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うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth

その心に触れて

 まったく、いい男でいるのも疲れる。

 何人もの女性と会い、全ての予定を片づけた終えたのは日を跨ごうかという時刻だった。これでも軍人なので体力には自信があったが、流石に疲れを覚える。
 顔面に笑みを張り付け、淀みなく口触りの良い実の無い言葉を紡ぐのは思ったより精神を磨耗させるらしい。これも情報を得るためと思えば仕方無いが、たいした収穫もなしとくれば弱音の一つや二つ吐きたくもなる。
 銀時計で時間を確認してから、私はスーツのポケットへとそれを仕舞い込んだ。それから襟元を緩めるためネクタイに手を伸ばす。と、
「あらロイさん、今日はうちのお店寄ってかないの?」
「やあすまないね、今度必ず寄らせて貰うよ」
 顔見知りの女性に声をかけられ、そのまま手を上げひらひらと振った。もう半分特技になってしまった愛想笑いでやり過ごす。
「本当?」
「ああ、もちろん。君のような美人の顔を見に行かずにはいられないからね」
「まあ嬉しい」
 ……今のは良くなかった。
 油断は禁物だとだらしなく緩みそうになっていた姿勢と気を引き締める。まだ繁華街を抜けていない。今ここにいるのは、女性に人気のロイさんだ。
 女性を気持ちよくさせる甘い言葉とスマートで紳士的なふるまい。ユーモアにあふれて優しくて気前がいい男。だらしなさも粗野さも無いそういう男。本当の自分を隠し虚飾を纏い……そうやって着続けるうちにその服はすっかり私に馴染んでしまった。
 今ではそちらが本当の自分かと自分自身でさえ見まごうほどに。
 まだもう少し演じ続けねばなるまい。深夜でさえ人通りの多い繁華街では誰が見ているとも限らない。
 そうやって私は、緩めようとしていたネクタイを逆に整えた。
 身なりには気を使え。シワの寄ったシャツやサイズの合ってないスーツ、汚れた靴の男に女は寄って来ないし口を軽くしない。その道のプロである義母の言葉だ。みっちり仕込まれたおかげで女受けする格好が身についた。オーダーメイドのスリーピーススーツにリゼンブール産最高級のウールを使用した黒のロングコート。こちらもフルオーダーメイドの革靴。童顔を隠すために髪を上げて、きちんと髭をあたって爽やかさを演出。努力の賜かすれ違う何人もの女性が、ニコやかに手を振って声をかけてくれる。
 
 ロイさん、ロイさん、ロイさん。
 
 理想的な情報収集網を築けている。このイーストシティでターゲットが女性と飲もうものなら必ず私の耳に入る。現に有力な情報をいくつも手に入れ、成果を上げている。私の行く道においてこれは強力な武器だ。喜ぶべきことだ。
 
 ――だが、何故だろう。ときどきひどく息苦しくなるのは。

 そんな時必ず思い出すのは副官の顔だった。今夜会ってきた美人達とはあきらかに異なる化粧っ気も飾り気もない女性ーーしかし、その誰よりも美しい女性。
 行ってみようか。
 深夜にしかも上司に押し掛けられるなんて歓迎されるわけもない。自宅に上がったことがない訳ではないが、それもこんな非常識な時間の訪問ではなかった。
 しかし、思い立ってしまうと自然と足は彼女の自宅へと向く。疲れを感じていたはずが、現金なもので重りを外したかのように脚は軽快に動いた。鼻歌まで飛び出す始末。
 彼女に会いに行くだけでこの浮かれよう。我ながらおかしいが、心はやはり翼が生えたように軽かった。





