うめ屋


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by netzeth
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幸福宣言

 彼女に関する一番古い記憶は、古びた門扉の向こうどっしりとした重厚な扉を開いた先の、揺れる金色と紅茶の瞳の少女のーー少し怯えた警戒心を露わにした子猫のような表情。



「中佐、中佐……!」

 はっと我に返れば目の前には可憐な少女ではなく、いかつい面構えの恰幅の良い部下がいた。心を見透かすような薄い色の瞳は相変わらずの油断の出来なさだ。

「俺との対戦はハンデなしでいいと言ったのは、中佐ですぜ」
「すまん。少し考え事をしていた」
「ほほう……余裕ですね」

 すっと目を細めた男は勝負師の顔をしていた。それはそうだろう、今は彼がもっとも得意とする盤上遊技の真っ最中だ。遊びといえども真剣にやる、それが明日死ぬかもしれぬ仕事に従事する我々の流儀である。
 ごく近しい部下たちと行われている、チェスの対戦。いつの間にかリーグ戦となりきっちり勝敗表がつけられるようになった。彼ーーブレダはその中でもトップに立っている。

「それとも追いつめられての現実逃避ですかい?」
「バカな、まだまだ。生きる道を模索中さ」

 強がりではない。黒と白の形勢はまだまだ拮抗している。若干こちらが悪いが、挽回は可能なはずだ。

「そうこなくっちゃ、中佐が歯ごたえなけりゃ俺もつまりませんや。せっかくハンデ無しで打てる司令部内唯一の相手なんですし」

 私とブレダはリーグの中では強すぎるという理由で、他の者との対戦はハンデ戦となっている。通常チェスのハンデ戦は相手の持ち時間を増やしてやるか、相手にニ手打たせてやるかだが、ブレダはそれに加えて駒落ちという最大級のハンデをも与えている。東の島国の将棋になぞらえたらしいが駒が少ないチェスでそれでも勝てるのだから、彼の強さが分かろうものだ。

「まあ、グラマン将軍を除けばですがね」
 付け加えられた言葉に私は渋面を浮かべる。
「将軍にはリーグ戦やってることは内緒だぞ」
「不真面目だと咎められるからですか?」
「バカ言うな。閣下の性格はご存じだろう、わしも入れて~って毎日いそいそやって来るからだ」
「……ああ、やっぱりそっちですかい」
 苦笑するブレダにそうだと私は深刻な顔で頷いてやる。
「仮にも最高司令官に毎日来られたら肩が凝って仕方ないだろう。将軍のチェスの相手は私に任せておけ」
 まあ、私から言わせればグラマン将軍は肩が凝るタイプの上官ではないのだが。それでも彼を知らない多数の士官たちから見れば同じことだ。将軍位と言うだけで胃が縮むだろう。
「へえ……で、中佐はグラマン将軍に勝てているんですかい?」
「言うな」
 苦虫を潰した顔で言えばブレダはおかしそうに大きな腹を揺らした。
「意地を張らずにハンデ戦にして貰えばいいんじゃ?」
「将軍にハンデ無しで戦える対等の相手だと思って貰えねば、意味ないだろう」
 それは私のなけなしの矜持だ。
「へえ……じゃあ、ホークアイ少尉にハンデ無しなのも同じ理由なんですかい?」
「がごふっ」
 ブレダの思わぬ妙手に、私はむせた。まじまじと奴を見返せば、三日月の形になった口元が見えた。どこまで見通しているのか知らないが、悟らせる訳にはいかない。動揺を押し隠し私は呼吸を整えた。
「……さあな」
 ーー誤魔化しきれなかったかもしれない。事実、ブレダはニヤニヤ笑いを消そうともしていない。
「まったく不思議なものですね。俺との勝負は五分。他の奴らにはみーんな、圧勝。そんな中佐がですよ、どうして少尉には一勝も出来ないんですかねぇ……」
 そう。少尉にハンデ無しとはこの場合、私が、少尉に、ハンデを貰わないことを意味している。
「知るか。勝負には相性というものがある、そういうこともあるだろう」
 ホークアイ少尉のチェスの腕はリーグ戦では真ん中くらい。トップをブレダと争う私とは本来勝負にならないはず……しかし、私は少尉に全敗している。 
 私としても不思議なのだ。自分でも理由はよく分からないが、彼女と対戦するといつの間にか負けている。あんまり鮮やかに負けるものだから、ホークアイ少尉からちゃんとやって欲しいといつも怒られているくらいだ。どうやら手を抜いていると思われているらしい、心外だ。
 私は勝負事には昔から全て、大真面目に挑んでいる。
「……そろそろリザインしたらいかがです?」
「なんだと? まだ手はあると言ったろう。舐めるな」
 降参を呼びかけるブレダに強気に答える。彼は少し眉を寄せ、きっと無理だと思いますがせいぜい頑張って下さいや、と肩をすくめた。





