うめ屋
ジューンブライド・ラプソディ (2)
ロイが執務室に戻ると、書類の確認をしていたらしい副官が彼の姿を認めてすぐに席から立ち上がった。
「中佐?」
一度呼び出しがかかると小一時間どころか二時間でも三時間でも行ったきり帰って来ない事がままある上官が珍しく三十分もしないうちにグラマンの元から帰ってきたのを見て、あからさまに驚いた顔をしている副官にロイは苦笑をして見せた。
「なんだね、その死んだ人間でも見たみたいな目は」
「……縁起でもない事言わないで下さい。少し驚いただけです」
まだ幼さが残る頬のふっくらした線が非常に柔らかそうでつついてやりたくなる衝動にかられる、我が副官――リザ・ホークアイ少尉は、ロイの言葉に非常に嫌そうな顔をした。冗談でも死ぬなんていう表現は容認し難いらしい。「死ぬなんて言っちゃ嫌」――そんな事を可愛い女の子から言われれば普通の男なら勘違いしてしまいそうであるが、リザに限っては百パーセントただの部下としての忠義だと確信出来て、ロイの胸は切なく痛む。先ほどグラマンから言われた件を思い出せばなおさらだった。
自分とリザに見合い話。
二人とも適齢期であるのだからこのような話が降って湧いてもそれほどおかしい事ではないのかもしれない。それでも今までは、軍務を優先する、結婚どころではない――というロイ達の意向を鑑みて、グラマンは一切ロイ達の耳にはこの手の話を入れては来なかった。
今更になって、何故……と不審に思うと共に、もしかしたら本当にグラマンはただジューン・ブライドを成立させたいだけなのかもしれない、とも考えられて、改めてあの愉快犯な老人に対して頭が痛くなる思いだった。
そしておそらく自分の推測は当たっているのだろう、とロイは思う。
可愛い可愛い孫娘とその夫にと望む可愛がっている部下、その二人を結婚させたくて仕方がなかった老人は、当人達にその兆しがまったくないのにとうとう業を煮やして、もう相手は誰でもいいと今回の見合い話を持ち込んだのかもしれない。
しかし、グラマンには悪いが今後リザと自分がどうにかなることはないだろう。
ロイがリザを嫌いな訳では決してない。いや、むしろ好き……愛しているといっていいだろう。その想いは彼女とで出会った頃からずっと……リザが少女の頃から、今に至るまで変わる事なくロイの中に息づいている。
そして、その想いをロイが今まで彼女に打ち明ける機会がなかったかというと、実はそうではないのだ。なにせ、好きだと打ち明けるどころか、ロイはリザに結婚して欲しいと求婚まで行っているのだから――。
あれは、そう、リザの父――ロイの師匠が亡くなり、ロイがリザから焔の秘伝を受け継いだしばらく後の事だ。
焔の秘伝を応用して自らの焔の錬金術をようやく完成させたロイは、その年の国家錬金術資格試験を受験する事が決まっていた。
そしてロイは、その事を師匠の墓前に報告すると共にリザの様子見を兼ねてホークアイ邸を訪れた。軍務をこなす傍ら、錬金術の研究も行っていたのでなかなか彼女に会いにいけなかった事をロイはずっと気にしていたのだ。だから、元気そうなリザの顔を見た時、ロイは心底ホッとし、そして同時にその時、強く思ったのだ。彼女をいつも自分の近くに置いておきたい――と。今の自分では力不足かもしれないが、国家資格をとれば階級も上がり、彼女を養えるくらいの経済力も身に付く。その頃のロイは若くて、一緒に住むイコール結婚する――という直結した思考回路の持ち主だった。むろん、ロイはリザが好きだったし、それならばなんの問題もない、と若さ故の大胆さでロイはリザにプロポーズをしたのだ。
あの時のリザの顔は今でも忘れられない。
大きな瞳をさらに大きくして、頬を染めていた少女。驚きに言葉もない彼女にロイは更にこう告げた。
「返事はすぐでなくていい。君はまだ若いし、考える時間が必要だろうと思う。そうだな……今から一ヶ月後の国家資格の本試験の日……までに返事をくれないだろうか。電話……いや、手紙が良い。うん、それがいいな」
今思えば直接会って、とか電話を避けたのは断られた時のショックをなるべく軽減させようと己で自衛していたのかもしれないし、国家資格試験までに返事が欲しかったのはそれまでにケジメをつけたかったのかもしれない。
なんにせよ、当時のリザはロイのその願いを聞き入れてくれ、そして約束通りに手紙をくれた――ロイのプロポーズを断る手紙を。
そして、あの時のショックをロイはこれまたよく覚えている。泣き出さんばかりに落ち込んだロイを当時から親友だったヒューズが必死に慰めてくれたものだ。
