うめ屋


ロイアイメインのテキストサイト 
by netzeth
プロフィールを見る
画像一覧

余裕なんてない

 そのマニキュアを購入した決め手は、焔を思わせる緋色だったから。一目見た瞬間、鮮烈な色が脳裏に焼き付いて離れなくなった。
「そんなに欲しいなら買っちゃえば?」
「……でも、マニキュアなんて普段使い出来ないわ」
「良いじゃない、プライベート用にでも」
 ーーとは言っても、休日だって何かあれば呼び出される立場だ。指の色をいちいち落としての緊急出動なんて出来はしない。
 リザは小瓶を手のひらの上に乗せ、指先で転がした。燃え上がる焔を集めて溶かしこんだようなスカーレットレッドが光を反射して輝く。
「綺麗……」
 抗い難い魅力に屈しブランドロゴがあしらわれた黒い上蓋を捻れば、特有のツンした刺激臭が鼻をつく。刷毛を手にとり指の代わりに脚を持ち上げた。
「……ここなら良いわよね」
 マニュキュアがまずいと思うならペディキュアにすれば? そうやって楽しんでる子、いっぱいいるわよ。
 友人の言葉を思い出しながら足の爪を一つ一つ緋色に染めていく。親指から小指、右足から左足。刷毛を手繰る作業に心は浮き立った。
「うん、よし」
 すっかり塗り終わった脚を少し持ち上げ乾かしながら、リザは満足感に浸っていた。けして綺麗な形でもない爪が今だけは華やかに、美しく見えた。
「どう? ハヤテ号? あ、舐めちゃダメよ」
 寄ってきた愛犬が不思議そうにくんくんと鼻を近づけるのを笑って押しやって。しっかりと乾いたのを確認してから、リザは家事を再開した。靴下も履かずに室内履きも放り出して素足でぺたぺた歩き回る。
 ちらりと視界の端に映る緋色が、嬉しくて仕方がない。まるで羽が生えたかのように足が軽くふわふわ浮いている心地だった。
「きゃん!」
 その時、大人しくしていた愛犬が一声鳴く。訪問者だと思ったのも束の間すぐにコツコツと靴音が聞こえついで扉がノックされた。聴き慣れた音に即反応し、リザは足早に玄関へと向かい扉の鍵を開けた。
「大佐?」
 予想通り上司――ロイが立っていた。一見瀟洒なスーツ姿だが肩幅と胸板のぶ厚さが一般人にはとても見えず、佇まいも鋭い眼光も隙がなく彼を軍人たらしめている。が、そんな彼の視線が一瞬落ち着き無くさまよったのをリザは不審に思った。
「ああ中尉。非番にすま、ん……な」
 挨拶と共に男の視線が下を向いて、リザは己の失策に気づいた。上司の前にショートパンツに素足と言う格好はあまりにラフ過ぎやしないか、非常に礼を欠いている。
「こんな格好で失礼いたします、大佐」
「あ、ああ? うん、いや、まあ…今はプライベートだ。突然訪ねた私の方がいけない」
 言葉とは裏腹に口振りはしゃっきりせずどこかぶっきらぼうなのが気になったが、非礼はこの後の働きで詫びればいい。彼――ロイがわざわざ休日の部下を訪ねて来たと言うことは、つまり仕事の話だろう。 
 そう結論づけて招き入れソファーに座らせた。茶を淹れるついでにハヤテ号にハウスを命じれば、愛犬は大人しく専用ベッドへと収まる。ケトルで湯を沸かし茶器のセットを終えたところで、ふと背中がぞわりと粟立った。
 知っている。と思った。スナイパーにとって敵に発見されないことこそ生存競争を勝ち抜く第一条件だ。狙撃手の鋭敏な感覚はこれが視線であることにいち早く気づいている。
 ロイの視線。
 リビングのソファーから投げられているものを受けるのは、実はこれが初めてではない。リザはこれまで幾度と無く経験していた。上司としてのものでも昔馴染みとしてものでもない、もっと濃く熱く深いたぐいのもの――いつも試みては名付けにも定義にも失敗している。
 逃れるように茶を淹れるのに集中する。