 その話が持ちかけられたのは、ずいぶんと急だった。グラマン将軍に呼び出されていつもの通り勝つ見込みの無いチェスに挑んでいたときのこと。
「ホークアイ少尉を?」
「そ、欲しいんだって」
 あまりのことに駒を置き間違えたが、些細なことだ。呆然とした私を面白そうに眺めやって、将軍は髭をしごいている。
「悪い話じゃ無いと思うんだよね~中央の要職だし、彼女の経歴にも箔がつく。お給料もぐーんとアップするしね~」
「それは少尉には?」
「言ってないよ? まずは直属の上司の君に、と思ってね。君から伝えてよ」
 のほほんと言われて返答に詰まった。まだショックから抜け出せていなかったからだ。
 ホークアイ少尉の移動。平たく言えば引き抜きであり栄転だ。
 つい先日セントラルの将軍がイーストシティを訪れた時のこと、中央の高官を狙った事件が起きた。そのとき活躍したのが少尉であり、彼女は見事将軍を守りきったのだ。その功績が認められてのことらしい。
「私が……ですか」
「うん。ちなみに話を持ってきたのはさ、わしも懇意にしてるやつなんだけど結構強く、というか熱狂的に望まれてるんだよね。断るの難しそうだな~なんて、思ってるから。その辺り少尉にも上手く伝えてよ」
 まるで、栄転話を薦めろとでも言わんばかりの将軍の言い様に私は息をのんだ。
 部下の出世を妬むような肝の小さい男ではない。そのはず、だ。それでも私は大いに動揺していた。彼女はどう答えるだろうか、出世を望むだろうか。私はずっと心のどこかで彼女が離れる訳はないと考えていた、背中を任せる、踏み外したら撃ち殺せ。
 あの約束がある限り、私のそばにいるはずだと。そんな傲慢に冷や水を浴びせられた気分だった。
 離れて助力する道だって、ある。いや……むしろその方が私たちの目的のためには近道になるかもしれない。
 なのに、胸の奥底がもやもやして仕方がなかった。





