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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

夏コミ新刊サンプル2

二二:〇〇を回ったところでしとしと降り出した雨は、一時間を経過した今、とうとう本降りとなった。今朝の天気予報によるとこのまま一晩降り続くらしい。この時期、夜に雨が集中して降るのはイーストシティでは珍しいことではない。こんな夜は皆外出は控え、程良く肌寒い気温の中、薄い毛布に包まり早々に眠ってしまう。東方司令部にとっては、雨で災害でも起きぬ限り事件が減る静かな夜となるのだ。
人通りが絶えた東方司令部の長い廊下の途中で立ち止まって、リザは窓の外を見つめていた。相変わらず雨は止む気配を見せなかったが、幸いそれほど強く降ってはいなかった。これならば災害対策の部隊は出さなくても済みそうだとリザは安堵する。そのために通常の夜勤勤務者に加えて、臨時にシフトを変更して人員を確保していたのだ。だが、それも無駄骨に終わったようだ。待機を命じられた軍人達には申し訳ないが、彼らが活躍する機会など無いに越した事はない。大丈夫そうだからといって待機命令をすぐに解く訳にも行かないが、今夜彼らは忙しい夜を送らずに済むだろう。
そこまで考えをまとめると、リザは改めて視線の先にある風景に意識を移した。風景といっても、雨垂れに濡れたガラス窓に、ぼんやりとした司令部の明かりが映っているだけの光景だが。彼女は闇夜に揺れるそのほのかな明かりを見つめた。
――まるで巨大な水槽の中に浮かんで夜を眺めているよう。
そんな感想が不意に脳裏に浮かんで、リザはふっと笑みをこぼした。いつか幼い頃に見た、熱い海に住むという魚の水槽を思い出す。青と黄色の鮮やかな色を纏ってガラスの箱の中を優美に泳ぎ回る魚達。小さく、たくさんで群れを成して、休む事も知らず、まるで止まれば死んでしまうと、忙しくその小さな世界を精一杯に泳いでいた。
(私と同じだわ) 
ぼんやりとリザは考える。
そう。自分は、自分達は東方司令部という水槽を泳ぐ魚。この水槽の中でいつか大海に出る時をじっと待っている――。休む事もせず、止まる事も許されず、水底から夢を見て、ただひたすらに泳ぎ続けて。
――パタポタッ。
その時、リザの意識を引き戻したのは、窓に叩きつけられた雨音だった。どうやら風が少し出てきたようだ。ハッと我に返ったリザが目を凝らすと、暗い窓には水に滲んだ明かりと、疲れた顔の女が映っていた。
それに、リザは苦笑した。
柄にも無く、埒もない想像をしてしまったようだ。水槽を優雅に泳ぐ美しい魚。自分はそんなに良いものじゃない。せいぜいより大きな魚に食べられぬよう生きるために足掻く小魚だ。
そして小休止を終えて、リザはまた歩き出した。まだまだやらねばならぬ事が残っている。立ち止まってはいられない。

――夜はまだ始まったばかりなのだから。

そして、二三:三〇。
降り続いていた雨の勢いが少しだけ弱まった時刻、手の中にある小さな銀色を転がして、リザは思案していた。
リザ・ホークアイは一つだけこの東方司令部において、他の者には許されていない特権を持っている。
その挿話に纏わるのがこの鍵だ。鈍く光る金属製の冷たいそれに目を落として、リザはこの鍵が彼女の元へとやってきた経緯を思い返していた。