 うなじと首筋の辺りから下って背中、腰、それからじっくりと太もも……最後に足下に突き刺さって来る痛いほどの視線は、不快ではないが妙にぞわぞわした。
「大佐、お待たせしました」 
 茶を用意し終えリビングに戻ったときにはもう、視線の強さは薄れていた。茶を手渡しながら自身もソファーに腰を落ち着け、で、とリザは早々に切り出した。   
「本日はどのようなご用件で?」 
「あ、ああ……実は何件か確認したいことがあってな」
 内容は非番前にリザが細かく指示を出しておいた書類に関することだった。幾つか質問され少々思案して答えを返す。繰り返すこと数度で、彼は問題を全て解決したらしい。
「分かった。ありがとう、中尉」
「いえ。私のミスでもありますから……ですが、明日でもよろしかったのですよ?」
「いや、実はもう全部処理してしまってな。来たのは間違っていないかの答え合わせのためだ。早い方が良かろう?」
 では電話でも良かったのでは。そうも考えたが口には出さなかった。近くを通りがかる用でもあったとしたら、確かに直接話した方が円滑に進む。見たところ私服だから、近くに女の家でもあるのかもしれない。そこまで考え急に落ち着かない気分になり、リザは戸惑った。長居しろと言わんばかりに茶なんて出してもてなして何をやっているのか、引き留めてはいけないのではないか。
 隣に座る上官を横目で見れば、確かに彼は妙にそわついている気がした。からにしたカップを両手で所在なさげに弄んでいる。
 居心地の悪さを感じ、視線を下げれば緋色が目に入った。鮮やかに爪を飾るそれを無邪気に喜んでいた己が急に滑稽に思えて、リザは良くない思考回路の袋小路に迷い込んだ気がした。
「……ではご用はすみましたね、お帰りになりますか」
 迷いながらものど奥から言葉を押し出し、そろそろプライベートの時間に戻りたいと言外にアピールした。気を利かせたつもりだった。これで本来の目的に彼は心おきなく帰れるはず……早々に立ち去るはずだ。
 だが予想は意外な形で裏切られた。 
「そんなに私を追っ払いたいのかね?」
 硬い声、剣呑な口調。細められた瞳は鋭くリザを射抜いている。奥の奥で暗い焔がくすぶっているようなその色に、またざわりと肌が粟立った。
「いえ、そんな……」
 歯切れの悪い答えしか用意出来ないのは、半分は彼の言う通りだったからだ。だからこそ何がそれほど彼の機嫌を損ねているのか分かりかねた。部下の所で思わぬ引き留めにあって女の元へ急ぐ機会を逸していたというなら、絶好のタイミングだったではないか。
「ただ、私は……」
 貴方にもご都合があるかと思って。
 そう続けようとしたけれど、言葉が出てこずリザは戸惑った。彼の女の存在を自ら肯定するような物言いに、抵抗を覚えている。その事実に愕然としたとき、ロイが動いていた。
「訪問者があるから早く帰って欲しいのか?」
「あ……」
 距離を詰められたと気づいたのは、思ったより彼の声が近くで聞こえたから。リザの背後に手を突いて、ロイの上半身が倒れ込むように前傾していた。そんな風にしたら唇が触れてしまう――自然と及び腰になりソファーの上を尻をずって後ろに下がった。
「た、たいさ……」  
 上司部下の適切な距離感でないことに、その体勢に、脳内の処理速度がついていかない。セクハラだと叱りつけようにも、どうにも覇気が沸かないのはどうして。逃げ場を求めてリザは視線を足下に逸らした。瞬間飛び込んでくる緋色――彼の色。
「気になるか」
「え?」
「それが気になっているのかと問うている」
「きゃっ」
 すくい上げるようにリザの脚を掴まえると、ロイはソファーの上に乗せてしまう。そうして足先を掴んで持ち上げて見せた。 