「チェスをしないか、少尉」
 仕事が落ち着いた頃合いを見計らって、声をかけた。彼女は少し眉をしかめて警戒心露わな顔で考えた後、いいですよと応じてくれた。非常にデジャヴを感じる表情に苦笑する。
「……なんで私が何か言うと君はいつも眉をしかめるのかね」
「仕事中に仕事以外のことをしようとおっしゃる中佐には、要注意だと思っているからですよ」
「どこまで信用がないんだ、私は」
 この可愛らしい顔に自分のせいでしわが刻まれたら、軽く死ねるなあ……なんてぼんやり考えていると少尉は使い慣れたチェス盤を用意してきた。
「今日こそは真面目にやって下さいね」
「いつも真剣にやってるって」
「どうでしょうね」
 駒をせっせと並べていく彼女を見つめていたらば、視線に気づいたらしく声をかけられた。
「で、ハンデ戦にしますか?」
「まさか。先手は君だぞ」
「分かりました」
 じっくりと熟考した彼女が白の駒を動かすのを、沈黙し目で追っていた。もちろん勝負事など頭に入って来ない。私の心を占めていたのは将軍に言われたことをどう伝えるかということだった。
 上司としてすべきことは、私事を交えず事実を淡々と伝えることだ。そこに他の意志が介在してはならない。あくまでもこれは彼女が決めることだ。彼女はよく人の……とりわけ私の心を読む。
 ーーだからこそ、チェスという時間を選んだ。他に気を取られていることがあれば少しでも誤魔化せるかもしれないと踏んだのだ。
 白、黒、白、黒、と盤上で駒が入り乱れていく。中盤に差し掛かる頃合いに私は切り出した。
「……君に、中央への異動の話がある」
 チェスへと心を移し、没頭していた彼女が弾かれたように顔を上げた。盤から私へと視線が移り、紅茶の瞳がひたと私を捉えた。僅かに普段よりも見開かれている。
「大総統閣下とも接点を持つ、要職だ。階級も上がる、好条件だ、東よりも待遇が良くなるだろう」
 事実だけを述べるように、理性を総動員した。
「どうだ、ろうか」
「……中佐は、どう、思われるのですか」
 何故だろう。彼女の声がいつもより小さく掠れているように聞こえた。
「私は君の意志を問うている」
 常に冷静な光を湛えている瞳が、揺れた気がした。彼女は一言二言聞こえない言葉で呟くと、
「……………すぐに、お返事はいたしかねます」
 長い沈黙の後にそう告げてきた。
 私は少なからずショックを受けた。頭を棒で殴られた気分だった。
 自分で私事を交えず良い話だというニュアンスで伝えたくせに、彼女が即答で断らなかったことが不満なのか。
 だが、上司としてそれは悟られてはならぬ部分だ。
「そうか。じっくり考えてくれたまえ」
 平静を装うために、チェスに集中するふりをして駒を動かす。すると、少尉は突然立ち上がった。
「申し訳ありません。一つ急ぎの案件を思い出しましたので、失礼いたします。勝負は……中佐の勝ちでかまいませんので」
「少尉…っ」
 引き留める間もなく、執務室を出て行く彼女の背を見送る。
 初めて彼女から勝利を手にしたのに、何とも言えない後味の悪さが残った。





 私は連敗に次ぐ連敗を喫していた。もちろんチェスの話だ。
 フュリーに負け、ファルマンに負け、とうとうリーグ戦では下位のハボックにも負けた。奴らと対戦するときは何かしらの賭けをいつもするため、容赦なく財布の中身を持って行かれた。また奴らも全然遠慮しなかった。ちょっと上司に対する敬意が無いんじゃないか、と訴えても彼らは
皆同様に冷たく「当然の報いです」と口を揃えて言った。
 一体何なんだ……と不満を漏らしていたとき、勝負を挑んで来たのはブレダだった。
「なんだブレダ。最近の私は絶不調でな、やっても手応えがないぞ。ハンデ戦にするつもりもないしな」
「そうですかい。まあいいじゃないですか、手応えのない中佐と対戦するのもまた一興ですよ」
 相変わらずよく分からないことを言う男だと思いながらも、気分転換にはいいかと思い直す。
 ホークアイ少尉からは、まだ返答を貰っていない。あの日以来、まるで彼女との暗黙の了解のようにその話には触れられることはなく過ごしている。私は正直気になって仕方がなかったが切り出す勇気がなく、悶々とするしかなかったのだ。
「お前は常に猛者を求めているものとばかり思っていたがな」
「そんなことはありませんよ。どんな相手でも勉強になりますからね」
「自分よりレベルが下の相手でもか?」
「中佐はレベルが下ってことはないと思いますがね、チェスはね」
「チェス、は?」
 含みのある物言いが気に入らず、言葉尻を跳ね上げた。ブレダは涼しい顔で次の手を打ってくる。
「……チェス以外でレベルが下だと思っていることがあるのかね?」
「ありますとも、中佐は恋愛事に疎くてらっしゃる」
「ぶっっはっっ!!」
 ずばりと言われて、むせた。……こいつに投げられる言葉は毎度私の気管をダイレクトに攻撃してくる。
「ああ、訂正しますや。女には強いですけど本命にはからっきし……」
「……それ以上言ったら燃やすぞ」
「やめて下さいよ。今はチェスの時間です、チェスに燃やす、っていう手はありませんや」
 野暮は言いっこなしです、という言葉に取り出しかけた発火布を引っ込めた。自身を落ち着かせる。
「……拝聴しよう、私のどこが恋愛事に疎いって……?」
「中佐がホークアイ少尉に勝てないのは、無意識に手加減しているから。ですよ。真剣にやってると思い込んでるでしょう? 男って生き物はね、惚れた女には甘くなる。どうしたって本気で攻撃したり出来ない」
 空気を求めてぱくぱくと口を開け閉めした。反論の言葉を絞り出そうとしたが、なせなかったのだ。
「たぶん、中佐は少尉に一生勝てませんよ。でも、それでいいんです。
男が負けていいのは惚れた女にだけです」
「分かった風な口をきくじゃないか」
 
