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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

ミッションインポッシブル?後編

現在AM10時少し前。
仕事へと向かう勤め人達が行き交う朝の慌ただしい時刻が過ぎ、昼前の一種のんびりとした空気が満ちるイーストシティ。通りでは店主らしき初老の男性が、そろそろ店を開けようかと下ろされていた格子のシャッターに手をかけた頃。
男性は道行く見事な金髪の女性に一瞬目を奪われた。きびきびと姿勢良く歩くその姿、抜群のプロポーション、そして可愛らしさと美しさが完璧に融合した顔立ち。思わず自分が後二十歳若かったら声をかけていたな、なんて考えた男性は少し名残惜しい気分でその女性が己の横を通り過ぎていくのを見送った。そして、改めてシャッターを持ち上げるが。しかし、その時再びその横を音も無くすり抜けて行った影があったのには気がつかなかった。それほどにその影――男は気配というものを消していたのである。黒髪に黒のスーツといういでたちのその男は足音も立てずに、けれども、ごく自然な動作で歩いていた。
尾行をする時のポイントは己を消すことだ。個を消し、一人の通行人になりきる……そして究極、街の風景に溶け込む事だ――。そう書いてあったのはどこのスパイ小説だったか……男――ロイはそんな事を考える。自分がスパイに向いていると思った事はないが、ここまでの間、彼女に気づかれずに尾行できているのであるから、案外天職かもしれない。
そう、今現在、ロイはリザ・ホークアイの尾行していた。それも彼女が東方司令部を出てからここまでずっとだ。正直リザにたいしてすまないことをしているという罪悪感はあったが、今はそれより今日のリザの予定を知りたいという気持ちの方が勝っていた。
ハボックから聞く限り、今日のリザは明らかに何か特別な予定がある様子だった。ロイに覚えが無い以上それは自分以外の人間との約束なのだろう。相手が女性ならば構わない。けれどもロイの第六感はそれを否定していた――普段己の感情を表に出さないリザがうっかり同僚に悟られてしまうほどの様子を見せたーーその相手はどうしても男だという気がしてしまうのだ。
……どうしてもその真偽を確かめたかった。