 子犬の様子が気になって、花を買い過ぎたから貰ってくれ、貰い物の菓子を食べるのを手伝って欲しい……いろんな理由をつけては今まで彼女の部屋に上がり込んだ。
 彼女――中尉は困ったり呆れた顔をしつつも一度も私を拒んだことはない。それどころか茶を出し、時には食事をふるまってくれた。だから少なくとも嫌がられてはないと解釈している。かといって好かれているかと言えば、その答えを未だに私は出していない。
 上官への敬いや昔馴染みへの気安さその他同志としてへの親愛に……罪を抱えた者同士の複雑な感情。彼女と私を繋ぐものはいろんな感情がごっちゃになっていて、細分化は不可能に思えた。更にそこから望んでいるものが抽出されるかどうかも分からない。
 言うなれば微妙な関係。それが、現在の私達だ。
「大佐?」
 今夜も彼女は私を拒むことは無かった。
「もう……っ、こんな時間に出歩いて。危ないですよ」
「すまん」 
 それどころか不躾さを責めることもなく私の身を案じている。招かれるまま彼女の後に続いて部屋内へと入った。
 パジャマの上にカーディガンを羽織っただけの無防備な背中に、金色の髪が揺れていた。風呂上がりなのかしっとりと湿っている。ふわんと匂い立つ石鹸の香りに一瞬意識が持って行かれた。後ろから抱きすくめ髪に鼻先を埋めたい衝動に駆られ、ぎゅうと自らの手の甲をつねって理性を呼び起こした。
「入手した情報の精査を頼みたくてね、迅速な情報共有は重要だ」
 邪な気持ちを認めたくなくて、そして彼女に気づかれたくなくて。私はとっさに嘘を口にした。中尉が振り返る。澄んだ鳶色の瞳がじっと私の顔を見つめ、一瞬揺らいだ。
「……そう、ですか。私でよろしければ承ります」
「ああ、頼む」
 それ以上会話が進まなくて結局私はいつも通り仕事へと逃げてしまった。上司の顔をして仕事と割り切れば、動揺し醜態を晒さずにすむ。例え自分自身でさえだましても。
 リビングのソファーに腰を落ち着けると、彼女はすぐに茶を用意してくれた。手際よく私の前にマグカップを置くと、私が差し出した情報をまとめたメモに目を通し始める。優しい香りとまろやかな味わいの紅茶をすすりながらその真剣な横顔を盗み見た。
 睫毛が長い。すっと通った鼻梁と小さな唇、ルージュを引いていなくても健康的なピンク色をしている。飲み干す紅茶と同色の虹彩はどこまでも澄んでいて、透明な白い肌によく似合って愛らしい。頬に落ち掛かる金の髪を耳にかけるしぐさがたまらなかった。
 触れたいと思うし触れられたいとも思う。その瞳で見つめられたいと思うし、同じ望みを彼女に持って欲しかった。このまま沈黙が続けばそんな欲望があふれ出してしまいそうで、声をかける。 
「その……すまん、な。もう眠るところだったのだろう?」
「はい。ですがこれも仕事ですから。かまいません」
 仕事ーーとはっきり言い切られて少し傷ついた。彼女の中で所詮私は仕事のカテゴライズなのだろう。自分で依頼しておいて滑稽だ。しかしそれ以上に自分の意気地のなさで彼女の睡眠時間を削る事に、強い罪悪感を覚えた。
 口実にしてもこれは迷惑すぎだろう。明日でもいい仕事を真夜中にさせるなぞまったくひど過ぎる上司だ。私は熱心にメモに視線を落としている彼女に告げた。
「すまん、中尉。やっぱり明日にしよう」
「いえ大佐。まだ……」
「いいんだ」
 戸惑った風の中尉の手からメモを奪い、名残惜しさごとジャケットのポケットに仕舞い込む。
「それほど急ぎの案件でないのに、こんな時間に来てすまなかった」
 顔を見られたし今夜はこれまで、これでいい。そんな風に自分に言い聞かせながら立ち上がろうとした時だった。
「……ここではくつろげませんか」
「何?」
 聞き違いかと思った。この時間を惜しむ自分が都合の良い幻聴を聞かせているのだと。
「また……その香水の匂いの元に行かれるおつもりですか」
 けれど、その声は確かに聞き慣れた副官のものだ。否、普段とは違う……ひどく揺らいだ音。
 すぐに彼女ははっとした顔で口を噤んだ。
 沈黙が我々を取り囲む。どう反応するべきか私の心が迷う間に再び彼女は口を開いていた。行動と共に。
「中途半端は嫌いなんです。最後まで……ちゃんとさせて下さい」
「お、おい」
 しなやかな腕がジャケットに伸ばされ、ポケットからメモを抜いていこうとする。まるで私を行かせまいとするように。
 どうして彼女は私を惑わせるようなことをするんだ! 頼むから物わかりの良い上司のままでいさせてくれ。
 加熱する思考を必死に理性で冷まして、抵抗した。
「いや、これはまた明日でいい。君はもう休んでくれ。邪魔をしてすまなかった」 
「承伏出来ません」
「おいこら、中尉!」
「か・し・て・く・だ・さ・い」
「だ・か・ら! い・い・って!!」
 逃げる私と追う彼女。半分意地になりソファー上でもみ合いになって、気づいた時には二人で倒れ込んでいた。
 彼女が上で私が下。
 逆な気がしたが、その近すぎる距離にどちらも言葉を発することが出来なかった。密着する身体の熱と大きな鼓動音に乱れた息づかい。お互いに動けなかった。動いたら……その時はもう、止められない気がした。
 だがその時。
 