 彼女に関する記憶が一番古いものから最新のものへと、アルバムをぱらぱらとめくるように私の中で蘇る。
 ずっと変わらずにある、彼女への想い。
 出会って別れて再会して。共に歩むようになった。
 いつしかそれにはロイ・マスタングの想いだけでなく軍人ロイ・マスタング中佐としての意志も入り込むようになっていった。
 共に誓い合った目的のためにそれは仕方ないことで、既に切り離すことなど出来はしない。軍人としても私人としても私は彼女を必要としているのだから。
 だからこそ、今回の栄転の件には矛盾があった。切り離せないくせにして、無理に私人としての意志を殺していたーー。
 
 ーー公も私もあるものか。全ては私一個人の意思。ただ、惚れた女にそばに居て欲しいだけだ。背中を任せ、私を殺せる権利は彼女にしか与えていないのだから。

「今の俺に出来るのは、せいぜい中佐にチェスの教授をすることぐらいですけどね。知ってますか?」
「ーー何をだ」
「グラマン将軍はチェスがすっごくお好きなんですよ」
「もちろん、知っているさ」
「だから、チェスを介してお願いすれば、ちょっとした無理も通るんでさぁ」
「……!!」
 ブレダの言いたいことを察し、私は尋ねた。
「お前、将軍のチェスのお相手をしたことがあったな。勝ったのか?」
「……辛勝でしたが」
「では将軍の弱点を教えろ、今すぐにだ!!」
「イエッサー」
 
 今までの命令の中で一番やりがいがあるという顔で、ブレダは答えた。 


 その日の内に私は将軍に勝負を挑んだーー勝てはしなかったが、ステイルメイトに持ち込み初めての引き分けをもぎとった。将軍はそれをたいそう喜び私の願いを一つきいてくれた。






「チェスをしようじゃないか、少尉」
「……分かりました」
 珍しく素直に私の誘いに応じた彼女は、すぐにチェス盤の準備をし始めた。私たちがいつも愛用しているもので、手慣れた仕草で駒を並べていく。
「違うぞ、少尉」
「え、違うとは?」
「この前の続きからだ」
 中断してしまった勝負。不戦敗にするつもりはなかった。記憶している通りに駒を再現し勝負は粛々と始まった。少尉は続きの一手目から緊張した面もちをしている。聡い女だ、これが答えを出す場だということを肌で感じ取っているに違いない。静寂に包まれた部屋内に、駒を置く音だけが響く。やがて沈黙を破るようにホークアイ少尉は切り出した。
「中佐」
「うん?」
「この前の件ですが」
 どの件だ、などと聞き返す愚はおかさない。
「うん」
「私は……」
「あの件なら私からお願いして、将軍経由で断って貰った」
 彼女の言葉にかぶせるように告げれば、今度こそ紅茶色の瞳が大きく見開かれた。彼女の健康的なピンクの唇が僅かに震えているのが見て取れた。
「何故……」
「うん? 気づいたからさ。君の答えがなんであれ、私は君を手放す気はないし、手放したくないってな。ならば君の意思なんて関係ないだろう?」
「そ、それはっ」
「横暴な上司だと思うかい? 諦めるんだな、君が背中を任された相手はそういう男だ」
 ーー私は最初からそうすべきだった。建前も何も捨てて本音で動くべきだった。力強く言い切れば、少尉はふっと柔らかく笑んだ。
「思いません。……だって、私はこうお伝えしようと思っていましたから。何を今更、と」
 全て折り込み済みの覚悟を決めた表情に、改めて適わないなと思う。おそらく彼女は今回の件、最初から断るつもりだったのだろう。だからこそ、私は不満を伝えた。
「……だったら、最初から即答で断りたまえよ。どうして保留にした?」
「その言葉そっくりそのままお返しします。何故話を私にまでおろしていらっしゃったのです。最初から即答で将軍に断って下されば良かったのですのに」
 黒の駒を一手進めた。彼女は応えて白を操る。盤上が白熱していくのに比例するように、我々も心をむき出しにしてぶつけ合っていた。
「君の意思を尊重しようと思ったんだ」
「離す気がないとおっしゃったのは、他でもない中佐ですよ」
「……言わなくても何でも分かり合えているなんて、傲慢だと思ったんだ。過去を教訓にした」
「私が栄転を望むと……?」
 少しでもそんな風に思われたのが気に入らないとばかりに、少尉は乱暴な手を打った。呼応して駒たちがわずかに跳ねる。
「そんなものに目が眩むとお思いで?」
 貴方のそばを離れて……!
 鋭く睨みつけられても、痛みは覚えなかった。強い感情が向けられるのが嬉しくさえあった。
「地獄まで……と、既に私は伝えております。離す気がないのなら……揺らがないで下さい、最後まで連れて行って下さい!! いいえ、いいえ! 貴方が望まずとも私は食らいついていくつもりですからっ!」
 今までに見たこともない、切実で必死な表情。
 やっと気づく。どんなに呆れた顔でも、怒りの顔でも、眉をしかめ警戒されても、彼女から受け取るものは全て私にとって価値のある得難いものだと。
 何故彼女を手放すなんて、仮定ですら思えたのだろうと自分がひたすら愚かしく覚えた。 
 最初から最後まで。あの、古めかしい家の無駄に重厚な扉を開いた時からーーもうこの人生から彼女と共にいる時間を欠けさせることなど出来はしないのに。
 