リザは一度自宅へ戻ると、しばらくしてすぐに出てきた。足下には小さな子犬を伴っている。お留守番をしていたハヤテ号を連れに来たらしい。その様子を気づかれない程度の距離から見守りながら、ロイは首を捻る。ハヤテ号を連れて来たということはこれから誰かに会う……という可能性は薄い気がする。やはり自分の考え過ぎだろうか。
そうこうするうちにリザは子犬と共に歩き出す。その後をロイは慌てて追った。
リザがやって来たのは中央市場横のマーケットだった。リザが先週ひげ剃りを買っていたという例の店だ。リザが買い出しをするとしたら、いつもなら自宅に近い雑貨店を利用するはずだ。その雑貨店に比べてこのマーケットは中央市場のすぐ近くということもあって商品の種類も豊富で、少々高級な物、値が張る外国産の物など多種多様な食材も置いている。ここに来るという事は何か特別な買い物があるという事だ。
リザはマーケットの入り口の適当な柱にハヤテ号のリードを繋ぐと、待ての指示を与えてからマーケットに入っていった。
ロイもその後を追うが、
「キャンっ」
「あ、こら!」
入り口でロイに気づき嬉しそうに尻尾を振ってジャレついてきたハヤテ号に止められてしまう。
彼は待ても忘れて上半身を持ち上げ、ロイに飛びつく。
居るはずも無い場所で知っている人間に会えたのが嬉しいのだろうか。ハヤテ号の熱烈な歓迎ぶりは喜ばしいものの、今はそれどころではないと子犬を大人しくさせようとした時。
「こら! 今はおまえの相手をしている暇はないんだ」
「あら~ハヤテちゃん元気?」
そう声をかけてきたのは通りがかった同じく犬を連れた老婦人だった。その婦人が連れた犬がハヤテ号にジャレついた事でようやくロイはハヤテ号から解放された。
婦人は今の今までハヤテ号と戯れていた(様に見えた)男に興味津々と言った様子で視線を移す。
「あら……貴方。ずいぶんとハヤテちゃんに懐かれているのねえ」
「え、ええ。ちょっと……」
「もしかして、リザさんのお知り合い?」
「え? あ、はい。そんなところです」
この年齢の女性特有の押しの強さにロイは少々ひきつりながらも返事をする。そんなロイの様子をどう誤解したのか女性はとたんに目を輝かせた。
「まあ~もしかして……貴方リザさんの良い人?」
「い、いや……その……」
「照れなくても良いのよ。うふふ、ハヤテちゃんがこんなに懐いているんですもの。そうでしょ?」
それからは、戸惑う様子のロイにも構わずマシンガントークである。適当に相づちを打ちながら受け流すが、話すのに夢中の婦人は一向に解放してくれそうもない。立て板に水……の様なそのおしゃべりの中、ロイはどうやらこの婦人はリザの犬の散歩仲間らしいという事を理解した。
「そうよねーリザさんはそんな人いない~なんて言っていたけど、あんなに綺麗な子に恋人がいない訳ないものねえ……」
「は、ははは……」
「リザさん、私の甥っ子にどうかしら~と思っていたのよ。でもこんなに素敵な恋人がいるなら必要ないわね~」
「え、ええ。もちろん」
「あら、いけない。主人が呼んでるわ。じゃあ、私はこれで。リザさんによろしくね」
ほらいくわよ、と婦人はハヤテ号とじゃれていた毛並みの良い小型犬を連れてその場を去っていった。ようやく解放されたロイは、慌ててその辺りの適当な場所に身を隠す。間一髪のタイミングでリザがマーケットから出てきたのはその時だった。
(危なかった……)
リザはいまだに興奮しているハヤテ号を見て少し首を捻っていた様だったが、その後、彼を連れて何事も無くマーケットを後にする。まさかほんの少し前までそこにロイが居たとは思いもしないだろう。
リザが何を買ったのか非常に気になるところだったが、遠目でリザの手荷物をみる限り、たっぷりと食材を買い込んでいるようだった。
(……自分用にしては多い…か?)
リザも軍人である以上忙しい毎日を送っている。余裕のある時に買いだめしておこうという気持ちは判る。だが…てんそれにしては多すぎやしないか?
結論を出すのはまだ早い。
そうロイは己に言い聞かせると、再びリザの後を追った。