 くしゅんっ
 
 静寂を破るように小さな小さな音がした。二人同時に振り向く。部屋の隅で丸くなっている子犬が、ちょうどくしゃみをしたらしい。もぞもぞと身体を動かすと彼はだらんと白い腹を見せて、またすやすやすぴすぴ眠りに落ちていく。
「あの、申し訳ありません……」
「いや……」
 目を合わせて思わず笑い合う。張りつめていた空気がハヤテ号のおかげで一気に緩み場がなごんだ。
 体勢を立て直して、ついでに落ちかけていた心も立て直して。私は子犬に感謝した。気持ちが澄んで落ち着き、冷静になる。今ならとても複雑で見えにくい彼女の心を捉えられる気がしていた。
「……君と一緒だとこの上なく安らぐよ」 
 先ほどの彼女の問いへの答え。前髪をくしゃくしゃと崩しながら言う。あれが紛れもない彼女の本音だとしたら。私が仕事を口実としたことに、彼女も傷ついたのかもしれない。その思い違いはたださねばならない。
「すまん、私は君に嘘を言った」
「嘘?」
「ああ」
 怪訝そうな彼女に笑って頷いた。……きっと彼女は私が何を言い出すのか、分かっていないだろう。
「情報うんぬんは二の次で口実だ。本当は君の顔を見に来た。……君に会いたかった」
 紅茶色の瞳が驚きに見開かれる。水を湛えた湖面のように美しいそれに私の姿が映っているのが嬉しい。
 ソファーの上で私達は見つめ合う。まるで恋人同士のように。
「君といると笑い方も気の抜き方も、ドジを踏むのも、だらしなくなるのも……全部思い出せる気がするんだ」
 偽りを全身に張り付けて生きている中で素の自分が出せること。それが私にとってどんなにすごいことか、彼女はきっと知らない。
「何を言ってるんです。貴方はいつでもドジで格好悪いじゃありませんか」 
「……うん、君はとても手厳しいね」
 肺腑をえぐる鋭い舌鋒も彼女なら許せる。むしろなければ恋しく思う。私にとって彼女はそういう存在だった。
「そうです、私は貴方に全然優しくない女ですよ。……その香りを貴方につけた方々と違って」
 しかし、私の言葉を彼女はあらぬ方向にくみ取ったらしい。私にまとわりつく残り香への悋気、そう受け取って良いのだろうか。
「……貴方が私といてくつろげる……というのは本当でしょうか。私は貴方にとって……そういう分類の女ではないと……ずっと思っていました」
 ぽつりぽつりと自信なさげに落とされる言葉を、私は受け取って頷いた。 
「私だって一緒だ」
 犯した罪は消えない。私達の手は赤く染まっているし、それはお互いよく知っていることだ。一時でも忘れたくともその存在がある限り忘れることを許さない――そんな相手と一緒で安らげるとは思えない。少なくとも彼女は……そう思っていると、思っていた。
「君は私といる時間を……疎ましく思っていると……」
 だが、違った。帰ろうとする私を彼女は引き止めてきた。それを肯定するように彼女は言う。
「そんなことはありません。疎ましく思う相手をこんな時間に自宅に上げる訳ないじゃないですか」
「……確かに」  