だが、そのショックをバネにして逆にロイは国家錬金術試験をパスしたといっても過言ではないと思う。
本当に今思い出してもよく合格できたものだ――。
「中佐? 中佐! もうっ、しっかりして下さい!」
ひとしきり過去に思いを馳せていたロイはリザの声で現実へと帰ってきた。
「どうしたんですか。ぼーっとなさって」
改めて目の前の怒った副官の顔を見ていると、過去の苦い記憶がよみがえってくる。
ロイはリザにフラれた後、気まずくて彼女と連絡をとらずにいた。国家資格をとった事と相まってロイが多忙となったせいもあったのだが。しかし、その忙しさは失恋の痛手をまぎらわせてもくれた。そのうちに彼女とは音信不通になってしまい、そして次にリザと再会したのはあの運命のイシュヴァールだったのである。
運命の輪は巡り、結局ロイは当初ロイが願っていたのとは違う関係で彼女をそばに置くことになった。過去に失恋しているとはいえ、ロイは今でも彼女を深く愛している。毎日顔を見られて、共に未来を見据えて歩く同士として一緒にいられるのだから、それだけでも幸せなのかもしれない――とも思ってもいる。
だからロイは今まで親密な――特定の恋人を作ることなく、過ごしてきたというのに。
「ああ、すまん。……ところで少尉」
「はい?」
グラマンからの見合いの話はロイにとって晴天の霹靂であった。自分にだけにならまだしも、リザにまでとは。
既にグラマンから話を聞いているのだろうか、とリザに見合い話の話題をふろうとして、ロイは言い淀んだ。
――ふられ男がいつまでも未練がましい。
「いや……なんでもない」
「? そうですか?」
リザに己の想いを拒否された以上、リザが見合いをしようが、恋人を作ろうが、結婚しようが、ロイに口を出す権利はないのだ。
あえて口を出せるとしたら、その結婚がロイ達の野望の妨げになる場合だけだろう。だが例えそうだったとしても、彼女自身の幸せを誰よりも願うロイならば、おそらくリザが不幸になるようなことはしないだろうが。
そう、彼女が幸せであるならば、その幸せが己と一緒でなくたっていいのだ――。
では書類を、と早速仕事の話をし始めたリザの顔を眺めながら、ロイはぼんやりとそんな事を考えていた。
続く
*************************
ジューンブライド・ラプソディ(3)へ
「中佐?」
一度呼び出しがかかると小一時間どころか二時間でも三時間でも行ったきり帰って来ない事がままある上官が珍しく三十分もしないうちにグラマンの元から帰ってきたのを見て、あからさまに驚いた顔をしている副官にロイは苦笑をして見せた。
「なんだね、その死んだ人間でも見たみたいな目は」
「……縁起でもない事言わないで下さい。少し驚いただけです」
まだ幼さが残る頬のふっくらした線が非常に柔らかそうでつついてやりたくなる衝動にかられる、我が副官――リザ・ホークアイ少尉は、ロイの言葉に非常に嫌そうな顔をした。冗談でも死ぬなんていう表現は容認し難いらしい。「死ぬなんて言っちゃ嫌」――そんな事を可愛い女の子から言われれば普通の男なら勘違いしてしまいそうであるが、リザに限っては百パーセントただの部下としての忠義だと確信出来て、ロイの胸は切なく痛む。先ほどグラマンから言われた件を思い出せばなおさらだった。
自分とリザに見合い話。
二人とも適齢期であるのだからこのような話が降って湧いてもそれほどおかしい事ではないのかもしれない。それでも今までは、軍務を優先する、結婚どころではない――というロイ達の意向を鑑みて、グラマンは一切ロイ達の耳にはこの手の話を入れては来なかった。
今更になって、何故……と不審に思うと共に、もしかしたら本当にグラマンはただジューン・ブライドを成立させたいだけなのかもしれない、とも考えられて、改めてあの愉快犯な老人に対して頭が痛くなる思いだった。
そしておそらく自分の推測は当たっているのだろう、とロイは思う。
可愛い可愛い孫娘とその夫にと望む可愛がっている部下、その二人を結婚させたくて仕方がなかった老人は、当人達にその兆しがまったくないのにとうとう業を煮やして、もう相手は誰でもいいと今回の見合い話を持ち込んだのかもしれない。
しかし、グラマンには悪いが今後リザと自分がどうにかなることはないだろう。
ロイがリザを嫌いな訳では決してない。いや、むしろ好き……愛しているといっていいだろう。その想いは彼女とで出会った頃からずっと……リザが少女の頃から、今に至るまで変わる事なくロイの中に息づいている。