リザが次に足を運んだのは中央市場だった。
ここにはありとあらゆる分野の専門店が軒を連ねている。平日の昼前とはいえ、イーストシティで一番の繁華街であるこの場所は行き交う人でごった返していた。
リザを見失わない様に、けれど近づき過ぎずに。ロイはひたすらリザの尾行を続ける。やっている事は既に犯罪、ただのストーカーである。しかし、恋人を尾行しているのだからして、断じてストーカーではない! というのがロイの持論であり、ただ愛のためにという大義名分の元にロイは己の罪悪感を誤魔化していた。
ふと、ロイは足を止めた。
リザがとある店に立ち寄ったからである。
そこはワインの専門店だった。
ロイはリザに続いて店の中に入り、リザが何を買うのか今度こそチェックする。
広い店内でリザの後ろからこっそりと彼女を伺う。彼女は赤ワインの棚で二つの銘柄のワインをそれぞれ片手に持つと、どちらにするのか悩んでいるようだった。しばらくしてからリザは迷いを振り切るように片方のワインを棚に戻すと、もう片方のワインを持って会計へと向かった。
リザに気づかれないように細心の注意を払いながらも、ロイはリザが手に取っていたワインを見てみる。
グランノール産の赤……しかも70年代もの。それはずいぶんと値が張る高級なものだった。
節約家の彼女が買うにしては高い買いもの過ぎる。そもそも彼女は一人でワインを嗜むほど酒が好きではないはずだ――。ロイの脳裏にはいやな想像ばかりが浮かぶ。それを払拭するように首をふるとリザより先にと、足早に店を出た。
そして、リザが買い物の最後に向かったのは同じく中央市場にある花屋だった。この頃になるとロイの足取りもだいぶ鈍くなってきた。
――いっそ何も知らないままの方が良かったのではないか。
リザを尾行した事をロイは後悔し始めていた。一人分にしては多い食材の買い物。あまり酒を嗜まないリザが高級ワインを購入――次々と疑惑を招くリザの行動を目の当たりにして、ロイの想像はどんどんと悪い方向へ転がっていたのだ。
そして、極めつけは花屋で繰り広げられたやりとりだった。
「すいません、贈り物用の花が欲しいんですが」
「あ、はい。それでしたらこちらなんかいかがですか?」
「できれば赤い花が良いんです」
「そうですか。贈られるお相手は女性ですか?」
「いえ、男性です」
「ああ、でしたらこちらの花はどうでしょう? 男性に贈っても喜ばれると思いますよ、花言葉も素敵で……」
「……まあ。ではその花をお願いします」
そして、花屋の店員が花を包んでいるのを待っているリザの表情を目の当たりにした瞬間、ロイは踵を返していた。
――もういい。
今からリザは男に会いに行くのだ。それも、あんなに嬉しそうな顔をして贈り物を選ぶ男に。恋人であるロイでさえ、リザのあんな顔はいまだかつて見た事はなかった。そう、それが全ての答えだ。
リザの裏切りに対する悲しみも、相手の男への怒りもロイの中で急速に萎んでいった。
――自分でさえ見たことないリザの顔。リザにあんな顔をさせられる男に自分は勝てない。
どうしようもない空虚さを胸に抱えてロイは静かにその場を後にした。


「あっ、大佐! 戻ってきたんスか!? 良かった~書類こんなにたまっちまって俺どうしようかと……大佐? ちょっと聞いてます?」
ロイの姿を認めて、安心したような声をあげるハボックの事など視界に入ってもいない様子でロイはぼんやりと己のデスクに座っていた。
おとなしく司令部に戻ってきたのは良いものの、仕事なんて手につくはずもなく。朝からたまりっぱなしだった書類は更にたまっていく一方であった。
自分にとってリザの存在はこんなにも大きいものだったのだ――と改めて自覚する。
仕事上のパートナーというだけではない。リザは自分にとってかけがえのない大切な女性なのだ……。だから、恋人同士になれた時、ロイはとても嬉しかった。ずっと大切にしようとも思っていた。それまでしていた女遊びもすっぱりやめて、リザ一筋できたというのに。まさか、リザの方が別の男性に心を移してしまうとは……。
その先を考えたくなくて、ロイは立ち上がった。
「あ、大佐、どこ行くんすか。え? 帰る? ちょ…あんた今日全然仕事してないじゃないっすか!」
もはや、がなりたてるハボックの存在など今のロイにとってはどうでも良い事であった。