 すれ違って遠慮して、私達はずいぶんと遠回りをしていたらしい。言わずとも伝わるという幻想に甘えて、言葉を尽くすことを怠っていた。反省を生かして彼女に語りかける。
「何度でも言おう。私は君といると……この上なく安らぐんだ」
「……それ、他の女性にも言っていたりしません?」
「おいおい」
 普段の行いが仇となるとは。慌てる私に彼女はくすりと笑って。
「でも、信じます。貴方は……気を緩めると髪を崩されるから」
「そ、そうなのか?」
 指摘されて初めて気づいた自分の癖。言われてみれば、彼女の顔を見るといつも無意識にやっていたように思う。
「実は少し、残念に思っていました」
「うん? 何がだ?」
 不思議そうにした私の顔を見て、彼女は少しだけ頬を染める。
「……大佐が私の前ではすぐに前髪をおろしてしまうことが、です。……男ぶりが上がると秘かに思っておりましたもので」
 ――こんなことを言われて浮かれない男がいるだろうか。
 まいったな……。
 他の女たちの前ではいい男でいることを強制される。だが彼女の前でだけは己をさらけ出せた。それを心地よく思っていたが、しかし、時には気取っていい男を見せておくのも女心を掴むには重要だったらしい。
「では次は、崩さずいい男のままでいるよ」
 片目をつむった少々気障な仕草。彼女相手にしたことは無かったが、思った通りバカですかと呆れた声音で言われたが。頬も耳も赤いままだったから、それなりの効果はあったようだ。調子に乗った私は彼女の手を取った。そして言おうか言うまいかしばし迷ってから切り出した。
「それでその……」
「はい」
「実はそろそろ口実がない」
「口実…ですか?」
「次は、何もなくても来ていいだろうか。君の顔を見たい、それを理由にやって来ても」
 その告白にも等しい核心を突く言葉を。
 言葉をなくしたように彼女は沈黙した。瞳を伏せふいっと私から視線を外す。迷う風の彼女の答えを待つ間は幾ばくも経っていないはずだが、時間がまるで無限に感じられた。
「貴方と穏やかな時間を共有するなんて、あってはいけないと思っていたのに……」
 口から漏れ出した言葉は小さくてよく聞こえなかった。ん? と聞き返せば今度は明瞭な言葉が返ってくる。
「口実がなくても来て下さい……待っていますから」
 私は今夜初めて彼女の心に触れ……そして、自分のそれに触れられた気がしていた。 
 返事の代わりに掴み取った手を強めに握れば、おそるおそるといった風に彼女が握り返してくる。そのいじらしさに身体の温度が上がり、鼓動が速まった。
 いい男でいるのは疲れる。彼女のそばなら忙しさに疲れた心と身体は癒される。だが同時に、彼女と一緒では……違う意味で私は心穏やかではいられない。
 この矛盾は部屋を訪れる度に私を悩ませるだろう。けれどそれが楽しみで仕方なかった。



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ロイアイの日おめでとうございます!
ロイアイよ永遠なれ!





by netzeth | 2017-06-11 00:29