そして、その想いをロイが今まで彼女に打ち明ける機会がなかったかというと、実はそうではないのだ。なにせ、好きだと打ち明けるどころか、ロイはリザに結婚して欲しいと求婚まで行っているのだから――。
あれは、そう、リザの父――ロイの師匠が亡くなり、ロイがリザから焔の秘伝を受け継いだしばらく後の事だ。
焔の秘伝を応用して自らの焔の錬金術をようやく完成させたロイは、その年の国家錬金術資格試験を受験する事が決まっていた。
そしてロイは、その事を師匠の墓前に報告すると共にリザの様子見を兼ねてホークアイ邸を訪れた。軍務をこなす傍ら、錬金術の研究も行っていたのでなかなか彼女に会いにいけなかった事をロイはずっと気にしていたのだ。だから、元気そうなリザの顔を見た時、ロイは心底ホッとし、そして同時にその時、強く思ったのだ。彼女をいつも自分の近くに置いておきたい――と。今の自分では力不足かもしれないが、国家資格をとれば階級も上がり、彼女を養えるくらいの経済力も身に付く。その頃のロイは若くて、一緒に住むイコール結婚する――という直結した思考回路の持ち主だった。むろん、ロイはリザが好きだったし、それならばなんの問題もない、と若さ故の大胆さでロイはリザにプロポーズをしたのだ。
あの時のリザの顔は今でも忘れられない。
大きな瞳をさらに大きくして、頬を染めていた少女。驚きに言葉もない彼女にロイは更にこう告げた。
「返事はすぐでなくていい。君はまだ若いし、考える時間が必要だろうと思う。そうだな……今から一ヶ月後の国家資格の本試験の日……までに返事をくれないだろうか。電話……いや、手紙が良い。うん、それがいいな」
今思えば直接会って、とか電話を避けたのは断られた時のショックをなるべく軽減させようと己で自衛していたのかもしれないし、国家資格試験までに返事が欲しかったのはそれまでにケジメをつけたかったのかもしれない。
なんにせよ、当時のリザはロイのその願いを聞き入れてくれ、そして約束通りに手紙をくれた――ロイのプロポーズを断る手紙を。
そして、あの時のショックをロイはこれまたよく覚えている。泣き出さんばかりに落ち込んだロイを当時から親友だったヒューズが必死に慰めてくれたものだ。
だが、そのショックをバネにして逆にロイは国家錬金術試験をパスしたといっても過言ではないと思う。
本当に今思い出してもよく合格できたものだ――。
「中佐? 中佐! もうっ、しっかりして下さい!」
ひとしきり過去に思いを馳せていたロイはリザの声で現実へと帰ってきた。
「どうしたんですか。ぼーっとなさって」
改めて目の前の怒った副官の顔を見ていると、過去の苦い記憶がよみがえってくる。
ロイはリザにフラれた後、気まずくて彼女と連絡をとらずにいた。国家資格をとった事と相まってロイが多忙となったせいもあったのだが。しかし、その忙しさは失恋の痛手をまぎらわせてもくれた。そのうちに彼女とは音信不通になってしまい、そして次にリザと再会したのはあの運命のイシュヴァールだったのである。
運命の輪は巡り、結局ロイは当初ロイが願っていたのとは違う関係で彼女をそばに置くことになった。過去に失恋しているとはいえ、ロイは今でも彼女を深く愛している。毎日顔を見られて、共に未来を見据えて歩く同士として一緒にいられるのだから、それだけでも幸せなのかもしれない――とも思ってもいる。
だからロイは今まで親密な――特定の恋人を作ることなく、過ごしてきたというのに。
「ああ、すまん。……ところで少尉」
「はい?」
グラマンからの見合いの話はロイにとって晴天の霹靂であった。自分にだけにならまだしも、リザにまでとは。
既にグラマンから話を聞いているのだろうか、とリザに見合い話の話題をふろうとして、ロイは言い淀んだ。
――ふられ男がいつまでも未練がましい。
「いや……なんでもない」
「? そうですか?」
リザに己の想いを拒否された以上、リザが見合いをしようが、恋人を作ろうが、結婚しようが、ロイに口を出す権利はないのだ。
あえて口を出せるとしたら、その結婚がロイ達の野望の妨げになる場合だけだろう。だが例えそうだったとしても、彼女自身の幸せを誰よりも願うロイならば、おそらくリザが不幸になるようなことはしないだろうが。
そう、彼女が幸せであるならば、その幸せが己と一緒でなくたっていいのだ――。
では書類を、と早速仕事の話をし始めたリザの顔を眺めながら、ロイはぼんやりとそんな事を考えていた。
続く
*************************
ジューンブライド・ラプソディ(3)へ
by netzeth
| 2012-06-03 00:24