適当な店を何軒かはしごして、時刻はPM10時。ロイはようやく自宅へと辿りついた。すでにベロベロに酔っぱらっていて足下がおぼつかない。いつもはこれほどまでに酔いつぶれるほど酒を飲んだりしないロイであったが、今日は少々自暴自棄になり、箍が外れてしまったのだ。
――恋人にふられてしまった男が酒を飲んで何が悪い!
そんなよく分からない理論でロイは深酒を己に許したのである。とにかく一時でも良いから胸の中にしこっているこの嫌な想いを忘れたかったのだ。
だから、誰もいないはずの己の部屋の窓から明かりが漏れている事にもロイは気がつかなかった。
部屋の前まで来て、ドアノブをひねったところでようやくロイは自宅にどうやら先客がいるらしい事に気づいた。いくら酔っていようともそこは軍人である。一気に頭が冷えたロイは懐を探ってショルダータイプのガンホルダーから愛用の銃を取り出した。発火布も携帯はしているが、まさか自分の部屋を燃やす訳にもいかない。錬金術が使えないのは痛いが、銃もリザほどではないがそれなりに使えるロイである。油断なく銃を構えるとロイは扉を開き――そして、
「キャン!」
甲高い鳴き声と共に飛び出してきた小さな黒い毛玉に飛びかかられた。
「うぉ!」
その黒い毛玉は遠慮なくロイにまとわりついてくる。ただでさえ酔っていてフラついていたロイは、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
「ハヤテ号?」
その小さな身体を精一杯伸ばして、ロイの頬を舐めてくるのは間違いなく、ブラックハヤテ号で。
「……もう、何してらっしゃるんです?」
呆れたような声が降ってきて、思わず見上げたその先には――己の恋人、リザ・ホークアイが腰に手を当てて立っていた。
「ち、中尉……ど、どうしてうちにいるんだ?」
「……居てはいけませでしたか? 合い鍵を下さったのはいつでも来てかまわないという意味だと思っていたのですが…」
「いや! もちろん大歓迎だ! そうではなく……」
君は今日は何か用があったのではないのかね?
まさか、尾行してましたとはいえず、ロイはぼかして聞いてみる。
「用?……今日は大佐の部屋に伺う事以外は特に何も…」
「私の……部屋……? どうして……」
そこで、リザは顔を少し赤らめた。
「……昇進祝い…まだできていませんでしたよね? それで、貴方を驚かせようと思って……」
ロイはリザに導かれるまま玄関からリビングへと移動する。リビングのテーブルの上にはロイの好物ばかりが盛りつけられた皿と伏せられたワイングラスが乗っており、その脇には見覚えのあるラベルのワインが置かれ、そしてリザが買っていた赤い花が花瓶に飾られていた。
その光景をロイはポカンと眺めた。
グルグルと今日一日の出来事が頭を回っている。
――つまり……そういう事だったのか?
「それにしても遅かったですね、軍部で何かありましたか?」
「いや……その…今日は少し飲んで来たんだ」
「そういえばお酒臭いですね、お約束していなかった私が悪いんですが、それでは……ワインはやめた方がいいですね」
「い、いや! 頂くよ。せっかく高いワインを買ってきてくれたんだからな」
「あら? 大佐、ワインに詳しかったんですね」
「ま、まあね」
まさか買っているのを見ていたとは言えずにロイは笑って言葉を濁した。
「それより…せっかく君が私のためにごちそうを作ってくれたんだ。早く食べたい」
「……はい。すぐにスープを暖めますから」
「じゃあ、私はワインを開けておくよ」
柔らかく微笑んだリザはキッチンへと向かう。その後ろ姿を見送って、ロイの口元にも自然と笑みがこぼれた。
彼女の今日一日の行動は全て己のためになされた事だったのだ……。己の空回り具合がおかしくもあり、そして、それ以上にリザの気持ちが嬉しかった。自分を喜ばせようとこんなサプライズを用意するなんて、およそ普段のリザには似つかわしくない行動だ。それだけ彼女が自分を、上司としてだけではなく恋人として想っていてくれている――という事なのだろう。
やがてリザが暖められたコンソメスープを皿に注ぎ、ロイは開けたワインをグラスに注いだ。そして二人、向かい合って席につく。足下にはブラックハヤテ号が二人に習ってちんまりと座っている。その様子がおかしくてどちらともなく目を合わせて微笑みあった。
そして。
今日は全体的に見れば散々な一日だったが、終わりよければ全て良し、とロイは結論づけると、微笑むリザとグラスを合わせて少々遅いディナーを楽しむ事にしたのだった


ちなみに。
翌朝、出勤したリザに溜まっていた未処理の書類の件でこっぴどく叱られ、なおかつデートはしばらくおあずけにされた事はまったくのロイの自業自得であり、終わり良ければ全て良し――とはいかなかった事を付け加えておく。




END
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by netzeth | 2011-10-18 23:06