 ーーそうだな、ブレダ。いい加減リザインしよう。
 
 負けを認める。
 男が負けていいのは、惚れた女にだけだ。
「リザイン」
 両手を上げて、宣言した。清々しい思いで。対して少尉は世にも珍しい惚けた顔で、私を見ていた。
「リザイン、と言ったんだ。降伏宣言だ」
「なっ、まだ勝負は……」
 その通り。チェスはまだ五分五分。いや、彼女が動揺していたためかわずかに私の方がいい。
「……いいえ。何に対して、ですか?」
 すぐに彼女はそれが、チェスに対してだけではないと悟ったのだろう。落ち着きを取り戻し、静かに訊いてくる。 
 私自身は既に答えを出していた。
 それは、彼女に、私がこれまで認めまい目を背けようとしていた想いに、追ってはならぬと思い込んでいた……幸福に。
「全てのことに」
 私はあえて明言せずに、片目をつむった。これから彼女には覚悟して貰うつもりだった。もう遠慮などしないつもりだから。
「……全面的に君の勝ちだよ。ところで私は他の奴らとは必ず賭をしていてね、負けたら何かしら持っていかれるんだが……君にも渡そう。でないとフェアじゃないだろう?」
「い、いえ……私は別に何も……」
 突然話が飛んで困惑する彼女をよそに畳みかける。
「いいから、受け取りたまえよ。ほら」
 自身の黒いクイーンの駒を押しつければ、ますます少尉は不可解だという顔をした。
「それ、大事に持っていてくれないか」
「この駒を……ですか? クイーンが欠けてはチェスが出来ませんよ?」
「だな。クイーンは落とせない、私が君を失えないように」
「また、そんなこと言って……」
 気障な物言いに少尉は頬を染めて、困った顔をした。
「クイーンはその内補充しておくよ。だが、その駒は特別。私の降伏宣言であり君の勝利の証だ……無くさないでくれよ」
「では、中佐が私に勝ったら今度はお返しするということでよろしので?」
 首を捻りながらそんなことを言う彼女を愛しく思う。
 駒は底を捻れば、蓋のようにぱかりと空く。これはグラマン将軍が所有するチェスと同タイプのものだった。空洞になっている中には、彼女の薬指のサイズとぴたりと一致した金属が入っている。
「そうだな」
 だが、そんなことはありえないと私は確信していた。
 私がどうあがいても少尉に勝てない理由。そう、最初から今までこの勝負は彼女に恋しているというハンデ戦だったのだ。
 ーーいつかそのときが来たらーー彼女はキングと並び立つ本物のクイーンとなるだろう。
「覚悟してくれたまえ」
 彼女はその言葉の本当の意味を、きっとまだ知らない。


 

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ロイアイの日おめでとうございます。
ロイアイ永遠なれ!


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by netzeth | 2018-06-11 00:01 | Comments(0)