「だろうな。君らしくない……男を誘惑するお洒落だ。おまけにそんなにかわいい格好で……男が来るのか? だから、邪魔な上司を追い出したいのか」
「あっ」
 足を掴まれ掲げられれば、自然と上半身が倒れていく。腹筋で何とか耐えるもののそのままロイが体重をかけてきたので、とうとうリザはソファーに押し倒されてしまった。
「私より、そいつがいいのか」 
 いらついた声を吐き出しているのに、見下ろしてくる上司の顔はひどく苦しげだった。
「まったく、今日はなんて厄日なんだろうな。1日君の顔を見られず、それでも真面目に仕事をがんばって、自分へのご褒美だと口実作って会いに来たって言うのに、他の男のために綺麗にしている君を見せつけられて。これまでの私の忍耐を返したまえ。手を出すのを我慢した挙げ句にかっさらわれるなんて、冗談じゃないぞ」
 薄い唇が矢継ぎ早に紡ぎ出していった言葉は、にわかには染み込んでこない。ご褒美……口実…我慢? 
「あ、あの大佐……」
「君が他の誰かに感情を向けるのが、耐えられない」
 こくんと喉を鳴らして、リザは唾を飲みこむ。
「この瞳が私以外を見て、この唇が私以外を呼んで、この腕が私以外を抱きしめて。そうやって、その男の色に染まっていく君を見るのは耐えられそうにない。……この、足の爪のように、な」
 こんなたった10本の小さな小さな面積に、焔の錬金術師にして国軍大佐である彼が激情を傾けているのがおかしかった。けれどそれはリザだって同じだ。
「友人に進められたんです」
 するりと言葉が出てきて自分でも驚いた。ふっと緊迫した空気がゆるみ、ロイが目を見開く。
「マニキュアがダメならペディキュアにすればいいって。それならいいかな、と思って購入しました。焔のような緋色を四六時中身に纏えたならいいと。私は……この色に染まりたかったんです」
 恐ろしいまでの圧が消え、全てを悟って惚けたようなロイの顔が目の前にある。彼はいくつか言葉を探すように口を開け閉めし、最後に負けを認めたように笑む。
「……私の色を身に纏いたいだなんて、案外君は情熱的なんだな」
「大佐は案外と女性に対して強引でらっしゃるんですね」
 普段見せている紳士さはどこにいったのやら。すると不意の真剣な眼差しに串ざされ、息が止まった。
「仕方なかろう。君に対して、余裕なんかない」
 それは私の台詞です。
 言い返そうにも、ロイの手が頬に伸びて言葉が潰えた。じっとり汗ばんだ手のひらが、ゆるりと頬を滑り落ちた髪を耳にかけた。揺れる瞳が高い温度を伴ってリザを見つめている。
「私に染まりたいなら、言ってくれれば良かったんだ。いつでも協力した」
 近づいてきた唇が額に落ちた。その乾いた感触を起点として焔のような熱が身体を火照らせ、リザはほうっと息を吐いた。
「あら……東の国の秘するが花という言葉をご存じないのですか?」
「知らなかった。出来ればこれからじっくりとご教授願いたいものだね」
「東の国のことを?」
「いいや、君のこと」
 指の背が瞼を優しく撫でて行ったから、リザはゆっくりと目を閉じる。
「……言っておくが」
「なんです」
「余裕なんてないからな」
「覚悟しておきます」
 
 ――言葉通り、初めてにしては乱暴で激しい焔のようなキスだった。




[PR]
by netzeth | 2018-08-18 23:12 | Comments(2)
Commented by まり at 2018-10-09 13:47 x
リザさんの足元が想像できそうで出来ない…。
きっとマスタングの焔のような嫉妬の呪いなんだろう…。
Commented by netzeth at 2018-10-13 00:16
コメントありがとうございます!マスタングさんの嫉妬パワーすごい(笑)リザさんの頼もしいセコムですね……☺