を開けてトランクに手荷物を放り込み、レディファーストで彼女を中に導こうとした瞬間、くんっと腕を引かれた。油断していた私の身体は、いとも簡単に腕を引いた犯人――彼女の思い通りになる。
視界が回って気が付けば、車内の天井を仰ぎ見ていた。ドアが開いたままなので、車内ランプが灯っている。ぱたんっとドアが閉じた音がして、明かりが消える。代わりに私の視界に現れたのは、滑らかな白い肌とつやつやリップの女の顔。
「……中尉」
 ごきゅんっと喉が鳴った。
 細められた紅茶色の可愛らしい瞳が、色香に染まって私を見下ろしていた。暗い車内にあっても、それはまるで悪戯猫のようにぴかぴか光っている。
「上司の車で上司を押し倒すとは、一体何事かね?」
「……お分かりに…なりませんか?」
 なりませんとも。
 もしも私がもう少し奔放な男なら、この積極性を喜び据え膳食わぬはなんとやらで、享楽に浸ってしまったかもしれない。だが、私は世間で見られているほどいい加減な遊び人ではなく、本質は真面目な男なんだ。遊びと割り切った相手ならともかく、惚れ抜いている女相手に、いくらその相手から誘われたり押し倒されたとしても、簡単に堕ちると思うなよ! いくら柔らかそうな胸が誘うように揺れていても、乗っかってる豊満な腰が危うい場所に当たってようとも! 負けない!
「私と……したく、ありません?」
 小首を傾げ、窄められたつやつやの唇から、ふうっと熱い吐息が落ちる。いつの間にか外されたブラウスの前ボタン、谷間がちらりと覗いていた。
 ……嘘です、本当はめっちゃしたいです。リザちゃんかわいいです……。
 すこんっと、煩悩が放った吹き矢にやられそうになっている理性がんばれ! 相手の手際は有能過ぎるアサシンだが、まだ抵抗出来るはずだ!
「んんん……いったん、落ち着こう、ちゅうい」
 落ち着こう、私。と私ジュニア。乗っかっているのは胸じゃない、マシュマロ的な何か、だ。製菓だ。
「どうしてです?」
「やはりこういうことは……もっと然るべき手順を踏んでから……っ」
「すっ飛ばしたって、いいでしょう?」
「すっ……」
 なんてこと言うんだ。手順、大事。
 だが、主に下半身に集まりつつある血液が、いいだろう一緒にすっ飛ばそうぜ! とか親指立てて爽やかにけしかけてくる。走り屋か。いや、勃ちそうなのは別の物だが。
「だ、ダメだ……」
「どうしてです? 私のことお嫌いで?」
「そんなことは……っ」
 ある訳ない。君への想いの年季の入りようには自信がある。だが、否定してしまうと行為を肯定することに他なら無いため、どうにも出来ず、首は縦にも横にも振られない。嘘でも方便でも君には女としての興味はないただの部下としてしか見ていない、とでも言えれば良かったが、そんな言葉が簡単に出るようなら長年想いをこじらせていたりしない。
 君への想いをみくびるなよ。
「なら……良いですよね?」
 耳元で囁かれた声に連動するように、綺麗に整えられた爪が繊細に動いた。私の頬をくすぐって、そのまま手のひらで包み込まれる。垂れ下がった金色が視界をかすめ、頬に触れた。
 ゼロ距離になる……覚悟を決めて目を閉じようとした……



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by netzeth | 2017-06-25 18:50