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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

Spring has come

午後の陽射しがようやく暖かな色を微かに帯始めたこの時期。移り変わる季節の狭間で、街ゆく人々は誰もが重たい暗色のコート脱ぎ捨て軽やかなパステルカラーのそれへとまるでさなぎが蝶に羽化する様に衣替えをしていた。
未だに冬物を羽織り、これまた冬用の底の厚いブーツで石畳をコツコツ鳴らして歩く己の姿をショーウィンドウに映して、リザはそろそろ春物をクローゼットの奥から引っ張り出さなければと思案する。忙しさにかまけてこういう事はいつも後回しになってしまう。まあリザが外を出歩くのは大抵は登庁と退勤の時刻であり、そしてほとんどの場合それは早朝と日が暮れてからと相場が決っているのだが。日中は暖かくとも朝晩の冷え込みはまだまだ厳しいのだ。
――まだしばらくはこの厚手のコートを手放せそうにないわね。
そう結論付けてちゃっかり面倒事を後回しにする事にしたリザは、再び前を向き歩きだそうとして、
「……何か気になる物でもあったのか?」
数歩先で己を振り返る男と目が合った。
「いいえ、何も」
立ち止まっていたのはほんのひと時の事であるのに、それだけの一瞬で後を歩くリザの機微に気が付いた男の細やかさに内心舌を巻く。やはり女性からやたらと人気があるのはこういった細かいところにまで目が届くマメさ故だろうか。出来れば女性相手だけではなく、お仕事――山と積まれた決裁書類に対してもそのマメさを発揮して貰いたいものである。
「何だ。てっきりそのディスプレイが気になっているのかと思ったのだかね」
いつの間にかリザのすぐ隣にまで近付いて来ていたロイがひょいとショーウィンドウを覗き込んでいた。
彼につられてリザも視線を移す。ウィンドウに映る己の姿に気をとられていたリザはそこに何が飾られているのかなんて気にもしていなかったのだが。
「着てみたい……なんておねだりはしてくれないのか?」
「な……!」
目に飛び込んできた純白のドレスと揃いのマリアヴェールにリザは思わず絶句した。
慌てて店の看板を確認すれば、ブライダル洋品店という文字。
ロイの言葉の意味を瞬時に理解してしまったリザは、顔に熱が集まってくるのを感じた。
「違っ…ドレスを見ていた訳ではっ……私はただっ!」
ちょっと姿見代わりに使っただけだ――なんて言い訳すればするほど、ロイはニヤニヤ笑いを深めていく。何を言っても無駄だ……早々に理解したリザは相手にする事を止めて、
「……行くわよ。ハヤテ号」
「キャン!」
足元で良い子にご主人を待っていた子犬を促してさっさと歩き出した。今日はせっかくの非番なのだ。久しぶりの愛犬とのスキンシップをさっき偶然会っただけの男に水をさされてはかなわない。
「ま、待ちたまえっ」
焦ったロイが後ろから追いかけてくるがリザは構わずに子犬のリードを手繰った。リザのキッチリ斜め前を踊る様に歩く子犬は嬉しそうに主人の顔を仰ぎ見る。まるでねえねえ、ちゃんとついて来てる? とはしゃぐ子供の様でリザの口元は自然と弛んだ。
「こら、リザ!」
愛犬と二人の世界に浸っているリザが気に入らないのか、相手にされないのが寂しいのか、ロイが滅多に口にしないファーストネームで呼び掛けてくる。
ピタリと足を止めると不満顔を隠そうともせずに、リザはロイを睨み付けた。
「……こんな時間にこんな場所で名前を呼ぶのは止めて頂きますか。大佐」
最後の階級呼びを嫌味をこめて強調してやる。しかし、流石に勝手に散歩に付いてくるだけの図々しさを持つロイはそんな嫌味ではへこたれなかった。
「……なら、いつ、何処でなら呼んでも良いんだ?」
「……」
すかさずこう返してくるのだから、もうリザは呆れるしか無い。
さて、どうすればこの小憎らしい男に一泡ふかせてやれるだろうか。しばし思案すると、リザはニッコリと満面の笑顔でこう告げた。
「そうですね……今夜、ベッドの中で……というのはいかがですか?」
「へ!?」
「独り寝にはまだまだ寒い季節ですし。貴方が私を温めて下さる……というのはどうでしょう?」
「へ、や、だって、いや、そんな、君……いいの?」
狼狽えるロイの間抜けな顔は見物だった。赤くなった顔は一体幾つかと問いたいくらいの純情さで。リザは思わずプッと吹き出した。
「何を今更……今日はそのつもりで付いて来たんじゃないんですか?」
もう、既に幾夜も褥を共にした仲というのに。
笑いながらも男の下心を指摘してやれば、ロイは憮然とした顔をする。
「そういう事は女から言うもんじゃないだろうが」
女性は恥じらいを持ってだな……なんて途端に年上風を吹かせて説教を始めようとするから。リザは更に笑みを深める。意外に押しに弱いとは案外と可愛い面を持っているものだ。
「あら? お気に召さないようでしたら別に結構ですけど?」
「ばっ、違うっ! 気に入らない訳ないだろう!? そうじゃ無くてだな!」
いつまでもぐちぐち言うロイを見やって、リザはクスクス笑う。そして、さて家に帰る前にもう一人分の食材を買って帰らなければなるまい……なんて考えながら、リザは明るい早春の陽射しの中を再び彼と愛犬共に歩き出したのだった。



END
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by netzeth | 2012-02-21 02:49