   ***


リザの背中にはかつて、ただ一人の人物を除いて決して他人には見られてはならぬ秘密が隠されていた。しかし、現在ではその秘密は正しき相手へと受け継がれた。そして、背中の秘密は誰の目に触れても構わないように、その肝心の部分は抹消された。もう、誰に目撃されてもその正確な意味を読みとることは不可能になったのだ。けれど、だからといってそれを易々と人目に晒す事に心理的な抵抗が無くなった訳ではない。
それは今もなお、いや、火傷が加えられた事で余計に禍々しい姿を保っている。人がそれを目にしたら、例え悪意が無くともどういう感想を抱くのか、リザには容易に想像がついた。ならば、極力隠すに越した事はあるまい。故にリザは司令部では軍服の下にハイネックを着用していた。それは暑い夏の最中でも脱がれることは無かった。着替え時にも、女子ロッカーにひと気のある時はハイネックを着たまま帰宅した。
そうしたリザの涙ぐましい努力によって、彼女の背中は今まで誰の目にも触れる事はなかった。けれども、それは様々な場面でリザに不便をもたらした。その一つが司令部の仮眠室利用の点においてである。
東方司令部にはシャワー室が付属した仮眠室が完備されている。むろん、男子、女子双方にだ。佐官以下の軍人達は、夜勤シフト時や、徹夜で司令部に詰める事件が発生した時などにこの仮眠室を利用する。
司令官付き副官という立場上、リザにも司令部で仮眠をとらねばならぬ事態は頻繁にあった。もちろん、彼女もこの下士官用の女子仮眠室を利用していた。しかし、それには一つ問題があったのだ。
仮眠室のシーツは常に清潔を保つように、と必ず一日に一回は取り替えられている。当然利用する軍人達もその点は気を配り、汚れた身体で寝床に入る事はせず、必ずシャワーで汗を流してからベッドを使う。そのためにシャワー室が付属しているのだ。
だが、背中を他人に見られたくないリザにとってこのシャワー室利用はかなり気を使う作業であった。何せ、人の出入りが引っ切り無しなのだ。人の裸を不躾に見る女性などはここには皆無だが、背中のそれはその意志が無くとも容易に人目に触れてしまう。かといってリザ一人で仮眠室を独占する訳にもいかない。それまでは彼女は人が居ない時間帯を見計らってシャワー室を利用し、今まで幸い誰にも出くわすことはなかったが、それもただ運が良かっただけの話だ。不特定多数の女性軍人が利用する場所なのだから、いつ誰が入ってくるか分からない。その時にどうやって無防備な背中を隠せばよいのか。バスタオルで覆える範囲を大幅にはみ出している秘伝。それは常にリザにとって悩みの種であった。
以上の様な理由から、いつしかリザは仮眠室の利用を控えるようになっていた。そんな風に毎回気を使っていては、安らげるはずの場所でもゆっくりと休息をとることは出来ない。別に仮眠室でなかろうと休息くらい取ることは出来る。リザは戦地を経験した軍人だ。過酷な状況下で睡眠をとった事など数え上げればキリがない。それに比べれば……と、仕事部屋の自分のデスクで休んだり、時には備え付けてあるソファーに横になったりもした。身体はゆっくりと休めないかもしれなかったが、気を使うだけの仮眠室よりは幾分マシだった。
しかし、そんなリザの状態を目撃した人物が居たのだ。そう、リザの上官であったロイ・マスタングである。
彼はソファーで眠っていたリザを見つけるなり、ものすごい形相で彼女に詰め寄ってきた。
「ホークアイ少尉。……君は何をやっているのかね?」
ウトウトしていた所に現れたロイに、リザは当初何かの事件かと誤解して跳ね起きたものだ。それほどに彼の表情は鬼気迫っていた。
「はい。仮眠をとっておりました」
彼が何を憤っているのか分からぬままに、リザは素直に返答した。……と言ってもそれ以外に答えようが無かったのだが。
「……ここでかね?」
「はい。……何か問題がありますでしょうか」
「大あり……」
何かを言い掛けて言葉を止めたロイに、リザは首を傾げた。彼はリザの顔をじっと見つめて、それから沈痛な面持ちで眉を寄せた。まるで何かをじっと考え込んでいるように。そして、彼のその瞳に少しだけ痛ましさが滲んで、リザは悟った。ロイはどうしてリザが仮眠室を利用せずにこんな場所で寝ているのか、その理由に気づいてしまったのだと。彼は明敏で優しい人だったから。
既にその問題で彼が負い目を感じる必要性はまったくもってない。だから、リザは慌てて取り繕った。
「……今日はたまたま仮眠室が混んでおりましたので」
いつもしている訳ではない、仮眠室を利用出来ない訳ではない。そんな否定を込めての言葉だったが、しかし、彼は納得しなかったようだ。強い視線をリザに当てたロイは、
「だが、若い女性がこんな場所で無防備に眠るなんて感心せん」
何かあったらどうする。
まるで、娘を持つ父親のような口調と顔で言ってくる。
「ここは、司令部の中です。滅多な事など起こらないと存じますが」
「……だから、君は自覚がないというか……分かっていないんだ。軍の野郎達など飢えた狼より質が悪いぞ」
「ですが、同じ軍の仲間です。そのように警戒した目で見るのは……」
渋い顔を崩さずに言い切ったロイは、彼の言葉を真面目に受け取らないリザに対して業を煮やしたのか。
「来たまえ」
リザの手を引いて歩き出そうとする。ソファーから降りて、慌ててブーツを履いたリザはロイに引っ張られるままに彼について行った。




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by netzeth | 2013-07-28 17:28